2022年は、日本商工会議所創立100周年に当たる。そこで、今号は記念企画第1弾として、創業100年以上を誇る老舗企業の経営者であり、地域の商工会議所会頭も務めている当主に、創業以来取り組んできた経営の極意と会頭としての地域への思いを語ってもらった。
手を広げず小売業に専念 思い切った決断で発展へ
長野県松本市にある井上百貨店は1885(明治18)年に井上呉服店として創業以来、「まちのデパート」として市民に親しまれてきた。また、単に物を売るだけでなく、店内にギャラリーを併設して文化的な発信も行っている。2000年には郊外にショッピングセンターも創設し、県内外から集客している。
呉服販売は立地産業 良い場所を選んで出店
創業者の井上與作は、江戸時代末期に現在の岐阜県羽島市に農家の次男として生まれた。13歳で米穀商に奉公に出たが、その後綿織物に着目し、農家を相手に行商を始めた。そして松本の地に商機を見いだして拠点とすると、1885年、24歳のときに店舗を構え、井上呉服店を創業した。創業の地は六九(ろっく)町という、当時の松本の商業中心地で、日本海側から塩や物資が運ばれる糸魚川街道の起点という好立地だった。
「呉服販売は立地産業で、店の場所が重要なことから、ここを選んだようです。初代は私の曽祖父で、祖父が二代目、父が三代目、私の兄が四代目で、次男の私が五代目の社長となりました。今の社長は六代目になります」と、現在は会長を務める井上保さんは言う。
井上呉服店は1936年、店舗を当時としては近代的な3階建てに改装し、呉服だけでなく、婦人服・紳士服、化粧品、雑貨なども販売する百貨店となった。
「当時はまだ食料品は扱っていませんでしたが、それ以外のものはほとんど販売していました。店は昔からこの辺りでは進んでいる方で、56年に増築した際には県内初のエスカレーターを設置していますし、72年には一部を改築して冷暖房完備の地上6階建てにしています」
ほとんど商売抜きで文化芸術活動にも力を入れる
高度経済成長とともに井上百貨店も右肩上がりで業績を伸ばしていったが、日本各地で大型店の出店ラッシュが始まり、松本には78年に大型総合スーパーが駅前に進出してきた。井上百貨店ではそれ以前から駅の近くに約千坪もの土地を取得していたが、創業地からの移転は、そう簡単には決められなかった。しかし、大型店進出が決まり、井上百貨店でもそれに対応するために店の移転を決断し、79年に新店舗を駅前にオープンした。これが現在の本店である。
「経営は順調でした。バブルのころには別の商売に投資するとか経営の多角化などという話も来ましたが、うちはそういうことを一切やらず、小売業に専念しました。物を売ることに特化して、自分たちの商売以外のことに決して手を出さないというのが、私たちの考えなんです。私はそれが非常に良い選択だったと思います」と、井上さんは自信を込めて言う。
新店舗移転から6年目の85年に創業100周年を迎えると、文化事業やイベントにも力を入れるようになる。店内のギャラリーでは、二科展(美術家団体の二科会が毎年秋に開催する美術展)や信州アマチュア美術展などの展覧会、音楽リサイタルなどを行っていった。
「文化芸術の活動は、ほとんど商売抜きです。商業施設は販売だけでは成り立ちませんから。それ以外にも、市の音楽文化ホールにスタインウェイのピアノ2台を寄付したり、音楽祭に当初から協力したりしてきました」
店のないところに出店してそこに人を集める時代
そして2000年には、松本市の南西部に接する山形村に「アイシティ21」をオープンした。敷地面積約11万5000㎡、店舗面積約2万5000㎡、駐車台数2000台というショッピングセンターである。
「周囲は畑で、ほとんどの人からそんなところで百貨店が成り立つわけがないと言われました。しかし、モータリゼーション化が進み、これからは店のないところに出店して人を集める時代だと考えていました。また、老舗の店舗を守るという発想から抜け出たということも画期的だったと思います」と井上さんは振り返る。
とはいえ、館内の専門店街へのテナント集めには苦労した。しかし、さまざまな教養講座を運営するNHK文化センターが入ることが決まると、そのネームバリューと集客性の高さから、テナント問題はすぐに解決した。オープン後は、ファミリー層を中心に多くの客でにぎわうようになり、隣の岐阜県から車で1時間以上かけてやってくる人もいる。
「アイシティ21を出店していなければ、今はかなり厳しかったと思います。ただ、少子化の時代、このまま売り上げが伸びていくとは思っていません。現状を維持しながら、ショッピングセンターをさらに進化させて、多くの人に楽しんでもらえる施設にしていかなければいけないと考えています」
地方の老舗百貨店の苦戦も伝えられるが、井上百貨店は堅実な経営と未来を見据えた英断で、厳しい時代も乗り越えていく。
会社データ
社名:株式会社井上(いのうえ)
所在地:長野県松本市深志2-3-1
電話:0263-33-1150
代表者:井上保 代表取締役会長
創業:1885年
従業員:約200人
【松本商工会議所】
※月刊石垣2022年1月号に掲載された記事です。
会員企業のため何ができるかそれをひたすら考える
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