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100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 常に顧客のニーズをくみ取り、ひと工夫する商品開発を続ける

馬印

愛知県名古屋市

戦争で一度は全てが灰に

天に向かって勢いよく駆け上りそうな、巨大な馬のブロンズ像が社屋入り口で出迎えてくれる。チョークと黒板、ホワイトボードなどを製造販売する馬印は、明治29年に加藤白墨製造所として創業した。

「現社名の『馬印』は、初代の加藤杉太郎が午年生まれで、その兄の名も志馬太郎であることから、創業時に商標として考えられたものです」と由来を紹介するのは、自らも午年(昭和41年)生まれの四代目・加藤泰稔さんだ。

大正時代になると、学校の授業でチョークが本格的に使用されるようになる。昭和初期には中国大陸や東南アジアにも輸出をするなど業績は好調だったが、太平洋戦争勃発により原料である石こうの入手が難しくなり、生産が激減した。

「戦争で工場が焼けてしまい、製品も資料も全て灰になってしまいました。だから昔の会社の詳しいことが分からないんです」と泰稔さんは残念そうな表情を見せる。

終戦後、昭和22年から名古屋市内でチョークの製造を再開する。

「ところが間もなく、二代目の陽之助が脳梗塞で倒れたのです。三代目で父の銑一は中学を卒業したばかりでしたが、長男としての責任感から家業を手伝うことを決意しました。夜は定時制高校に通い、昼は経営者として、大変な苦労をしながら懸命に仕事に打ち込んだそうです」

現在の場所へ移転した30年代には木製黒板の製造を本格的に始め、北米にも輸出。銑一さんの努力もあって、高度成長期に国内外で販路を広げた。46年にはホワイトボードの製造をスタート。さらに創業80周年にあたる51年に新設した小牧工場でスチール製黒板・ホワイトボードを増産するなど順調に事業を拡大し、製品のラインアップも積極的に広げていった。

「現在は学校、オフィス、小売店、病院向けの掲示板やパーティション、展示・ポスターパネル、サイン(案内表示板)、店舗用品、文具用品など2000アイテムを製造販売しています。平成16年には『愛知ブランド企業』に認定されました」

創業者の考え方を実践し新システムを生み出す

泰稔さんは大学を卒業後、卸売会社に3年間勤務し、26歳で馬印に入社。14年に社長就任後は、会長となった銑一さんと二人三脚で経営に携わってきた。

 創業者の杉太郎が実践してきた「企業は人なり」という考え方を基に、同社は品質向上のための情報吸収力、全社員による商品開発や改善提案、顧客ニーズをいち早くキャッチする人材育成、企業の発展と社員への成果配分などを実現するのは、「人・物・金・情報」の4要素が核になるという理念を受け継いできた。それが形となったのが、平成6年に開発したレーザー罫引システムだ。

「当時、ホワイトボードのけい線が、こすれて消えるというクレームが多かったのです。そこで、父が異業種交流会で知り合ったレーザー加工会社の経営者に相談し、協力を得て開発しました」

従来のけい線は、職人が手作業で描くか、シルクスクリーン印刷だった。しかし、手作業だと時間がかかり、シルクスクリーン印刷は原版が高価なため、少量の受注生産ではコストが高くなる。これに対しレーザー罫引システムは、コンピュータ制御されたレーザー光線で、ホーロー製のボードの表層を溶かして下層の色を出すので、時間やコストがかからず複雑なデザインも可能だ。また、刻まれたけい線はこすれて消えることがない。顧客のニーズに真摯に向き合い、異業種交流でつかんだ情報を生かして実現した、業界における「時短革命」「コスト革命」だった。

今ではホワイトボードの9割以上がレーザーでの描画となり、大きな利益をもたらしているという。

他にも、ホワイトボードに描いた内容をスマートフォンに撮影するだけで手軽に記録できるデジアナボード、フィルム素材を使った軽量・安全なミラーボードなど、多くのユニークな商品を開発しているが、泰稔さんは「常に顧客のニーズをくみ取って商品を開発してきました。そして、他社と同じことはしない。たとえ同じような商品であっても、必ずどこか違うひと工夫をするのが馬印の社風なのです」と力を込める。

ユーザーの目線を大切にチャレンジを続ける

昨年の初め、会長として経営を引っ張ってきた父の銑一さんが亡くなり、社長の泰稔さんが会社のかじ取りを一手に引き受けることになった。

「若いころは経営方針を巡って対立したこともありました。でも、今ではやることがどこか父に似ていると気付くことがよくあります。知らず知らずのうちに背中を見て学んできたんでしょうね」

泰稔さんは、代々受け継いできた理念が書かれたファイルを常に傍らに置き、社員全員に徹底するとともに、自らも経営者として日々心にとどめて実践している。

また、「企業は人なり」という基本に立ち返り、全社員を対象にした食事会を定期的に実施。さまざまな意見を聞いてコミュニケーションの深化を図っている。

昨年10月には、コーポレート・アイデンティティーを制作。馬を描いた伝統ある商標とは別に、人と人とのつながりと社名の頭文字「U」を表すマークとした。

「まだ喪が明ける前でしたが、平成26年の午年に合わせて、心機一転するために決断しました。今後はさらに顧客の目線を大切にし、カタログも変えていこうと思います。QRコードを活用してスマートフォンなどで詳しい情報を引き出せる仕組みをつくるなど、どんどん新しいことにチャレンジしていきたいですね」と泰稔さん。馬印はこれからも、駿馬のごとく飛躍を続けていくことだろう。

プロフィール

社名:株式会社 馬印

所在地:名古屋市中川区山王3-16-27

電話:052-322-2811

代表者:加藤泰稔 代表取締役社長(四代目)

創業:明治29(1896)年

従業員:75人

※月刊石垣2014年2月号に掲載された記事です。

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