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あの人を訪ねたい 寺井宏明

「能楽は鎮魂や浄化、祈りの心を使命とした伝承文化。これからも東北へ届け続けていきたい」

室町時代より650年以上続く日本を代表する伝統芸能、能楽。その笛方として活躍する寺井宏明さんは「能楽の心と癒やしプロジェクト」を立ち上げ、東日本大震災が起きた2011年から今なお東北へ足を運んでいる。公演回数は150回を超え、避難所や仮設住宅などあらゆる場所で、被災された人々の心に能を届け続ける。

スパルタ教育で培われた能楽師としての使命感

能楽師というと、能面をつけて舞うシテ方をイメージする人が多いと思うが、寺井宏明さんは能管を奏でる笛方だ。能とひと言でいっても、それぞれに流派があり、笛方も森田流、一噌(いっそう)流、藤田流の3流派がある。寺井さんは柔らかく吹き上げるのが特徴の森田流で、代々笛方をつとめてきた寺井久八郎家の十四代目だ。

「初舞台は6歳のときです。朝の稽古をしないと学校に行かせてもらえませんでした。笛は祖父と父から教え込まれたのですが、父は今なら問題になるのではないかというほどのスパルタでしたね」。そう言って苦笑する寺井さんは、中学生になる頃には、能楽師として生きる道を自覚し始めていたという。

「生活の一部として能があって、祖父も父も、親戚も能楽師。好きとか嫌いとかということではなく、稽古をするのは当たり前のことでした。子どものときは学業よりも舞台が優先で、修学旅行にさえ参加できなかったこともあります。友だちとの付き合いは、とことん悪い子でした(笑)。それでもやめようと思ったことはなく、父に反発した時期こそありましたが、能楽師以外の道を探したことはないですね」とさらりと語る。

寺井さんは、能楽師の家に生まれた使命感、伝統の重みを、幼少時から肌でひしひしと感じとっていたのかもしれない。稽古を重ねてきた寺井さんは、東京を拠点に全国各地の舞台に上がり、いつしか海外公演も数多くこなしていく。重要無形文化財総合指定の保持者であり、2008年にユネスコ無形文化遺産になった能楽を守り継ぐ一人である。

寺井さんの先祖をさかのぼれば、奈良県の春日大社に奉仕する能楽役者で、江戸時代に森田流宗家の補佐として江戸に上ったという。南部藩(岩手県)に出稽古していた記録もあり、寺井さんの代でも全国に稽古場を有する。自らの芸を極めるだけではなく、子どもたちに稽古をつけたり、カルチャーセンターの講師を務めたりと、後世へ能を伝える活動にも積極的だ。 そんな中、11年3月11日を迎えた。

自ら動いて活動の輪を広げる

「仙台市若林区に稽古場がありましたし、東北には何人も友人や知人がいました。自分に何ができるだろうと自問自答しながらも、矢も盾もたまらず4月には仙台の友人をお見舞いに行きました」と語る寺井さん。

寺井さんは仙台の旧友が心配で現地入りしたとはいうものの、能楽師として何かするというところまでは思い至らずにいた。そこに、未曽有の被害を受けた三陸沿岸を見に行った能楽師の仲間、シテ方の八田達弥さんから、「芸術実演家が慰問というボランティアをしているようだ」との情報を得た。現地の様子を聞くにつれ、何かしなくてはと奮い立ったという。

そうして実現した慰問の初舞台は11年8月、石巻市にある湊小学校の体育館だった。そこには多くの人が避難しており、能を初めて観る人も多い。能楽堂のような立派な設備も舞台もない。だが、上演すると場の空気が変わり、人々の表情が穏やかになった。

「能を観てくれた人が、『次はここでやらない?』と声を掛けてくださったり、能好きな人を紹介してくれたり、交流の輪が一気に広がって、気が付くとお声が掛かって上演する機会が増えていきました」

