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あの人を訪ねたい 井原慶子

「国や人種、性別を超えた多様性は想像以上に大きな成果を生みます」

日産自動車初となる女性取締役が誕生した。白羽の矢が立ったのは、国際レーシングドライバーの井原慶子さん。世界女性初でル・マンシリーズ総合優勝を果たした女性だ。自動車産業が100年に一度の変革期といわれる今、井原さんはどのように改革を推し進めるのか。

反対からスタートしたレーサー人生

井原慶子さんは、学生時代にモデルやレースクイーンをしていた。初めて訪れたサーキットで衝撃を受け、「カーレーサーになりたい」という夢を持つことになる。

「サーキットでは、レースに関わる人全てが生死をかけて仕事をしていました。人間の本気を見ることで、これまで私が取り組んできた出来事がいかに取るに足りないことだったかを思い知らされました」

しかし、周囲からは猛反対された。「女性には無理」「今からでは遅すぎる」「免許すら持ってないくせに」と笑う人までいたという。「どの意見も予測にすぎず、成功するかは誰にも分からない。自分の気持ちに従おうと思いました」

25歳まで車の運転技術や知識を学ぶ傍ら、モデルやコンビニ、宅配便などのアルバイトに明け暮れ、ようやく貯まったお金で1994年、「フェラーリ・チャレンジ」でレースデビューを飾った。デビュー戦で3位という好成績を収め、その年の総合優勝も果たした。幸先の良いスタートを切った井原さんは、日本での活動期間を1年にとどめ、海外に拠点を移した。他のレーサーから20年ほど遅れてデビューしているため、焦りもあった。その後はモータースポーツの本場、イギリスとフランスを拠点に、世界を転戦するようになった。

コンマ1秒を勝ち抜くための順応性と改善力が求められる

井原さんの笑顔の裏には、努力と苦悩が隠されている。苦悩の一つは、資金調達だ。レーサーが世界で活躍するためには、巨額の費用がかかり、スポンサーの存在が欠かせない。「私たちは、1000分の1秒の差で運命が変わります。結果を残せない人間は生き残れないというのが私の原点になっています」

レーサーに求められるのは順応性と改善力だ。国によってサーキットの環境は異なり、砂漠を走ることもある。それでも事前練習は一切なく、現場に到着するや否やその場で最速のタイムを出さなければ生き残れない。走る中で問題・課題が見つかれば、短時間で改善し、即、開発に生かさなくてはならないのだ。

しかし、いくら結果を出し続けても活動休止に追い込まれることもある。2002年、社会不況で井原さんのスポンサーが買収され、半年以上走れなくなるという苦い体験をした。「当時は、再始動できる保証などありませんでした。けれどやめたいとは一度も思わなかった。レーサーという仕事にほれ込んでいたし、必ずまたやれると信じていました」

井原さんは、「人種の壁」にも正面から向き合っていった。仕事関係者の中には、日本人に偏見を持つ人もいた。鋭い視線が突き刺さることもあった。そういう相手にこそ、主体的なコミュニケーションが大事だという。待っていても相手との距離は縮まらない。「私は日本人らしさを大切にしました。例えば、同じことを伝えるにしても言い回しは丁寧に、笑顔も絶やさないこと。相手に配慮できるのは日本人の長所だと思っています」

そして14年、カーレースの世界最高峰・WEC世界耐久選手権の表彰台に女性として初めてのぼり、ル・マンシリーズでは総合優勝を果たす。その年のドライバーズランキングで女性として世界最高位を獲得した。

30カ国の仲間とつかんだ24時間耐久レース

18年、井原さんは、新たな一歩を踏み出した。あれほど「遅すぎる」といわれた人間は、「最年少・女性初」という鮮烈なキャッチコピーとともに、日産自動車の社外取締役に就任した。会社から期待されたことはと尋ねると、「自動車産業のリーダー的立場になり、女性のロールモデルとして活躍することでしょうか」と言葉を選びながら答えてくれた。これまで日本の自動車産業の幹部といえば男性だった。しかし、消費者の半分は女性だ。「多様性に富んだトップの存在があれば、会社の透明性も競争力も高まるはず」

そう語りながら、井原さんは脳裏にふと浮かんだシーンがあるという。それは14年、「ル・マン24時間レース」に挑戦した際のことだ。チームの国旗こそフランスだったが、レーサー、エンジニア、メカニックなど総勢30カ国の気鋭が名を連ねる集団だった。性別はおろか、国籍も育った環境も肌の色まで異なった。それゆえ、摩擦が生じることもあったが、個性的なアイデアが次々飛び出す環境は、チームの競争力を急速に高めていった。その結果、井原さんは過酷を極めるレースを完走し、日本人初、世界女性初の入賞という快挙を成し遂げた。「多様性が爆発的な成果を生むことを、私はレースを通して何度も経験してきました。それは自動車産業でも同じはず。国際競争において国を越えたアライアンスは不可欠です」

では、自動車産業が抱える深刻な問題となっている女性や若者の車離れについては、どう対応していくのだろうか。「やはり女性が車に携われる環境を用意することだと。実は今も、女性で車に携わる仕事をしている人はたくさんいます。部品工場、ディーラー、カー用品販売などもそうですが、今後は、自動車メーカーのみならず、IT産業、サプライメーカーなど、広い産業体がモビリティーに関わるようになるでしょう。より大きな市場になることで女性と車の接点は増えていくはずです」

さらに井原さんは、車は女性の自立心を育てる上でも、良いフィールドになるはずだと話す。「パソコンが壊れても命の危険はありませんが、車はその危険性をはらんでいます。携わる人が責任と安全意識を持たなくては成り立ちません。日本人女性は海外の女性と比べて自立心や責任意識が低いと感じることがありますが、車を通じて人は成長できると思います」

新たな時代の車社会の形成において、女性が活躍することの大切さを訴える井原さんは、自身も女性の人材育成に力を入れている。3年前、井原さんが総監督を務める女性のレーサー集団「LOVE DRIVE RACING」を本格始動させたのも、女性を支援したいとの思いがあるからだ。井原さんのアクションに共鳴する女性たちは、想像以上に多かった。これまで18歳から68歳まで1000人以上の応募があった。「自らハンドルを握って、女性も走りたいんです」 今、自動車産業は100年に一度の変革期を迎えている。なぜ自動運転が必要なのか、過疎地に住む高齢者の移動手段についてどう検討していくのかなど、課題は山積している。「どういうシステムが介在すれば新ビジネスが成り立ち、社会の課題を解決できるか、多様な価値観を持つ人たちと議論を深めていきたいですね」。井原さんは、希望に満ちた笑顔で締めくくった。

井原 慶子(いはら・けいこ)

国際レーシングドライバー

1973年東京都生まれ。世界最速の女性レーシングドライバー。99年のレースデビュー以来、世界50カ国を転戦。2014年にはカーレースの世界最高峰・WEC世界耐久選手権の表彰台に女性として初めてのぼり、ル・マンシリーズでは総合優勝。ドライバーズランキングで女性として世界最高位を獲得した。慶應義塾大学特任准教授、FIA国際自動車連盟アジア代表委員、経済産業省産業構造審議会委員、三重県政策アドバイザーなどを歴任。

写真・後藤さくら

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