時代を超えて世界の人々に愛されている小説『ムーミン』のテーマパーク「ムーミンバレーパーク」が3月16日、埼玉県飯能市にオープンした。ムーミンの原作者であるトーベ・ヤンソン(1914〜2001年、以下、トーベ)の姪(めい)で、現在はムーミンの著作権などを管理する会社の会長を務めるソフィア・ヤンソンさんに、伯母のトーベやムーミンへの思い、テーマパークについて語っていただいた。
多くの人の情熱に支えられ進めていったプロジェクト
ムーミンの生みの親であるトーベの母国フィンランドには、「ムーミンワールド」というテーマパークがある。飯能市に今回オープンしたムーミンバレーパークは、本国のフィンランド以外では世界初の公式テーマパークとなる。
「テーマパークは大きなプロジェクトなので、どこの国でもできるわけではありません。成功させるためには多くの来場者が必要で、そのベースとなる幅広いファン層がいることが重要となります。その点、日本でムーミンはとても人気があり、世代を超えて多くの人たちがムーミンを知っている。日本は、ムーミンのテーマパークをつくるのにぴったりだったのです。また、このようなプロジェクトを進めていくには多くの人たちや政府、自治体などの協力が不可欠ですが、日本にはムーミンを大好きな方々が多く、その点でも問題はありませんでした。このプロジェクトは、たくさんの人たちの情熱に支えられてきたのです」とヤンソンさんは力を込めて語る。
もちろん、テーマパークの立地として飯能市が選ばれたのにも理由がある。飯能市は今から25年以上も前の1990年代に、子どもたちが自然の中で遊べる公園をつくるためにトーベ本人と手紙のやり取りを始めた。97年にはトーベが描いた小説の世界をモチーフにした「あけぼの子どもの森公園」をオープンしている。また、トーベは生前、来日した際に飯能市を訪れたこともあるという。
「ほかにも候補地がありましたが、飯能市は以前から私たちと交流があっただけでなく、埼玉県とともにムーミンのテーマパークの招致にとても熱心でした。しかも、ここは自然が多く残されていて美しく、湖もある。ムーミンバレーパークには最適の場所だったのです。特に、湖はとても重要なファクターの一つでした。なぜならフィンランドにも多くの湖があるからです」
山と木々、湖に囲まれた敷地内には、ムーミン屋敷はもちろん、スナフキンの橋やテント、灯台のほか、画家としてのトーベを知ることができる展示やムーミン谷のジオラマがある屋内施設もある。
トーベは自分の理想の世界をムーミンの中で描いていった
ヤンソンさんの父ラルスはトーベの弟で、コミック版ムーミンの共著者でもある。ヤンソンさんは、子どものころから伯母のトーベに非常にかわいがられていたという。
「トーベは、芸術と本の執筆に人生を捧げることを選んだため、自分の家族を持つことはなく、常にハードワークをこなす人でした。より良いものをつくり出そうと努力し、自分に対しては厳しい人でしたが、その一方でとてもユーモラスで、私にとってとても良い人でした」
トーベは45年、ムーミンの物語シリーズの1作目となる『小さなトロールと大きな洪水』を出版した。そして、それから70年までの25年間に計9作のムーミンの小説を出している。日本では、ムーミンはアニメや絵本の印象が強く、子ども向けの童話というイメージがあるが、実際の物語は子どもだけに向けて書かれたものではなく、大人が読んでも楽しめる内容になっている。
「トーベは若いころは画家になりたかったのですが、第二次世界大戦で多くの悲劇的なことが起こり、何を描いていいか分からなくなってしまいました。そこで戦後からは小説を書き始め、自分が理想とする世界をつくり上げていったのです。人々が戦い合うのではなく、寛容で互いに尊敬し合い、愛情にあふれ、自然を大切にし、悲しみや孤独を感じている人には助けの手を差し伸べる……。そんな世界をムーミンの物語の中で描いていったのです。もちろんムーミン谷でもトラブルは起こりますが、みんなで協力して解決していきます。それを象徴するのがムーミン屋敷で、誰に対しても開かれていて、自分とは違うことに対して寛容であることのシンボルとなっています。それらが、ムーミンの物語が世界中の多くの人に愛されている理由なのでしょう」
日本においては、69年から70年にかけてと72年にテレビアニメとして放映され、その後も数度にわたりアニメ化または映画化されている。それらが日本でのムーミン人気に大きく貢献している。
「ムーミン一家は家族が互いに尊重し合い、ムーミン谷の仲間と調和の取れた生活を送っています。戦後の日本が経済発展し、生活が大きく変わる中、ムーミンたちの暮らしが少し前の日本人の生活に似ていたため、共感を得られたのだと思います。また、日本では当時から一家に1台テレビがあり、家族みんなで同じ番組を見る中で、ムーミンも多くの人に見られていました。そのときに子どもだった人が大人になり、ムーミンに対して懐かしさを感じている。それが今も日本でムーミンが人気のある理由だと思います」
ムーミンバレーパークには来るたびに新たな発見がある
ムーミンの物語が生まれたフィンランドの面積は約33万8000㎢と日本よりやや小さい程度だが、人口は約550万人。森林面積が国土の73%を占め(世界第1位)、湖や川も10%になることから「森と湖の国」と呼ばれている(日本の森林率は67%で世界第3位)。
「フィンランドではいまだに人々が自然と非常に近いところで暮らしており、よく森林や湖に行ってキャンプをします。誰でも自然の中ですぐ火を起こせるし、森の中で野生のベリー(果実)やマッシュルームを見つけることもできます。自然はフィンランド人のアイデンティティーの大きな部分を占めているのです。そういう意味では、このムーミンバレーパークはフィンランド人からすると、とても“都会的”ですね(笑)」本国のムーミンワールドは、夏の3カ月と冬のホリデーシーズンの2週間のみだが、日本では一年中オープンしているので、四季それぞれの楽しみ方があると、ヤンソンさんは感じている。
「ムーミンの物語やトーベ・ヤンソンのことをよく知っている人でも、来れば必ず何か新しいことを体験することができます。また、ムーミンは好きでもトーベのことをあまり知らない方々は、彼女の人生や作品を知る絶好の機会です。ですので、十分な時間を取って来ていただきたい。できたら何度も訪れていただきたい。それくらい、ここにはいろいろな楽しみ方があります。私自身、オープン前から何度も来ていますが、そのたびに新たな発見があるほどです。皆さんにも、そのようにムーミンバレーパークを楽しんでいただければと思っています」
ソフィア・ヤンソン
ムーミンキャラクターズ社クリエイティブディレクター兼会長
1962年フィンランド生まれ。『ムーミン』シリーズの作者トーベ・ヤンソンの姪。学生時代から長年にわたり海外で暮らしていたが、97年に帰国し、ムーミンの著作権などを管理するムーミンキャラクターズ社に入社。その後、会社を運営していた父の後を継ぎ、現在は同社のクリエイティブディレクター兼会長を務めている。
写真・加藤正博
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