復興庁はこのほど、『岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2020-2021』を発行した(こちらを参照)。特集では、この事例集に掲載されている商工会議所会員のうち2社の事例を紹介する。また、同庁は、東日本大震災発災10年ポータルサイトを開設し。東北の今や魅力などの発信を行っている(こちらを参照)。
森下水産株式会社
会社データ
業種:水産加工業
代表者:森下 幹生氏[代表取締役]
所在地:岩手県大船渡市盛町字田中島27-23
TEL:0192-27-5100
FAX:0192-27-5120
設立:1982年8月2日
資本金:10百万円
売上:1400百万円(2020年度) 1698百万円(2019年度)
従業員数:120人
震災から力強く立ち上がったグローバル水産加工会社
震災からの学び 周囲のサポートを追い風に前に進む
大津波により、すべて破壊されました。冷蔵庫の中に貯蔵していた魚が泥まみれになり、在庫ロス、廃棄処分、清掃など大変な思いをしました。マイナスをゼロに戻すことが一番大変でしたが、一旦ゼロに戻せば、後は前に進むだけ。金融機関や得意先も私たちを見捨てませんでした。励ましの言葉をいただき、生活物資の支援だけではなく財務上や業務上の後押しもしてもらった。それで前に進めたところは大きいです。
三陸の豊富な水産物を届ける
森下水産株式会社は大船渡魚市場を主とした水産品の買い付け、冷蔵冷凍、加工販売までを行っている会社だ。三陸の水産物を多量に新鮮な状態で確保し、いか・さんま・さば・いわしを中心とした冷凍食品を消費者に届けている。震災で工場、商品、設備など多くのものを失ったが、震災翌年から工場を三つに分けて、少しずつ稼働させてきた。最終的には2012年時点で工場も従業員も8割程度は回復させることができたという。
代表取締役の森下幹生氏は当時をこう振り返る。 「従業員の中には、家族が亡くなった人、家を流された人もいて当時は大変な状況でした。だから従業員も会社に来るどころではありませんでした。小さいスペースからスタートしていきました。工場も少しずつ直しながら、人も少しずつ戻しながらという感じですね」
未来を見据え 新たな基幹工場をスタート
森下氏は1982年に会社を創業し、これまで40年近く三陸で水産加工業を営んできた。先行きの漁獲量減少に危機感を抱き、今後の水産加工業の在り方について日頃から考えていたという。
「専務や本部長をはじめとした役員間で『従来の経営のやり方・商品づくりでは会社の成長が年々厳しくなっていく』とよく話し合っていました。新たなステージへ進み、時代の変化に適応していく必要がありました。助成金があれば施設だけは元に戻りますが、それではただの復興。5~10年先を見据えたら、未来のためにもう一歩踏み出す必要がありました」。
こうして最新の設備を導入し、5~10年先を見据えた基幹工場である第三食品工場が完成した。第三食品工場は消費動向、家庭環境に合わせた生産が可能だ。共働きの家庭が多く、料理に割く時間が減っている現代社会では、食に対して一層の簡便性が求められている。こうした今後ますます高まるであろうニーズに対応するため、電子レンジ加熱ですぐに食べられる焼き魚やフライなど、簡便性が極めて高い商品の製造に特化している。第三食品工場は竣工後4年で軌道に乗り、今では売上高の30%程度を担うまでに成長した。また第三食品工場の新設稼働により、全国の大手コンビニエンスストアなど販路も拡大した。
震災前は11億円前後の売り上げであったが、2017年には震災前の売り上げを追い越し、17億円まで成長した。
グローバル視点での人材マネジメントと原料調達
震災前は90人(うち中国人実習生19人)ほど在籍していた従業員だが、震災後は30人程度まで体制が縮小。外国人実習生は震災後一時的に本国へ帰ったものの、そのうち10人ほどが「また社長の力になりたい。森下水産に戻りたい」と言って、実際に戻ってきてくれた。そうして彼らと一緒になって復興をすることができたことは、会社の誇りだと森下氏は語る。 「現在、実習生の数は25人程度。中国からだけでなく、今年はベトナムからも7人採用しました。日本は人口減少が進み、特に地域では人手不足が問題となっています。そんな中で外国人実習生の彼女らが働いてくれることは、大変ありがたいです」。