能は鎮魂の芸能といわれる。魂を鎮め、生きる者を慰め、土地を浄化する力を持っていると信じられてきた。能の心と癒やしの力を持って人々には安らぎを、荒れた土地には浄化を、犠牲になった人々への鎮魂の気持ちを込めた能楽慰問の活動が始まった。チーム名を「能楽の心と癒やしプロジェクト」と名付け、八田さんとともにさまざまな場所で能を上演している。避難所や仮設住宅、復興住宅、駅前広場、仮設商店街の駐車場、防波堤の上などでの公演は150回を超える。

また、SNSでプロジェクトの活動を積極的に配信。400人以上いるフォロワーの半数は活動を通してつながったという。能の公演だけではなく、被災地に通い、時には気仙沼や石巻に数時間だけ立ち寄ったり、地元の人と言葉を交わすために駅のホームに10分だけ降りたりすることもあった。被災地に一度訪れるだけの有名人を何人も見てきた地元の人たちにとって、寺井さんの熱意や行動力の〝本気度〟は桁違いと映ったに違いない。

心の癒やし、震災の風化防止、文化の復興を能に込めて

能には約200もの演目があるというが、寺井さんたちは被災地では特に「羽衣」「菊慈童(きくじどう)」を選ぶ。

羽衣は、羽衣を持ち帰ろうとした漁師が、衣を返す代わりに舞うようにと天女に伝え、天女が月の舞を披露するというもの。天空の月や地上の春の美しさを表現した華やかな演目だ。

菊慈童は中国の皇帝に仕えていた少年が、うっかり皇帝の枕をまたぐという死刑に値する罪を犯してしまい、山に捨てられる。不憫(ふびん)に思った皇帝は、その枕に経典の言葉をつづって少年に持たせる。山で生きる術(すべ)を知らない少年は、経典を菊の葉に写し、葉にたまった露を飲み続けた。するとその露が霊水となって、少年は700年も生き延びたという「長寿」がテーマの内容だ。 「この演目を私たちが選んだのには、『死なないでください』という裏の願いがあります。被災後に自死や孤独死などの人があまりに多いからです。能は古来より、鎮魂や浄化、祈りの心を大切な使命として伝承してきました。被災地でやり続ける意味がここにあります。幸せや長寿など、生きる活力を与える演目を選ぶのもそのためです」

交通費などの経費は自腹で、入場料も取らない。貯金を切り崩して活動を続け、本業以外にも警備員や宅配の仕分け、イベントの受付などのアルバイトで活動資金をつくる。「おかげで体力がついた」と笑うが、今も複数アルバイトをしながらの活動だ。能楽師の使命、誇り、そして東北で出会った人々の笑顔が、寺井さんを被災地へ向かわせる。

「活動の柱は大きく三つあります。一つはつらい思いをした人たちへの癒やし、二つ目は被災地に人々の関心を向けさせ続ける震災の風化防止、そして三つ目は文化や娯楽を心置きなく楽しめるようにという文化的な復興への願いです」

震災から8年。被災地のことを忘れることはない。

「『能楽の心と癒やしを被災地へ』というキャッチコピーを、12年から現地では〝あなたへ〟に変えました。いつまでも被災地と呼んでほしくないという現地の思いがあるからです。これからも三つの柱を胸に能を届け続けていきます」 そう熱く語る寺井さんは、今年の3月11日も東北の地で笛の音を響かせる。

寺井宏明(てらい・ひろあき)

能楽師(笛方森田流)

1966年東京都生まれ。父・十世寺井久八郎ならびに祖父・寺井啓之に師事。各地の小中学校で能楽の指導を多数行う。キッズ伝統芸能体験やNHK文化センター、江東区文化センターの講師などを歴任。重要無形文化財総合指定保持者。公益社団法人能楽協会会員および一般社団法人日本能楽会会員。

https://www.facebook.com/teraihiroaki

写真・後藤さくら

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