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あの人を訪ねたい 杉 良太郎

「舗装された平坦な道を往くのも幸福だろうが、僕は道なき道を切り拓いていきたい。傷を負いながらも、文化や福祉の道は誰かがつくらないといけない。立ち止まらなければ、後に続く人が歩きやすい道になっていると信じています」

今年、芸能活動50周年を迎える杉良太郎さん。歌手・俳優として活躍してきたが、芸能活動以上に長く取り組んでいるのが刑務所慰問などの福祉・ボランティア活動だ。「あえていばらの道を進んできた気がする」と振り返る、その歩みを聞いた。

2年間無給の生活でくじけなかったことが自信に

子どものころから歌が好きで、15歳のときに実家近くの歌謡学院へ歌のレッスンに通いはじめた杉さん。福祉・ボランティア活動を始めたのもそのころだった。

「刑務所慰問に行かないかと先生に勧められたんです。アコーディオンを演奏しながら神戸や姫路、加古川などの刑務所や養老院(今でいう老人ホーム)を一緒に回りました」

歌手になれるとは思ってもいなかったが、レッスンを重ねて人前で歌うことが楽しくなり、自信が芽生えていく。いつの間にか、各レコード会社が実施していた歌謡コンクールの常連になっていた。だが、予選の神戸大会では3位が定位置で、なかなか1位になれない。何とか1位を取りたいと徳島の大会に出たところ、念願の1位に。だが、思いもよらない判定が下された。

「神戸の人に1位はやれないと、2位に下げられたんですよ。1位になって全国大会に出てチャンスをつかみ、プロの歌手になることができれば親孝行ができる。貧しかった家庭を支えたかったのに、理不尽な判定で道が閉ざされてしまったんです」

それでもめげずにチャレンジを続け、テイチクの歌謡コンクールで関西代表の座をつかみ、単身上京。身寄りもなく友人もいなかったが、向島(墨田区)にあったカレー店で奉公することに。2年間無給で、三度の食事はいつもカレーライス。向島から上野まで週2回、レコード会社が紹介してくれた作曲家のもとに歌のレッスンに通った。電車賃などあるはずもなく、片道2時間半を歩いたという。心が折れることはなかったのだろうか。

「一切ありませんでした。好きで選んだ道ですからね。若いうちの苦労は金を出しても買えって言葉があるでしょ。それを実践しただけですよ。むしろ、そんな生活でもくじけなかったことが大きな自信になりました」

主役に抜てきされたドラマが国民的人気番組に

昭和40年、『野郎笠』でようやくプロの歌手としてデビューを果たすが、鳴かず飛ばずだった。そんなときにチャンスが巡ってくる。NHKの『文五捕物絵図』のオーディションである。選ばれれば脇役ながら1年間レギュラー出演できる、またとないチャンスだったが、「実は主演の俳優が決まっていなかったんですよ。そこで主役をやらせてくださいと言ってみました。相手はびっくりして、こっちの顔をじっと見つめていましたが、少し協議して『いいだろう、君でいこう』と言ってくれました」。

昭和42年に放送が始まるや、瞬く間に番組は国民的な人気を得ていく。当初は1年間の予定が半年間延長され、1年半にわたり放映されたほどだった。NHKの年間ドラマとして放送期間が延長されたのは、後にも先にもこの番組だけだという。ただ〝お化け番組〟となったことで、いわれなき中傷ややっかみも多くなったそうだ。

「芸能界というのは、勝たないとダメな世界なんです。だから当時は何者だって聞かれると、ボウフラ役者ですって答えていました。ボウフラですけど、そのうち蚊になって一刺ししますよって(笑)」

その後は俳優として、『遠山の金さん』『新五捕物帳』など時代劇を中心に活躍。歌手としても人気を集め『すきま風』などのヒット曲を飛ばす。

被災地に自ら足を運び支援活動

そして本業の一方で、精力的に取り組んできたのが福祉・ボランティア活動だ。東日本大震災の発生後は、支援物資を載せた車両15台とともに被災地に足を運び、カレーや豚汁を合計2万食も振る舞った。

被災地支援は東日本大震災に限ったことではなく、阪神・淡路大震災、新潟県中越沖地震などの際も私財を投じて支援に乗り出している。それも全て「明日は我が身、人ごとではない」の思いが根底にあったからだという。

