事例2 畑違いの農機開発に乗り出し国内唯一のメーカーへ
オサダ農機(北海道富良野市)
子どもの頃から機械が大好きで、自動車ディーラーに就職して整備の腕を磨いたオサダ農機社長の長田秀治さんは昭和47年6月、26歳で故郷の北海道南富良野に整備工場を立ち上げた。事業は順調だったが平成2年、畑違いともいえる農機の開発に乗り出した。
どうすれば差別化できるか
――長田はエンジンの音を聞いただけで故障箇所が分かる――
ディーラーで腕を磨いただけあって長田さんの整備工場「南富自動車サービスエリア」はすぐに評判になった。その後も整備工場は順調に発展していたが、昭和から平成になる頃から競争が激化、「同業他社との差別化が必要だと感じていました」。そこで長田さんは整備業激戦地の静岡県への視察や、経営者セミナーに出席するなど研究を重ねた。
「講師は異口同音に多角化の時代だと言う。『多角化とは何か? 』と質問すると『整備だけでなく自動車を売ったり保険を売ったりすることである』という回答でした。でも、それでは同業他社との差別化にはならないと感じました。他に何かないかと探しているとき、南富良野農協(現ふらの農協)の担当者から、ニンジンを収穫する農機の開発を頼まれたのです」
当時、富良野地方のニンジン作付面積は全道の4割(2年時点で約1097ha、JAふらの調べ)を占めていて、その半分が南富良野に集中していた。ニンジンの収穫期間は100日ほど。このころは人海戦術しか手段が無かったため、1097haの畑には1日約300人(1日の1人当たり収穫面積は3a程度)もの人手を必要とした。ところが世の中はバブル景気の真っただ中。ドラマ「北の国から」で観光地として注目を浴びた富良野にも開発の波が押し寄せて働き手の奪い合いとなり、農業は深刻な人手不足に陥っていた。
農機大手がニンジン収穫機を販売していない理由は収穫機械部分の設計が難しかったことと、あまりに畑が北海道に集中しすぎていて全国での需要が見込めないことにあった。
「私は難しくて数が出ないものを手掛ければ大手が進出してこないと考えていました。だから、成功すればオンリーワン商品を手にできて、他社との差別化が図れるだけでなく多角化も実現できると確信しました。天が与えてくれた転機だったのでしょう」
片手間ではできない
ところが水面下では大手のクボタもヤンマーも、道内の旭川や札幌の農機メーカーも、開発に乗り出していた。
「そんな業界の動きは自動車屋にはわからなかったから、試作機の試験のためにニンジン畑へ行くと、他社の試作機が動いていて驚きました。『これはやられる』と腹をくくりました。でも私は孤軍奮闘ながら地元からの要請を受けて開発に乗り出したという『利』があったのです」。農協からの支援はもちろん、ニンジン畑を貸してくれた生産者も協力的だった。
「ただニンジンの生え方、収穫の仕方、農機の仕組みから勉強しなければならない素人だったので、本業の自動車整備のほうは10人いた従業員に任せきりになってしまいました。片手間でできるものではありません」
患者は医師を頼って病院へ行く。お客さまだって長田さんを頼りにして車を持ち込むのに、いつも不在。農機開発に掛かり切りになったせいで多くの人から「整備工場がつぶれるぞ」という忠告を受けるようになった。
「不在とはいえ近くで開発作業をしています。いざとなればアドバイスもできます。彼らに多くのことを任せたおかげで従業員に責任感が芽生え、見違えるほどに成長してくれました。これは予想外の成果でしたね」
何度も改良を重ね大手の小型機をしのぐ
2年の開発期間を経てニンジン収穫機「スーパーキャロットル」が完成。5年にはふらの農協に、一度に2本の畦溝に生えるニンジンを収穫できるオサダ製2条堀大型機5台(1台1500万円)と大手製の1条堀小型機21台(1台350万円)が納入されて、同年の7月から動き始めた。
「うちの機械は故障ばかり起こしていました。試験畑とは土質が違ったのです。そんな中で大手の小型機は調子よく動いていました。農協担当者や農家の人に謝って機械を回収し改良して翌日持ち込む日々が続きました」
夏が終わり雨の多い秋を迎えると、大手の小型機の故障が目立つようになる。しかしオサダ農機のように地の利が無く改良に時間が掛かってしまった。逆にオサダ農機の大型機は連日の改良が実を結んで故障が減少。翌年には立場が逆転した。こうしてニンジン収穫機の生産は軌道に乗り、続いて大根収穫機、スイートコーン収穫機、キャベツ収穫機というようにバリエーションを拡大していく。
15年6月、自動車整備部門からオサダ農機が独立する。17年には大型ニンジン収穫機では国内唯一のメーカーとなり、大手と業務提携して販路を全国に広げた。21年には優れた業績を上げている企業として富良野商工会議所の「エクセレントカンパニー賞」を受賞した。
オサダグループは26年度の売上高目標10億5000万円を達成している。そのうちオサダ農機の売上高は半分の5億3000万円(26年12月期)を占める。
大手の依頼で海外向けの開発もしているが「単独で進出するつもりはない」という。それよりも急務は会社の後継者はいるが、後継者に協力する開発専門スタッフの育成である。広い道内にはきっと新たな転機を待つ第二、第三の長田青年がいるはずだ。
会社データ
社名:オサダ農機株式会社
住所:北海道富良野市字扇山877番地3
電話:0167-39-2500
代表者:長田 秀治 代表取締役社長
従業員:20人
※月刊石垣2015年5月号に掲載された記事です。
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