広島県三原市は戦国大名小早川隆景(毛利元就の三男)がつくった城下町です。NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも紹介されました。平成5年に広島空港が広島市内から当地へ移設されたので、今では全国でも稀な、陸・海・空、全ての交通手段が揃ったまちになりました。その利便性を生かし、大企業の工場が進出したため、工業都市の色彩が強いといえると思います。
昭和39(1964)年、私は大学を卒業し、三菱樹脂へ入社しましたが、5年間の勤務を経て家業を継ぐことになりました。私が43歳のとき、三菱鉱業セメント(現在の三菱マテリアル)特約店の跡取り息子の会(二世会)の研修会で、当時の三菱鉱業セメント社長の藤村正哉さんから「三菱鉱業には経営理念として安人昌業という言葉がある」と教わりました。従業員が安心して生活できて初めて社業が繁盛するという意味です。「言うは易し、行うは難し」ですが、いつも傍に置いている言葉です。
平成16年、私は三原テレビ放送の社長に就任いたしました。自主放送を行う局としては広島県で最初、中国地方では4番目に開局したケーブルテレビ局で、今年で放送開始から30年になります。ケーブルテレビの役割は大きく分けて三つあります。一つ目は電波が届かない難視聴地域を解消すること。二つ目は三原市内の情報を共有する役割。例えば、毎日、ニュースなどの自主番組を制作し放送しています。三つ目が高齢者の見守りや防災情報の提供などの社会インフラとしての役割です。一例を挙げますと、高齢者が使い慣れたテレビとリモコンで家に居ながら買い物ができるように、システムを構築しました。この取り組みは全国で先進的と評価され、昨年6月には総務省中国総合通信局長表彰を頂きました。社員は「どんなサービスを提供すれば市民に喜んでもらえるか考えるだけでも楽しい」と言って仕事に取り組んでいます。
2年後に、三原は三原城築城450年を迎えます。昨年末、三原市・三原商工会議所・三原観光協会が中心になって「瀬戸内三原築城450年事業推進協議会」を設立。私が会長に就任しました。
今年から具体的な計画に着手しますが、この事業を通して市民に「郷土を愛する心」「郷土を誇りに思う心」を育むことができれば、さらにまちづくりが進むものと期待しています。
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