自然が多く残る名古屋のベッドタウン
JR名古屋駅から中央本線の快速(中津川行)に30分程乗車していると車窓の景色が一変する。愛知県名古屋市中心部から続いていたビルや住宅に代わって、青葉が生い茂った木々が車窓越しに現れる。これは濃尾平野の東端に到達し、それを過ぎたことを表す。その木々の合間からは渓谷が見え、いくつかのトンネルを抜けると再びビルや住宅が立ち並ぶ風景に戻り、視界が広がる。そして、およそ10分乗車していると土岐市駅に到着する。
土岐市は、岐阜県の南東部に位置する。名古屋市から40㎞ほどの距離にある人口5万9千人弱の都市。名古屋のベッドタウンでもある。市内には、インターチェンジが3カ所あり、車を使うと東京へは約4時間、大阪へは約2時間で移動できる交通の要衝である。同市の東側は同県の瑞浪市、西側は同県の多治見市、南側は、県境を挟んで愛知県瀬戸市、豊田市が隣接している。土岐市に近隣の多治見市や瑞浪市、恵那市、中津川市などを含むこの地域一帯は、美濃国の東部を表す‶東濃〟地域と呼ばれる。1990年代に首都機能移転が議論された際には、その移転先候補の一つとして注目された。最近では、本地域の中津川市にリニア中央新幹線の駅が設置されることが決まったことから、再び注目を集めている地域である。
須恵器が由来の美濃焼
「土岐市が焼き物生産量日本一であることをご存じですか」と問いかけるのは、土岐商工会議所の白石文伸会頭。
日本では古くから陶磁器づくりが行われており、その産地は全国に点在している。その中で国の伝統的工芸品に指定されている陶磁器は31種類ある。もちろん土岐市を含む岐阜県東濃地域で生産されている「美濃焼」もその一つだ。数ある陶磁器の産地の中で、美濃焼の生産シェアは43%を占めている。そして、そのうちの72%が土岐市で生産されており、全国シェアに換算すると、およそ31%に相当する。これは生産シェア第2位の佐賀県(有田焼・伊万里焼など)の15%を倍以上も上回る(出典:平成25年「工業統計調査」)。こうしたことからも土岐市の生産シェアが際立っていることが分かる。
さて、一口に「陶磁器」といっても、これは「陶器」と「磁器」の総称であり、「焼き物」という言葉で表現されることが多い。この焼き物である「陶器」と「磁器」は、原材料や焼き方の違いから、出来上がった製品にも当然違いが生じる。
陶器は「土もの」と呼ばれ、陶土という粘土が原材料だ。ひび割れが起こりやすいため、ガラスの材料となる珪石(けいせき)や長石を混ぜて使う。吸水性が高く、光は透過しない。焼く際の温度は、800~1250度程度。一方、磁器は「石もの」と呼ばれ、原材料は石英や長石などの陶石。これらを粉砕してから粘土と混ぜて使う。吸水性は低く、光は透過する。焼く際の温度は1200~1400度程度と、「陶器」より高温で焼くことが特徴である。
また、「陶器」は表面を叩くと‶ゴン〟というにぶく低い音が、「磁器」は‶キーン〟や‶カンカン〟という金属的で高く澄んだ音が鳴る。「美濃焼」は、この「陶器」「磁器」のいずれも生産している。
その歴史は古い。5世紀頃、朝鮮半島より「須恵器」の製法とともに、ろくろと窖(あな)窯(地下式窯)が、わが国に伝えられたことが始まりであるという。7世紀頃になると「須恵器」の製法が美濃(現在の土岐市周辺、東濃地域)に伝わり、当地域でも窯を築き、1000度以上で焼成した丈夫な焼き物「須恵器」の生産が始まった。
10世紀ごろになると中国の磁器に似せ、灰をうわ薬とする施釉(せゆう)陶器(白瓷(しらし))の製法が伝わる。その後、平安時代末期になると高級陶器であった白瓷に代わり、一般庶民向けに無釉の山茶碗が生産される。
鎌倉・室町時代には、山茶碗に加えて、古瀬戸・灰釉と鉄釉などが焼かれるようになり、その後期には、「大窯」と呼ばれる単室の窯の使用が始まった。
安土桃山時代に茶の湯が流行すると茶陶の世界が生まれた。織田信長の保護の下、千利休や古田織部の指導により、美濃の陶工たちは「灰志野」「志野」「織部」「瀬戸黒(引出黒)」などを次々に生産した。山の斜面を利用した「連房式登窯」が使用されるようになったのもこのころで、その生産の中心が、現在の土岐市である。
江戸時代中期になると、日常生活で使われる鉄釉や灰釉の碗・皿・徳利などが生産の中心となった。中国の青磁に似た御深井釉(おふけ)や白釉を施した焼き物も生産されるようになり、全国に流通した。美濃窯の焼き物は、江戸時代中期頃までは一種類の粘土を使った陶器が主流であったが、同後期になると、原料に粘土のほか、石英や長石を混ぜた磁器の生産も始まった。
明治時代に入ると他産地との競争が激しくなったことから、製品別分業制が進んだ。その結果、低コストによる陶磁器の生産を実現。さらに、大正時代末期ごろから電力の供給が始まると生産工程における機械化が進み、当地域の生産規模も大きくなった。昭和初期には高級品の需要が増加し、機械化とともに技術力が向上した。このような歴史を経て現在、美濃焼は日本一の生産量を誇るまでに至ったのである。
