東北・南部地方の伝統食、南部せんべい。もともとは八戸藩(現在の青森県)の非常食であり、小麦粉を水で練って円形の型に入れて圧縮するように焼いてつくられる。
青森県、岩手県全域が主な生産・消費地で、同地域の名物として長く親しまれている。それゆえ、南部せんべいを販売する会社は、戦前には約500社を数えたという。ところが戦後の食生活の多様化により、現在も営業を続けるのは10分の1の約50社以下になっている。
そうした厳しい淘汰を生き残り、トップ企業として南部地方の食文化を現代に伝え続けるのが岩手・二戸市の小松製菓だ。同社の屋号でありブランド名である「巖手屋(いわてや)」のロゴは、両県さまざまな場所で見ることができる。
売上高は27億円超、従業員はおよそ250人を擁し、伝統の味わいに新たな価値を付加しながら成長を続けている。
奉公先で覚えたせんべいを商う
同社は、創業者の小松シキが12歳の頃、青森県の小さな町の奉公先でせんべい焼きを覚えたことから始まる。1918年、シキさんは岩手県二戸市で8人兄弟の末っ子として生まれる。母は嫁ぎ先で次々に子どもを亡くし、また義母の手ひどい仕打ちに絶えかねて、幼いシキさん1人を連れて実家に出戻った。
しかし、裕福だった実家にかつての栄華はなく、困窮に瀕(ひん)する毎日となる。シキさんは苦労を一身に背負う母を少しでも楽にさせてあげたい一心で、尋常小学校時代からさまざまな仕事に精を出したという。
そんな仕事の一つであった、行商の手伝いから商売の楽しさを知ることになる。とはいうものの、ときには吹雪の中を行商に出て雪山で遭難しそうになったこともあったというから、子どもの頃から命懸けの苦労を重ねた。
尋常小学校を卒業すると、せんべい屋に奉公に出ることになった。彼女の仕事は家事、子守りだったが、忙しいときは店に出てせんべいを焼き、販売に携わることもあった。そのときの経験から、のちに南部せんべいで身を立てるようになる。
シキさんが夫婦2人で南部せんべいの店を創業したのが1948年。なけなしの大金で買い求めた手焼きの型21丁からのスタートだった。
夫は農業にいそしみながら、シキさんを物心両面から支えた。シキさんの毎日の睡眠は3時間。しかし、前向きで明るく商売熱心なシキさんの周りには自然と人が集まり、その人当たりのいい人柄は集まった人たちを元気にさせる力があった。
経営者にとって最も大切な仕事
「山に行ったら木を大事にしなさい。川に行ったら水を大事にしなさい」
持ち前の根気強さで商売を続け、気が付くと従業員も200人近くと大所帯になった頃、シキさんは亡き夫がいつも言っていた言葉が心に繰り返し浮かんだという。
「私一人の力ではない、小松の家族だけの力でもない、一生懸命、会社のため、私のため働いてくれる人たちがあって、巖手屋ができたのです。山の木、川の水、会社の人。私は、人を大事にしよう。それが、私の一番の仕事だと考えました」(小松シキ著『むすんでひらいて』より)
それゆえ同社には、シキさんがつくった「三つの誓い」という企業理念がある。
1.もう一度会いたい人格を創ります
2.もう一度食べたい製品を作ります
3.仕事を通して社会に貢献します
会社を大きくすることを目的とするのではなく、社員と商品を育て、世の中のためになることを会社の目的としている小松製菓。こうした人を大切にする「人本経営」の思想と実践は、同社の4代目となる小松豊社長に脈々と引き継がれている。 (商い未来研究所・笹井清範)
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