今号は創業した事業、引き継いだ家業に固執せず、経営資源を新たな分野に集中することで、成功を収めている事例を紹介する。
事例1 割烹料理屋流のおもてなしで多くのリピーターを獲得
ホテルナンカイ倉敷(岡山県倉敷市)
大手ホテルチェーンが効率性を追求する中、その逆をいくおもてなしサービスの提供で宿泊客を増やし、インターネットの口コミでも常に高い評価を得ているホテルナンカイ倉敷。その成功の秘密に迫る。
旅館からビジネスホテルへ
倉敷市南部の水島地域は、日本有数の規模を誇る水島臨海工業地帯の中枢を成す。地域がそんな姿に変わる少し前の昭和32年、割烹旅館「南海」は創業。当時、周辺には娯楽施設も気の利いた食事ができる場所もあまりなかったため、個室で料理を提供する割烹旅館は企業関係者から重宝され、宴会や接待などで頻繁に利用された。
「2階の広間からはしょっちゅう三味線や太鼓の音が鳴り響いていました。あのころは企業がお金を使えた時代。その様子は子ども心にもすごいなあと思ったものです」と同旅館経営者の息子で、現在ホテルナンカイ倉敷で社長を務める田中安彦さんは当時を懐かしむ。
割烹旅館の経営は順調で、43年には近くに2軒目の料理屋「どんこ」を、53年には3軒目となる居酒屋「三次」を開店。順調に事業を広げていった。
ところが時代の変化とともに割烹を利用する企業の需要に陰りが出始める。そして63年、旅館を廃業。家業を継いでいた田中さんは、残った料理屋と居酒屋を続けながら、旅館跡地の活用法を模索していた。「飲食店をやっているといろいろな情報が入り、『今はホテル需要が伸びているよ』という声を耳にしたんです。思えばこの周辺には手ごろな宿泊施設もなかったので、ビジネスホテルはどうかと考え始めました」。
ビジネスホテルは主要駅や中心市街地の周辺に出すのが常識だったため、どちらとも離れた場所での開業は「誰からも反対された」と安彦さんは言う。しかし、水島臨海工業地帯には近く、企業の利用が期待できるほか、瀬戸大橋に通じる瀬戸中央自動車道の水島インターチェンジへのアクセスもいい。出張だけでなく観光拠点としても利用してもらえるのではと考え、反対を押し切り、あえてその地での開業を決意した。
お客さまが喜ぶことは何でもしていきたい
平成7年に地上10階111室を擁するビジネスホテルに生まれ変わったホテルナンカイ倉敷は、当時の業界としては異例ずくめだった。全国チェーンの多くは現場作業を標準化し、マニュアルなどに基づいたサービスの提供で効率化を追求している。フロントで鍵を渡した後は、スタッフと宿泊客との接点がほとんどないところも珍しくない。食事にしても外部業者に委託し、朝食はバイキング形式のところがほとんど。その方がコストダウンになり、苦情も減るためだ。
そんな中、安彦さんはこうした世の中の常識とは正反対の決断をする。効率性よりも、スタッフ一同がおもてなしの心を持って接客するという方針を打ち出したのだ。オープン当初から宿泊客が来ればロビーでお茶を出し、荷物を運び、見送りにも出た。料理は全てホテルがつくる。場所柄、出張や単身赴任で利用する男性客が多いと予想し、高級料理よりも家庭料理をメーンに煮物や野菜を取り入れた少量多種のメニューを考案するなど徹底的にお客さまへのおもてなしにこだわった。「特別なことをしているとは思いませんでした。もともと割烹料理屋だったので、お茶を出し、帰りは見送るのが当然という発想です。私たちの中には『こんなところまでわざわざ来ていただいて申し訳ない、本当にありがたい』という気持ちがあり、お客さまが喜んでくれることは何でもやろうと思ったのです」と安彦さんの妻で支配人を務める正子さんは語る。
苦情は進化のチャンス
宿泊料金は一般的な地域のビジネスホテルと比べて1000円ほど高い。しかし、全国チェーンのホテルがやりたがらないおもてなしを徹底し、宿泊客一人ひとりに満足していただくことを優先した結果、口コミで高い評価を得た。リピート客も多く、中には「家にいるより居心地がいい」と言うファンもいるほどだ。
だが、もちろん苦情が出ることもある。特にオープン当初は、社長をはじめスタッフのほとんどがホテル勤務未経験者だったこともあり、「よくお叱りを受けた」(安彦さん)という。そのときはきちんとおわびをして、宿泊客の意見や要望に対して耳を傾け、その場で解決するよう心掛けた。
「人間がやることだから、いつも万全ということはありません。ときにはトラブルも起こります。そこだけを見るとピンチですが、足りないことを知る機会でもあり、適切に対処すればチャンスに変わります。今までたくさんのお客さまをお迎えしてきた中で、お叱りを受けたお客さまほど親しくなり、リピーターになっていただいている気がします」と安彦さんは言う。
支配人を務める正子さんは、常に接客の現場に立ち、お客さまに声を掛け、会話をするようにしているという。その中から宿泊客が望んでいることを感じ取り、できることはすぐに実行に移す。例えば、「キュウリが苦手」と言われればメニューからそっと外したり、体調がすぐれないと分かれば食事を部屋まで運んだり……。そうしたかゆいところに手が届くサービスを積み重ねることで、ホテルナンカイ倉敷は進化を遂げてきた。支配人のそんな姿を見習い、スタッフ全員が目配りや気配りを大事にしている。
接客業でおもてなしは当たり前となりつつある。しかし、ビジネスホテルで旅館並みのおもてなしを実践するホテルは、希少な存在といえるだろう。「『笑顔で帰ってもらおう』が合言葉。それに向かって日々努力してきたことで、常に安定した稼働を維持しています。とはいえ、最近はどこもおもてなしには力を入れていますから、これで満足していられません。現在コンピューターシステムの入れ替えを進めており、いろいろなことを数値化して生産性を上げるとともに、現場の作業負担を軽くして、今まで以上にサービスを充実させたいと考えています」と安彦さんは抱負を語る。
利用者から絶大な支持を受ける地方の小さなホテルは、今も進化を続けている。
会社データ
社名:株式会社ホテルナンカイ倉敷
住所:岡山県倉敷市水島西千鳥町1-25
電話:086-446-0110
代表者:田中安彦 代表取締役社長
従業員:28人
※月刊石垣2015年5月号に掲載された記事です。
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