美濃焼が売れることが一番の地域活性化策
このように歴史をたどってみると、順風満帆のように思えるが、「実はさまざまな課題を抱えているんです」とやや厳しい表情で語る白石会頭。
「美濃焼の生産は分業が進んでいます。その川上にあたるのが原材料の陶土の採取です。ところが、その量が年々減少しています。当面は在庫によって賄えますが、将来の見通しは立っていません。最悪の場合は枯渇の可能性もあります。そのため、新たな鉱山の開発・採掘のためにボーリング調査の実施を行政に要望しています。ただ、宅地化が進んだことでボーリング調査の範囲が限られてきており、その対応が急がれます」
「また美濃焼にとって重要な工程の一つである上絵付けは、その技術の伝承が後継者不足で進んでいません。そこで当所では『絵付技術伝承小委員会』を立ち上げ、『美濃焼に従事する人、もしくは従事しようとする人』を対象に『絵付伝承塾』を開催したところ、早速、受講者の中に美濃焼の職人として従事する人も出てきました。
そして今般、絵付けに携わる方々やその作品の認知度を高め、視野を広げることで、絵付技術を後世に‶伝承〟することを目的とした展示会『美濃焼上絵付・土岐』を、本年11月2日から4日までの3日間開催します。今後もこうした事業を展開し、美濃焼業界を支援してまいります」
「美濃焼の販売は、当地域の商社が主に担っています。近年は、地域間競争や安価な海外製品との競合などの影響で販売数が減少しています。そのため新たな販売先の開拓が喫緊の課題です。先日、当所では美濃焼の生産者や卸売業者を対象にした『展示会活用セミナー』を実施しました。その受講者が中心となって来年2月に東京で開催される‶rooms EXPERIENCE〟への出展を計画しています。さらに海外にも販路の拡大を図っています。その対象地域は東南アジアの国々です。各国の富裕層を中心に高級品が売れることが大きな魅力です。しっかりとした販売ルートを確立したいと思います」(白石会頭)
また、白石会頭は「販売額の減少には、焼き物を直接手に触れる機会が減っていることも影響している」と指摘する。
当市では毎年5月3日~5日の3日間、土岐美濃焼卸センターが日本三大陶器まつりの一つであり、来場者数が30万人を超える「土岐美濃焼まつり」を開催している。昭和52(1977)年から40年以上続くこのまつりには、美濃焼の代表格である志野焼や織部焼、黄瀬戸焼から磁器製品までありとあらゆる陶磁器がそろう。会場は、美濃焼の卸問屋が集積している‶織部ヒルズ〟(前述の‶古田織部〟の名に由来)。同ヒルズ内の卸問屋各社が倉庫を開放し、併設ショップで販売も行う。道路は歩行者天国となり、1㎞以上にわたり連なるテントには、約300の製造、卸売、小売業者などが参加する。
「本まつりで美濃焼を手に取っていただき、その良さを実感してもらうことで販売の拡大につなげていきたいと考えています」と白石会頭は語る。
加えて「現在では生活シーンを思い浮かべながら、陶器を選ぶことができる店舗が全国的に少なくなってきています。その中にあって、当市にお越しいただければ『道の駅 志野・織部』『道の駅 どんぶり会館』に『織部ヒルズ』を加えた3カ所で、より多くの美濃焼に出会えます。いずれの施設も車で数分の距離なので、ぜひ立ち寄っていただき、美濃焼を購入してもらいたいですね。美濃焼が売れることが、なによりも一番の地域活性化策ですから」(白石会頭)
進む観光振興への取り組み
土岐市という地名は、平成17(2005)年3月にオープンした‶土岐プレミアム・アウトレット〟によって、全国に知れわたる。このアウトレットは中央自動車道の土岐ジャンクションから分岐した東海環状道の土岐南多治見インターチェンジからわずか数分の位置にある。東海圏を中心に年間700万人を超える買い物客が訪れるという。
「買い物客の多くは、当然のことですが全ての買い物をアウトレット内で済まされます。そのため買い物後に、市内各所まで足を延ばすことが少ないようです。このお客さまの1割でも2割でも足を運んでいただけるとありがたいのですが……。ただ、そのためには、飲食店の充実なども必要です」
「また10年後の2027年には、リニア中央新幹線岐阜県駅が中津川市に開業することから観光客の増加が期待されます。そのため当所では、新たに『観光委員会』を設置します。同委員会では市内各所を巡る観光コース作りに取り組んでいきたいと考えています。例えば、1時間や3時間、1泊という時間を区切ったコースに、季節によっては地元のお祭りを組み込むなど、きめ細かい提案型・体験型の観光コースにしたいと思います。これらをまずアウトレットのお客さまにご提案し、10年後のリニア開業時までに万全にしておきたいです」(白石会頭)
焼き物生産量日本一という強力な武器に、観光という新しいパーツを加えて始動する土岐市。10年後どのような姿を見せてくれるのか、とても楽しみな都市である。
写真提供:土岐市観光協会
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