豊島 英 (とよしま・あきら)
1989年2月16日福島県生まれ。障がいクラスは2.0、ポジションはガード。
クラブは宮城MAX、会社は㈱WOWOWに所属
パラリンピック屈指の人気競技、車いすバスケットボール。キュキュ、ギュッ―激しい車いす操作による床との摩擦でタイヤのゴムが焼けた匂いも時おり漂う。パスやドリブルで運ばれたボールが、低い位置から美しい放物線を描いてゴールネットに吸い込まれる様には胸が躍る。
豊島英も、刺激的な競技に心を奪われた一人だ。生後4カ月で発症した髄膜炎により両脚がまひし、車いす生活となったが、中学2年のとき、養護学校の教師に誘われた講習会で、バスケ用車いすのスピード感に魅了された。
すぐに地元のクラブチームに入り、基礎技術を習得後、2009年にはさらなる進化を期し、強豪の宮城MAXに移籍する。地道な練習でスピードを磨き、翌年には日本代表入りを果たす。パラリンピックにはロンドン、リオと連続出場し、司令塔として活躍。今は、ホスト国として迎える「東京大会でメダル獲得」を目標にハードワークに励む毎日だ。
日本代表は堅い守備から素早い切り返しでスピードに乗り攻撃する「トランジションバスケット」を戦略の軸に据える。卓越したボールさばきと磨き上げたスピードが持ち味の豊島は、チームに欠かせないピースだ。
特にここ数年は競技にすべてを注いできた。15年には練習環境の充実を求め、アスリート雇用で現所属先に転職。リオ大会で2度目の9位に終わると、世界との距離を知り進化するために16年秋から約2年、ドイツリーグで武者修行も行った。19年の大半は原因不明の肩や首、背中の痛みに悩まされた。練習、休養、リハビリの繰り返しで、試合もベンチから見守る時間が長かったがあきらめず、年末にはようやく回復を見た。
コロナ禍による東京大会の延期には、「2020年に合わせてきたので、残念」と吐露したが、「中止でなく救われた。(メダルの)目標は変えずに、もう一年成長する時間ができた」と前を向く。
今は、「勝ち切ること」をテーマに自身の役割と向き合う。「ゲームコントロールなのか、プレーなのか。最後に勝利につなげられるように。一日一日を大切に積み重ねたい」
代表主将の誇りも胸に、今日も車いすを漕ぐ手に力を込める。
車いすバスケットボール
巧みな車いす操作や素早いパスワーク、激しい攻防からの華麗なシュート
コートの大きさやゴールの高さ、出場人数など基本ルールは一般のバスケットボールとほぼ同じ。選手には障がいの程度に応じて、重いほうから0・5点刻みで1・0から4・5点の持ち点があり、コート内の5人は合計14・0点以内で編成する。戦略に基づいた役割分担が重要で、障がいの重い選手が軽い選手をアシストする「ピック&ロール」など多彩な戦術も見どころ。
競技紹介 https://tokyo2020.org/ja/paralympics/sports/wheelchair-basketball/
最新号を紙面で読める!