杉浦 佳子 (すぎうら・けいこ)
1970年12月26日静岡県生まれ。障がいクラスはC3、二輪自転車で競う。2018年から楽天ソシオビジネス所属
さまざまな障がいの選手が各自の個性に応じた自転車で、自身の限界に挑むパラサイクリング。杉浦佳子選手は東京パラリンピックの代表に内定し、活躍が期待される一人だ。「皆さまを笑顔にしたい」と意気込む。
45歳だった2016年春、悲劇に見舞われた。薬剤師の仕事をしながら趣味でトライアスロンを楽しんでいたが、練習の一環で出場した自転車レース中に落車。脳挫傷や外傷性くも膜下出血、右肩の複雑骨折など重傷を負った。奇跡的に一命は取り留めたが、高次脳機能障害と右半身にまひが残り、今は杖(つえ)をついて歩く。
事故直後は落車時の記憶も家族の顔さえも忘れていたが、リハビリでエアロバイクにまたがると、ふいに楽しさがよみがえり、夢中でペダルをこいだ。徐々に言葉や記憶、体力も取り戻し、職場復帰も果たした。
パラサイクリングは事故から半年後、知人から紹介された。持ち前のセンスや経験から、17年5月には国際大会に初出場。「障がい者の大会なら勝てるかな」と思ったが、3位に終わり「悔しくて火がついた」。猛練習に励んで急成長、3カ月後の世界選手権では見事にリベンジを果たし、初優勝を飾った。
障がいの影響による「ブレーキのタイミングが分からない」「コースが覚えにくい」といった課題も一つずつ工夫し克服しながら好成績を重ねた。特にロード競技を得意とし、18年には世界大会8戦7勝と活躍、国際自転車競技連合の年間最優秀選手賞も受賞。アジア人初の快挙だった。
高い心肺機能とスタミナを武器に、順調に練習を進める中、東京パラが1年延期になった。「50歳では難しいかも」と引退も頭をよぎったが、生死の境をさまよった事故以来、支えてくれた大勢の存在や、東京パラの自転車競技会場が静岡県であることも励みになった。この5月には久々の国際大会で3位入賞。脚力は依然、健在だ。
「生まれ育った静岡県が会場となるレースに出られることをうれしく思う。生きていくことも大変なご時世に、私を応援し支え、指導してくれた方々への感謝の気持ちを、この晴れ舞台で、結果を出すことで表したい」
強い覚悟を胸に、今日もペダルを踏む脚に力を込める。
自転車競技(ロード)
競技用自転車で、スピードや操作技術を競う。疾走感や駆け引きが魅力!
ルールはオリンピックとほぼ同じだが、障がいの種類で使用する自転車が異なる。「C」クラス(四肢の切断・機能障害など)は二輪自転車、「H」(下肢障がいなど)はハンドサイクル、「T」(脳性まひなど)は三輪自転車、「B」(視覚障害)は2人乗り自転車で競う。屋外の道路を使う「ロード」と自転車競技場で行う「トラック」の2競技がある。
競技紹介 https://olympics.com/tokyo-2020/ja/paralympics/sports/cycling-road/
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