「いつ自分が被災者になるか分からないだけに、できることは何でもやらねばと思っています。行政の仕組みも見直す必要があると思います。阪神・淡路大震災では実家も被災しましたが、本来は神戸が壊滅状態になったときに、周辺の自治体や関東など遠隔地の自治体と連携できるようにしておくべきでした。そうすれば行政手続きなどの停滞は起きなかった。今からでも、万一のときは横のつながりで連携していく危機管理の仕組みづくりが必要です」

半世紀以上続けてきた刑務所慰問

刑務所慰問・視察は今年で55年目を迎える。長年にわたる功績が認められ、平成20年には法務省から民間人として初の特別矯正監に任命される。受刑者更生支援などの奉仕者と認められ、紺綬褒章、緑綬褒章も受章した。

社会問題となっている高齢者の万引きは女性が多く、女性刑務所は過剰収容が続いているという。高齢の受刑者が増えたことで、認知症や白内障など医療・介護面の対応も不可欠と杉さんは力を込める。

「一部には介護施設化しているような刑務所もあるんです。寝返りが打てない、箸を持てない、顔も洗えないといった受刑者もいます。本来は介護の資格がないといけないのですが、医師不足からやむを得ず刑務官や受刑者が面倒を見ているケースもあるほどです。こうした問題の改善を提言し続けてきたことで、平成26年度は医師の拡充などの予算が組まれるように取り組んでいます。再犯率を減らす取り組みも課題の一つです。現在、受刑者はホームヘルパー2級までの資格しか取得できませんが、テストケースとして始まっている准介護士の資格取得への道を開く取り組みを拡充する必要もあります。なぜ再び犯罪に手を染めるかといえば、仕事がないことが大きな理由の一つです。外へ出ても手に職がなければ生活できない。この悪循環を断ち切る対策が欠かせません」

81人ものベトナム孤児の里親に

杉さんの活動の中で、もう一つ特筆すべきはベトナムとの交流だ。外務省から日本初の「日ベトナム特別大使」に委嘱されているほか、ベトナム政府からは「越日特別大使」に任命されている。

ベトナムとの関わりは平成元年、ベトナム戦争で行方不明になった兵士の親族のためにチャリティー公演を開催したのがきっかけだった。以来、四半世紀にわたり両国の友好親善のための活動を続け、昨年はハノイで外交関係樹立40周年を記念した辻井伸行さんのチャリティー公演をプロデュースした。

驚くのは81人ものベトナム孤児の里親になっていることだ。金銭的な支援だけではなく、自分の子どもと同じように愛情を持って接している。

「孤児院は18歳になると出なければならないのですが、大学を卒業するまで住み続けられるようお願いして寮費や生活費、学費を出しています。がんを患った子には日本から医師を派遣し、心臓病の子は日本で治療してもらいました」

当初は子どもたちの面倒をみるなど考えてもいなかったという。

「責任が大きすぎて、とてもじゃないができないと思っていたんですよ。ただ、おもちゃやお菓子を持って孤児院を訪問しても、全然喜んでくれない。何が望みなのかを聞くと、お父さんやお母さんが欲しいって言うんです。それで里親になろうと決心しました」

生半可な覚悟ではできないことだが、何が杉さんをそこまで駆り立てるのだろうか。

「原点の見える人生を送りたいんです。多少曲がりくねった道を歩んでいたとしても、自分の原点は忘れたくない。僕の原点は3歳のころ目にした光景です。神戸の須磨寺で乳飲み子を抱えた女性が、空き缶を前に物乞いをしている。その前を母と一緒に通ったとき、なぜだか分かりませんが無性に何とかしたくなって、母に『何かあげて』と泣き叫んだんですよ。母は困った顔をしながら5円だったか10円を空き缶に入れてくれた。そのとき、僕自身が救われた気がしたんです。それが最初の人助けの記憶であり、僕の原点です」

若手に時代劇を教える「演劇塾」を立ち上げ、自ら木刀を振って見本を示すなど今なお情熱は衰えず、「人が夢を持って大きく育つのが喜び」と語る杉さん。これからもあえていばらの道を往く覚悟を決めているという。

杉 良太郎(すぎ・りょうたろう)

昭和19年兵庫県神戸市生まれ。40年9月、コロムビアレコードよりデビュー。42年、NHK『文五捕物絵図』主演で脚光を浴びる。デビュー前から始めた刑務所慰問など数々の社会貢献活動が評価され、紺綬褒章、緑綬褒章を受章。数多くの大臣表彰も受けている

写真・山出高士

文・麻生寿

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