1988年「あぶない少年Ⅱ」での女優デビュー以降、多くのドラマや映画に出演する、実力派女優の鶴田真由さん。芸歴34年の活動は俳優業にとどまらず、ナビゲーターやナレーター、そして『ニッポン西遊記』と称して仲間と神話を探る旅に出ては著書を出版するなど、縦横無尽だ。第一線で活躍し続ける鶴田さんがこだわる〝表現〟について聞いた。
アルバイト感覚で入った芸能界の扉が次々開く
「学校の合唱コンクールなどでピアノを弾くことはありましたが、演劇部でもなく、人前に出て何かをしようとは思っていませんでした」
そう回想する鶴田真由さんが、芸能界に入るきっかけは高校生の時に訪れる。広告代理店に勤めるいとこからテレビCMのエキストラをやらないかと声を掛けられアルバイト感覚で出演。それがいとこの上司の目に留まると、事務所設立前の今の社長に紹介され芸能界入りした。
「その時は女優になろうという意識は全くなかったので、まさかこんなに長くやることになるなんて思ってもいませんでした」と屈託のない笑顔を浮かべる。
大学卒業が近づき、周囲が就職活動でざわつき始めたときに、鶴田さんもようやく「芸能界に就職した感覚」に切り替わったという。そして1992年に俳優の大沢たかおさんと共演した日本石油のC M「日石レーサー100」で注目を集めると、ドラマ出演のオファーが次々と舞い込む。当時はCMが当たるとドラマ出演が決まるという業界のムーブメントがあり、鶴田さんもその時流に乗ってトレンディー女優の仲間入りをする。
「芝居はやりながら覚えていくしかありませんでした。でも、撮影現場で大勢が一つの作品をつくりあげていく雰囲気は好きでしたね」
トントン拍子すぎる展開だが、実力勝負の芸能界だ。運だけでは短命で終わる。芝居経験がない状態から小さな役をもらい、評価されてはまた少し大きな役を得る。その繰り返しで女優デビューから8年後の96年、映画「きけ、わだつみの声」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞したのは、並大抵の努力ではない。だが、自身の努力には触れることなく、「役をいただいたら、『やる』の一択しかないですから」とほほ笑む。
「やっちゃえばいい」の蜷川幸雄さんのひと言で開眼
ただ、順調すぎるが故に、自分の軸は何かを自問する日々があった。自分は何がしたいのか、表現とは何か、仕事の依頼がくるたび演技の軸が分からなくなっていったという。鶴田さん曰く、「周囲の期待に応えなければと、自分自身を縛っているような状態」に陥った。その時期に出会ったのが、演出家の蜷川幸雄さんだ。
「『いいんだよ、やっちゃえば』。そう言われて、周囲の期待に応えなければと勝手に思っている自分に気付きました。蜷川さんの言葉に、『ですよね』って答えている自分がいて、自分を理解してくれる大人に出会えたことがうれしかったですね。演じたのは社会に反抗する役で、私の中にもそういう側面があったのかもしれません。とても面白がってくれたことを今でも覚えています」
蜷川さんといえば、演技指導の厳しさで有名だ。うまい演技や踊りではなく、度胸を試される演出が楽しかったと振り返る。
その後もテレビに映画に舞台、そしてCMにと引っ張りだこの活躍は周知の通りだが、鶴田さんは俳優業だけではなく、旅番組やドキュメンタリー番組での活躍も目覚ましい。渡航歴も豊富で、大自然や古代文明、世界遺産やシルクロードなどテーマが壮大なロケ撮影にも出演してきた。ある番組取材でアフリカを訪れたことを機に2008年、第4回アフリカ開発会議親善大使に任命され、難民キャンプを訪問した。
「それまでのドキュメンタリー番組づくりとは全く毛色の違ったものでした。中でも印象に残っているのがスーダン。難民キャンプ、NGOやJICA(国際協力機構)などの取り組みを視察させていただき、国家間の外交問題など、政治についてもより深く知るきっかけになりました。この経験で、私自身が急に何か変わったということはありませんが、表現者としてのレイヤー、心象風景が広がった体験にはなったのかもしれません」
自然の摂理に沿った表現を探究する
さらに10年からは、出身地の鎌倉市国際観光親善大使として地域活性化にも貢献している。
「鎌倉は歴史あるまちですが、常に新しい風も吹いているまちで、故郷を美しく活気あるものにしたいという同じ気持ちの仲間がたくさんいます。『やろうよ』と声を掛けるとすぐ集まる、フィーリングでつながるネットワークができていて、親善大使だからというより、一個人として気の合う仲間と何かをやっているという感じです」と楽しそうに語る。
鎌倉市の隣の逗子市にも活動の範囲を広げ、恒例化した5月のイベント「逗子海岸映画祭」には第1回から出演している。コロナ禍で2年間中止になったものの、今年は5月に開催。鶴田さんはトークショーに参加した。
求められる役割の中にあっても、常に自分の軸を持って前向きに取り組む鶴田さん。俳優業以外の活動でも、その姿勢にブレはない。だが浮き沈みの激しい芸能界の中にあって、どう荒波をくぐり抜けて今に至ったのだろうか。
「七不思議でしかないです」と破顔一笑して、こう続けた。
「表現者として嘘のないものをやりたいと思っています。芝居そのものが嘘なのかもしれませんが、だからこそ、体に違和感があるものは表現できなくて、マクロでもミクロでも自然の摂理に反していないものを丁寧に伝えていくことを心掛けています」
ホラーや猟奇的な作品は苦手ですが、自然の摂理に沿ったものなら何でも演じてみたい、自分の可能性を広げていきたいと目を輝かせる。
その思いを裏付けるように、近年は「音」にフォーカスし、自身の内側からあふれてくる創造性を表現することを試みている。
「声も音。その音(=声)を使って何かを表現したいという思いが、ここ最近とても強くなっています。あえて何をするか決めずに、その時、その場で聞こえる音、例えば鳥の声に共鳴して自分の中に浮かんできた言葉を発してみるとか。音を聴き、音を奏でる、という本質に立ち返った表現をしてみたいです」
鶴田さんはそれを〝自然界との協奏曲〟と捉え、音として言葉を奏でたいのだという。女優として無数の言葉に触れ、発してきたからこその境地だろうか、向かう探究心の先は、より精緻でしなやかだ。
型にスッと収まりもすれば、枠にとらわれずに感性のおもむくままに、時に自然界との媒介にすらなる。鎌倉は常に新しい風が吹いていると言っていたが、鶴田さんもまた、常に新しい風に吹かれているたおやかな人物だ。
鶴田 真由(つるた・まゆ)
女優
1988年に女優デビューし、ドラマや映画、CMなど幅広い分野で活動する。96年、映画「きけ、わだつみの声」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。初舞台は2001年、蜷川幸雄さん演出の「真情あふるる軽薄さ2001」。TVのドキュメンタリー番組の出演を機に、08年第4回アフリカ開発会議の親善大使に任命される。10年より出身地・神奈川県の鎌倉市国際観光親善大使も務める。メディアプラットフォーム、noteで写真と詩と朗読のセルフコラボレート「旅をしながら詩を奏でる」を更新中
写真・後藤さくら
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