また原材料の面でも、三陸市場からの仕入れにこだわるのではなく、外国原料なども利用するなど、グローバル水準での経営を加速させている。
株式会社みらい造船
会社データ
業種:製造業
代表者:木戸浦 健歓氏[代表取締役]
所在地:宮城県気仙沼市朝日町7-5
TEL:0226-25-8984
FAX:0226-22-0547
設立:2015年5月1日
資本金:2,330万円
売上:非公開(2020年度) 非公開(2019年度)
従業員数:131人
HP:http://www.miraiships.co.jp
組合がつないだ気仙沼造船業の灯火 国内有数の設備で世界に挑戦
震災からの学び 唯一無二の価値を模索し続ける
津波被害を受け、一時は内陸に避難した船主たちが、また気仙沼に戻ってきてくれたことがうれしかったです。
お客さまに「この造船所に来てよかった」と思ってもらえるものを追加していかないと、これからの100年を生き抜く会社はつくれないと考えています。基本的なことですが、船主との会話の積み重ねで自分たちができることを模索し続け、日本の漁業を支えていきたいです。
気仙沼の造船業を守るべく組合が誕生
株式会社みらい造船の代表取締役を務める木戸浦健歓氏。以前は気仙沼の地で1932年より続く木戸浦造船株式会社を経営していたが、東日本大震災の発生により経営が脅かされた。「震災後2年ほどは津波で壊れた船の修繕を行っていましたが、人件費や物価の高騰もあり、利益は出ませんでした。しかし船がないと漁師の仕事を奪うことになるので、迅速な船の提供に努めました」。
宮城県気仙沼市は水産資源が豊富な三陸沖沿岸に位置する、国内屈指の拠点漁港だ。漁船建造の歴史も古く、高い技術を持つ造船業者が数多く存在する。その各社が共に震災によって甚大な被害を受け、気仙沼の造船業の存続が危ぶまれた。そんな過酷な状況下で、造船会社や関連事業者が自然と集まり、2013年に造船団地協同組合を設立。気仙沼の造船業の生き残りをかけた戦いが始まった。
同じ仲間と図る造船業の未来
造船団地協同組合の最たる目的は、気仙沼市朝日町にシップリフト方式を採用する造船団地の建設だった。これは高額な投資が必要で、国内でも稀有な施設。陸揚げや進水時の船の上下架を巻き上げ式のプラットフォームに乗せて行うもので、船の横転リスクが軽減され、従来の滑り台式の上架方式と比較し上下架の時間が格段に短縮される。さらには組合員である造船業者、造船関連事業者の事務所を同団地に構える計画により作業・事務の大幅な効率化が期待された。こうして新会社として2015年に創業したのが株式会社みらい造船だった。
そして2019年6月、新造船施設はついに竣工し、同年9月に開業した。船を陸に上げる作業は効率的になったものの、旧施設での作業方式と大幅に変わった部分もあり、実績が見えるまでは時間を要するという。「震災後はとにかく『先代達が積み上げてきたものを絶やすものか』と必死でしたが、同じ気持ちの会社が集まり、協力できたことがうれしかった。組合という意見交換の場は、気仙沼の造船業の発展につながると考えています」と木戸浦氏は語る。
次世代へマインドを継承し世界に挑む
次なる目標は、シップリフト方式の利点を最大限に引き出す施設運営だ。これからも漁船関連の仕事を継続するため、現状維持でなく新しい事業にも挑戦しなければならないという。具体的な策に関しては、復興庁の専門家派遣事業を活用する。また、コロナ禍においては漁船が出せない時期があり、同社の売り上げにも影響が出た。しかし従業員の若返りなど、気仙沼の造船業には明るい兆しも見えている。
木戸浦氏が抱き続ける夢。それは世界で戦える造船所をつくることである。新事業候補として漁船の海外輸出に向けて準備を進めている。海外で使用される船は日本と異なる安全基準が設けられ、違いに合わせた船づくりが要求されるため、幅広い技術を持つ職人や語学堪能な人材が必要だ。
「みらい造船は五つの造船所と二つの関連事業者が合体してできました。造船所はそれぞれ保有する知識や技術が異なります。それらを組み合わせることで生産性を向上させ、空いた時間で新事業に挑戦するなど、シナジー効果を発揮していきたいと思っています」。
気仙沼の造船業の復興において重要なポジションを担うみらい造船。社名が冠する通り、未来をつくっていく。
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