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あの人を訪ねたい ディーン・フジオカ

「〝自分はこれをやりたい〟とか、〝これが自分の夢だ〟という、目標を持つことも大切です。でも、僕が海外で仕事をして学んだことの一つは、自分のエゴだけでは社会とつながれない、ということです。人に求められて、そのチャンスに感謝をしながら応え続けることが、結果につながると思います」

9月28日にスタートしたNHKの連続テレビ小説『あさが来た』で、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)初代会頭・五代友厚役を演じるディーン・フジオカさん。10年にわたり俳優として活躍を続けているディーンさんだが、台湾を拠点に活動をしていることもあり、日本のお茶の間に登場し始めたのはここ1、2年の間だ。日本の連続ドラマ出演はこれが2度目という〝逆輸入〟の新星に、これまでのキャリアと、今後の活動について話を伺った。

薩摩藩士らしい芯の強さを大切にして演じる

端正な顔立ちに、柔らかい笑顔が印象的なディーンさん。落ち着いたトーンながら、しっかりと意思の伝わる論理的な話し方に、自己主張が必須の海外で活躍を続けてきた、しなやかな強さを感じる。

今秋スタートしたNHKの連続テレビ小説『あさが来た』への出演決定は、〝抜擢〟と表現していいだろう。ディーンさんが日本の連続ドラマに出演するのは、今年放送されたフジテレビのドラマ『探偵の探偵』の桐嶋颯太役に続き、まだ2作目なのである。ディーンさんはこう振り返る。「出演が決まったときは、単純にびっくりしました。これまで香港、台湾といった中華圏、それに北米と、海外で俳優活動をしてきました。僕は日本人ですが、すでに10年近く日本を離れていることもあり、日本で仕事をするということがイメージできていませんでしたね」

ディーンさんは福島県出身。高校を卒業後、アメリカ・シアトルの大学へ留学し、卒業後にアジアを巡る旅に出た。香港滞在中に、モデルとしてスカウトされたのがキャリアのスタートとなる。その後、徐々にモデル業から俳優業にシフト。俳優としては香港を拠点に、またミュージシャンとしてはインドネシアを拠点に、現在も国をまたいで活動を続けている。日本語と英語だけでなく北京語、広東語、インドネシア語と、5カ国語を操るマルチリンガルだ。

今回演じる五代友厚に関しては、オファーをきっかけにその存在を知り、勉強を重ねたという。

「五代さんは薩摩藩士で、西洋の事情に明るくグローバルな考え方の持ち主です。『あさが来た』の中では、大阪の発展のために奔走する中で主人公のあさと出会い、実業家として奮闘するあさを叱咤激励する師のような存在になります。演じる際に大切にしたのは、薩摩藩士らしい芯の強さです。覚悟や魂、パッションともいえます。五代さんは薩摩弁、関西弁、そして英語を使い分けていて、それを演じるのは苦労しました。ですが、どんな言葉をしゃべっていようとも、五代さんの持つ芯の強さは変わらない。そう意識しました」

明治維新、そして維新後に、海外からの新しい情報や技術、ノウハウを日本経済に取り入れていく役割を担った五代友厚。〝大阪の恩人〟と呼ばれた彼とディーンさん、通ずる部分はあったのだろうか。

「僕自身は、強さというよりも柔らかい感じですが(笑)。でも、例えば、つい楽な道を選んでしまいそうなとき。そんなときはチャレンジしていく方向で、その都度、道を選んできたと思います。そして、五代さんはきっと自分の藩のことはもちろん、日本の行く末、さらには世界を視野に入れて物事を考えていたと思うのです。僕もそういうふうになれたらいいな、という思いはありますね」

自分は何者なのか? 苦しんだ時期もある

このドラマ出演をステップにして、今後さらに活躍の場を広げていくことが期待されているディーンさん。一見、トントン拍子でキャリアの階段を駆け上っているように思えるかもしれない。だが苦しい時代もあった。

「インドネシアのジャカルタと、台湾とを行ったり来たりする生活がスタートしたのが平成20年くらい。そのときが大変でしたね。それまでは活動の拠点が一つだったのが、二つに増えた。言語の切り替えよりも、人との距離感の調整が難しかった。これは国をまたいで仕事をする人に共通する難題かもしれません。例えば、ある場面で握手するのかハグするのか、それとも、何もスキンシップをしない方がよいのか。その判断には非常に神経を使います。そこの判断によってつながる関係もあれば、つながらない関係もあったりするので」

