「義父と義母から贈られたけれど、気に入らないからキャンセルしたい」
こんな電話をかけてきたのは、小さなお子さんを持つ母親だったという。同じような電話を何本か受け、その人は自らが身を置く業界に「著しい危機感を覚えた」と当時を振り返る。
その人とは、節句人形製造販売を営む「ふらここ」の原英洋さん。100年以上続く人形師の家柄の三代目として、家業の人形店で働いているときのことだった。
古くして古きは滅ぶ
桃の節句と端午の節句は子の成長を願い、家族の絆を深める機会として古くから親しまれる日本の伝統的な季節行事である。しかし、その市場は衰退を続け、典型的な構造的不況業種になっている。団塊の世代のころには270万人あった出生数が、いまや3分の1以下の約86万人。少子化による絶対数の減少ばかりでなく、節句人形を購入するのは、その3分の1にまで減っていると原田さんは言う。
問題の根源には「伝統の呪縛」がある。何しろ雛(ひな)人形の風習は1200年あるといわれる業界だ。
七段飾りの雛人形に象徴されるように、節句人形を飾るには広いスペースが必要となる。しかし従来の商品は、核家族夫婦の居宅には大き過ぎるサイズである。
人形の顔はうりざね顔をもって良しとされ、そうしたものをつくれるのが良い職人とされてきた。しかし、その伝統的なデザインは今の子育て世代の好みにはほど遠い。大きさとデザイン、この二つが顧客ニーズからかけ離れてしまっている。だから、いくら親からの贈り物でも「気に入らないからキャンセル」となるのだろう。
こうした需要減少の結果、節句人形業界では値引き販売が横行。実勢価格は下がり、そのしわ寄せはつくり手である職人にも及んでいる。「このままでは日本古来の文化が消滅する」と原さんは危機感を募らせた。
古くして新しきもののみ不滅
伝統的な業界ゆえに、その伝統が変化への対応を邪魔した。
本来、顧客一人一人にそれぞれのニーズがあり、それを商品開発に取り入れ提供するのは、他の業界ならば当たり前だが、伝統を重んじてきた職人とっては違った。
「どうしてお客さまの言いなりになる必要があるのか?」
「そこまでお客さまに迎合する必要があるのか?」
こうした反発を招き、原さんの願いは聞き入れてもらえることはなかった。
また、節句人形の流通は、人形のパーツをつくる職人、組み立てる職人、それらを差配する卸、そして販売店という多層的な構造を持っている。その複雑さも、変化への対応を遅らせた。
原さんは、こうした業界の縛りから自由になろうと決意し、「ふらここ」を2008年に45歳で起業。顧客ニーズに耳を澄ませ、伝統を創造的に次々と破壊していった。
45センチ立方体に収まるコンパクトな商品開発。うりざね顔ではなく、赤ちゃん顔のかわいらしいデザイン。インターネットによる販売。製販一体のビジネスモデル。そして、職人を大切にする経営――。
結果、値引きとは一切無縁で新しい市場を創造している。原さんは、節句人形を買う3分の1のマーケットを狙って価格競争をしたのではなく、節句人形を買わない3分の2のマーケットの〝買わない理由〟を解決していった。
商いとは、不便、不満、不足、不利、不快といった「不」の解消業。コロナ禍の今、あなたの商いに見落としている「不」はないだろうか。
(『商業界』元編集長・笹井清範)
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