日本でただ一人といわれる水族館プロデューサーの中村元さん。新江の島水族館、サンシャイン水族館など携わった水族館は十数カ所に上る。中村さんがリニューアルを手掛けた水族館は、いずれも集客数が大幅に増加し、収益性の高い施設に生まれ変わっているという。“知る人ぞ知る”水族館再生請負人である凄(すご)腕プロデューサーの素顔に迫った。
都市型水族館を天空のオアシスに変える
取材は、中村さんがプロデュースしたサンシャイン水族館にて行われた。同施設は池袋駅から徒歩で10分ほどのビルの10階と11階(屋上)にある都市型水族館だ。
弱点は山ほどあった。まず立地だ。ここは都会の真ん中だが、お客さまが水族館に求めるのは「海の世界」。また屋上には積載荷重などの制限があるため、水をたくさん使えない。一般的には水槽は巨大であるほど客の入りがいい。
集客にも課題があった。なんといっても大人を集客できていなかったのだ。水族館のあるサンシャインシティを訪れる人は平日で約5万人、土日は10万人にのぼり、そのほとんどが女性であることが分かっていた。さらにビル内のオフィスに通う人もまた女性が多い。そのため、女性に来てもらう工夫が必要だった。その解決に中村さんは独自の手法を用いた。それは女性誌の広告を隅から隅まで見ること。女性に刺さるキーワードを探すためだ。すると、化粧品の広告にもストッキングの広告にも「潤い」という言葉が多用されている。女性は「潤い」というキーワードに弱いのではないだろうか。そこから「オアシス」というコンセプトにたどりつく。
「オアシスという概念があれば水槽が小さくても“気持ちの良い場所”として受け入れられるはず」。中村さんはオアシス感を出すため、炎天下で吹きさらしの屋上を、緑化空間に一新させた。敷地が狭いのであれば空を利用しよう。これで奥行き感が出せる。頭上に水槽を設置して、ペンギンが空を飛んでいるかのように泳がせて浮遊感を演出した。「オアシス」というコンセプトは、若い女性をターゲットにしたからこそ生まれたのだった。
また、会社帰りに寄りたくなる「大人の水族館」であることも強調した。例えば、夏限定のビアガーデンの開催など。その結果、2011年のリニューアル後一年で、集客数は70万人から224万人へ、3倍以上に増えたという。取材当日は平日であったが、開館と同時に女性客を中心ににぎわった。ママ友、学生、外国人観光客らが、まぶしそうに空を見上げていた。
弱点を笑いに変えられたら一人前だと気が付く
水族館プロデューサーとは、単に水族館をつくる仕事ではない。顧客満足度を向上させ、集客数を増やす仕事だ。マーケティングからプロモーションまでを一手に担う。中村さんの強みは、弱点をセールスポイントの武器に変える発想だ。「弱点は条件です。多ければ多いほど人気の水族館に進化します」
発想の原点は幼少期の原体験にあるという。中村さんは教師の家庭に生まれ、文学少年として育った。自宅の本棚には子ども向けの本や図鑑が一般家庭よりはるかにそろっていた。「物知りで勉強ができる子」、周囲にそう認知されていたというが、本人なりに悩みはあった。スポーツが苦手だったのだ。
「幼稚園のとき、足が遅いという弱点を克服したくて一生懸命走る練習をしたのですが、全く成果が出ませんでした。ある日、『生卵を食べたら足が速くなるんやで』と叔父が言うのを真に受けて、運動会の朝、生卵を2〜3個流し込んで、あげく腹をこわしてしまったんです。トイレからやっとの思いで会場に引き返すと、すでに競技は始まっていて、僕はみんながゴールしてからスタートさせられる始末です。絶望しながら走り出すと……観客には大ウケして『頑張れ!』と一斉に僕を応援し始めたのです。僕はすっかりスター気分です。『弱点でも注目されるんや』。人生初の成功体験でした」
大学時代はマーケティングを学び、将来はメディアの世界へ進もうと考えていた。ところが、人気業界のせいか箸にも棒にも掛からなかった。
「これは自慢やないけど僕は大学をオール『可』で卒業した男です(笑)。学業に専念できていない人間を雇ってくれるほど世の中甘くなかった」。縁あって就職したのは鳥羽水族館(三重県)だった。「現場に入ると僕の弱点が浮き彫りになりました。業界で僕ほど生き物に無知な人間はいなかった」。同僚の多くは海洋学部などの出身者で、魚の名前を1万以上も空で言えるようなマニアばかり。「この窮地をどうやって逆手に取ろう」。答えは、徹底的にお客さま目線に立つことだった。「入社当時の僕は水族館の素人です。でも、考えようによってはお客さまに一番近い存在なんですよね。例えば、業界的には常識でも、タツノオトシゴはオスが出産するなんてことは世の常識ではありません」。中村さんは、毎日現場に立ち、お客さまを観察し続けた。するとあることに気が付く。
「解説板を最後まで読み切る人はほとんどいないということです。大人のお客さまは、特定の魚を見に来ているわけではない。水中の雰囲気や魚の浮遊感を楽しんでいるんです」。この気付きが、中村さんの武器となった。中村さんは鳥羽水族館の副館長として顧客視点の展示と運営を進めた。その後独立し、水族館プロデューサーとして、サンシャイン水族館、新江ノ島水族館、北の大地の水族館などを手掛けた。現在も複数の水族館のリニューアルに携わっている。
会社存続の危機を救うのは若手の自由な発想力
中村さんは、「日本の水族館の概念を変えた」と言われている。かつて子どもの教育の場として親しまれた水族館は、大人のカルチャーの場として幅広い世代に愛されるようになった。デートスポットとしても人気だ。そんな中村さんにビジネスのヒントを伺った。仕事に行き詰まったときに、どう行動すべきかを。中村さんはしばらく考えてから、笑顔で、そして静かに語り始めた。
「常識を捨てて組織の弱点が何なのかをもう一度考えること。トップの常識はどうせ変わらない。ならばヒエラルキーを壊すのです。例えば部課長制度をなくしてチーム制度にするとか、若手の責任者を立てるとか。若手が自由な発想ができる組織は強いです。非常識だからアイデアも生まれやすい」
どこか達観したような目で語る中村さんはどんな未来を描いているのだろう。
「僕はもう仕事は満足なので、あとは道楽です。今後は後継者を育てていきたい。今、門下生が全国にいて、そのうち3人が館長として活躍しています。うれしいことです。彼らのような人材を育て、水族館業界を盛り上げていきたい」
そう語る中村さんの頭上をペンギンたちが勢いよく飛んでいった。人にとって心地よい水族館は、生き物たちにとってもきっと居心地がいいのだろう。
中村 元(なかむら・はじめ)
水族館プロデューサー
1956年三重県生まれ。鳥羽水族館で企画室長、副館長を経て独立。水族館プロデューサーとして新江ノ島水族館、サンシャイン水族館、北の大地の水族館、マリホ水族館などを弱点や悪条件を進化の武器に変える手法とプロモーション戦略で成功に導いた。現在も複数の水族館計画に関わる。バリアフリー観光を開発した観光再生の指導者でもある。著書は『水族館哲学』『常識はずれの増客術』など多数。
写真・矢口和也
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