2カ国を拠点にして生活しているうちに芽生えてきたのは、自己喪失に近い感覚だったという。〝どこの国ともつながれていない感覚〟といえるかもしれない。

「中華圏で仕事をしていても、日本のバックグラウンドがあることで出演できなかったり、いきなりキャンセルされるということもありました。国籍が日本だから、映画祭のショーレースに参加できなかったりということもあった。外国人として現地の人たちの中に入って仕事をするということは、ある意味、現地の人たちのチャンスを奪って、お金を稼ぐということなんです。これはやはり大変なことだとあらためて感じました」

パスポートを見れば国籍は日本人だが、日常生活で日本語はほとんど使っていない。台湾とインドネシアを中心に、英語と中国語で活動をする日々が続いた。

「焦りにも似た感覚もありました。国籍を変えるべきなのかなと考えたり、アイデンティティークライシスみたいな状態がありましたね。それにどんなに努力をしても台湾にいればインドネシアの情報はキャッチできないし、インドネシアにいたら台湾のことは分からない。これはきつかったですね」

しかし、苦しい時期を乗り越えたことが、今となっては良い経験だったと振り返る。「人間、その環境で生活をしていれば慣れるんです(笑)。何とか生きていけます。多いときは週に何度も飛行機に乗って移動するようなハードな生活でも。だから今、プロジェクトごとに世界各国へ移り住むような生活にも対応できていると思いますね。それに、あそこで自分の中の〝混乱〟を経験しておいて良かったと思います。あそこで悩み、考えたことが、日本語をきちんと勉強しようと思ったことにつながった。それで今回のように日本で仕事をするご縁にも恵まれたのですから」  

与えてもらったチャンスに感謝の気持ちで応える

生まれ故郷の日本での仕事。〝戻ってきた〟ではなく、〝新しい国でのチャレンジ〟という感覚だとディーンさんは笑う。

「今も日本に住んでいるわけではないですから。日本という新しい国でのチャレンジなんです。それに、このプロジェクトが終われば、また台湾かインドネシアに戻ることになりますし(笑)」

今後の目標に関して問うと、「何か特段大きな目標を掲げているわけではない」という答えが返ってきた。ここに、ディーンさんが香港で学んだことの一つ、〝自分のエゴで社会とはつながれない〟という考えが表れているようだ。

「それこそ10年前、役者としての仕事を始めたころは、自分はこんな役者になりたい、という思いがありました。もちろん今も、自分が興味を持てることをやっていきたいし、演技だけでなく音楽でも、全く新しいものだったり、国やエリアに縛られないタイミング、ご縁で、自分がやるべきだと思った仕事をしたい。それで誰かの役に立てればうれしいです。でも、自分はこれをやりたい、これが自分の夢だというのはある種、自分の〝エゴ〟だともいえます。そのエゴだけでは社会とつながれない。人に求められて、チャンスをいただく。そのチャンスに対して〝ありがとうございます〟という感謝の気持ちで応え続けることが大切。〝俺はこれがやりたいんだ〟と肩肘張ってやるよりも、結果につながると思います」

自分に何ができるのか、何が求められているのかを考える。同時にこれだけはやってはいけないという自分の中のボーダーラインも決める。それを考えた上で、周囲の期待にきっちりと応えていくことが、成功につながっているのだろう。

「だから今、心掛けているのは〝現場を楽しく〟ということ。一緒に仕事をしている人たちが、楽しい時間を過ごせることを大切にしていきたいですね。撮影って大変なんですよ。現場は肉体労働です。演者だけでなく、関わっている人たちみんなのパッションがないと続かない仕事だと思います。だから少しでも、みんなのパッションがアップするような、持続するような、楽しい時間をつくれる人でありたいですね」

力まず、あくまで自然体な姿がりりしい。その爽やかな笑顔を見ていると、自然と今後の活躍に期待が高まっていく。

ディーン・フジオカ(DEAN FUJIOKA)

俳優・モデル・ミュージシャン

1980年8月19日生まれ。福島県出身。高校卒業後アメリカの大学へ留学。卒業後に香港でモデル、俳優としての活動をスタート。台湾に拠点を移し中華圏エンターテイメントの新生として人気を博す。インドネシアを拠点に音楽活動を行うなど、5カ国語を操る語学力を生かし、国境を越えて多彩な才能を発揮。2013年公開の映画『I am ICHIHASHI 逮捕されるまで』の監督・主演・主題歌で実質的な日本デビュー。2015年9月末放送開始のNHKの連続テレビ小説「あさが来た」で大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)初代会頭・五代友厚役を好演中

写真・大亀 京助

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