日本商工会議所は1922年に、日本経済全体の課題に対応するための常設機関としてスタートした。創立100周年を迎えた今年、各地商工会議所・会員企業が未来に希望を見いだすことを目的に、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正氏によるオンライン記念講演会が5月27日に配信された。講演の要旨を誌上にて紹介する。
柳井 正(やない・ただし)
株式会社ファーストリテイリング 代表取締役会長兼社長
このままでは失われた40年、50年を歩むことになる
日本商工会議所は今年創立100周年を迎えるということで、会員企業の皆さまに心よりお祝いを申しあげます。今回、「中小企業こそ世界で稼ぐ」というテーマで話をしていきます。
現在、日本企業は危機的状況にあります。私たち経営者が高い目標を立てて、世界を舞台に商売をしていく決意を固めなければ、日本は坂を転げ落ちるように衰退してしまうという思いがあり、このテーマを選びました。
このところ急激な円安が続いています。そして世界中でインフレが始まっていて、これから日本社会も本格的なインフレになっていくと思われます。インフレで物価は上がるのに給料は増えていないので、国民の生活が大きくダウンすることは避けられません。さらに少子高齢化が急速に進んでいますから、国内の供給する能力は低下する一方です。
この30年間、日本は停滞を続けていますが、その間に海外、特にアジア諸国は大きく成長しています。つまり、グローバルで見れば日本は衰退しているという事実を、もっと強く厳しく認識すべきです。このままでは「失われた40年」「失われた50年」を歩んで行くことになりかねません。
今の日本を生きる若い人には希望がありません。自分の明るい将来を思い描くことができず、能力とやる気がある人はどんどん海外に出ていきます。日本はすでに先進国からずり落ちてきており、このまま転落が続けば貧困国に転落しかねない状況です。
これほど危機的な状況に陥っているにもかかわらず、日本はいまだ豊かな先進国であるという過去の幻想に浸り、現実を受け入れられない国民や企業が大半のように思えます。状況の変化をつかみ、新たな道を一から切り開こうとせず、自分は何とか逃げ切れると身を縮めて守りに入る姿勢が強まっています。こうした風潮に私は強い危機感を覚えています。
当たり前のことですが、豊かさは天から降ってきません。自分からつくり出すしかありません。世界中のどこの国の誰もが豊かであり続けるために、常に新しい商品やサービスを生み出し、お客さまに新しい価値を提供すること以外に方法はありません。そのことを私たち経営者が今こそ身を持って示すべきだと考えます。
会社をつぶさないためにできる唯一の方法は「成長」
私たちが認識すべき最も大切なことは、人間に寿命があるように、会社も有限であるということです。会社とは、成長するかつぶれるかの二つに一つ。現状維持という選択肢はありません。「今のままでいい」と思った途端、衰退はすでに始まっています。
社会は常に前に進んでいます。お客さまの知識は増え、考え方は変わります。経営者だけが変わらず同じ商売を繰り返していれば、どんどん時代に合わなくなってつぶれていきます。常に新しいことに挑戦し、自ら変わり続けることが、生き残る唯一の道です。
高度経済成長時代のように経済のパイ全体が拡大していた時期であれば、多くの人がそれなりに成長することができました。しかしバブル経済の崩壊した1990年以降、それも不可能になりました。そうした中でも継続的に成長してきたのは、常に時代の変化を読み取り、工夫して、自ら変革しようとした企業だけです。
私たちファーストリテイリングは、2021年8月期にグループの売上高が2兆1329億円、経常利益が2658億円と過去最高でした。米国・ニューヨークからバングラデシュのダッカまで、世界に3500を超える店舗を展開し、1年間に13億点以上の服をお客さまに届けています。すでに店舗数、従業員数、売上高に至るまで、海外の方が多くなっています。1990年から2020年までの30年間で、弊社の売上高は400倍になりました。
日本経済の失われた30年の間に、なぜ400倍の高収益企業になることができたのか。その根源にあったのは「会社とはつぶれるもの」という危機感です。だからこそ絶対につぶれない会社をつくろうと、日々必死の努力を繰り返してきたのです。
会社をつぶさないためにできる唯一の方法は、成長することです。そのために勇気を持って自らを変える。現状を肯定せず、常に今のやり方を疑ってみる。もっと効率的な方法があるのではないか、ここをもっと変えればお客さまに喜ばれるのではないだろうか、そう考えて既存の仕組みを変え、業界の慣習を変え、さまざまな常識を打ち破って、高い成長と収益性を実現してきたのがユニクロというブランドであり、ファーストリテイリングという企業です。
もちろん、私が最初からこのようなことを分かっていたわけではありません。それどころか私は最初からなりたくて経営者になったわけではなく、仕方なく父の家業を継いだのです。今から考えると会社の経営やアパレル業界に強い関心を持っていなかったことで、業界の商習慣の不合理性、会社とはどうあるべきかといった本質的なことを先入観なしに考えることができたのかもしれません。
世界中の個人や企業と一緒にやれば何倍もの力が出せる
私は1949年に山口県宇部市という炭鉱のまちで生まれました。父は商店街で紳士服店を経営していて、店の2階で住み込みの従業員と寝食を共にするという環境で育ちました。高校卒業後に東京に出て早稲田大学に入りましたが、マージャンやパチンコばかりでろくに勉強もせず、できれば一生働かずに暮らせないかと考えるような学生でした。卒業後は父の紹介でジャスコ(現イオン)に就職しましたが、すぐに辞めてしまい、行くところもないので宇部に戻り、父の店に入りました。
ところが働き始めると、紳士服の商売はものすごく効率が悪いことに気付きました。単価は高いが商品の回転は遅い、サイズや生地の種類ばかり多くて在庫の負担が大きい。当時は掛け売りが普通で、代金をもらいに行けば値切られます。とにかくもうかりません。こんなことをやっていては成長するどころか、つぶれると本気で思いました。
想像してみてください。石炭が出なくなって寂れる一方の炭鉱町の商店街で、当時すでに斜陽といわれていた繊維業界の小売業です。つぶれる条件が全てそろっています。それでも自分に与えられた条件の中で何とかできないか、小さい店の店頭に立ちながら考え、努力しました。
逆にそれが良かったのかもしれません。私がこの商売の将来性に気付いたのは、後に紳士服だけでなくカジュアルウエアも手掛けるようになって、自社商品開発のために香港に行ったときのことです。まちを歩いていると、1軒のカジュアルウエアショップの店頭のポロシャツに目が留まりました。品質やデザインがすごく良くて、しかも価格が安い。どうやってつくっているんだろうと興味が湧き、経営者に会いに行きました。
その経営者と話をしていて、ビジネスモデルが全く違うことが分かりました。その店は中国に自社工場があり、全国からたくさんの若い人材を雇用して、自分たちで品質管理をしながら服を生産していたのです。さらに自社ブランドの服を販売するだけでなく、GAPやリミテッドといった世界のカジュアルブランドから一度に数十万、数百万着という単位の服の製造を受注していました。私が日本でやっていたような、他人がつくった服を仕入れて、そのまま店に並べて売るという商売とは全く次元の違うビジネスを展開していたことに強い衝撃を受けました。
私が日本の地方都市で悩んでいるうちに、世界は変わっていたということです。自社ブランド商品を自分の店舗で売り、そこで得たお客さまの声を反映した商品を、品質管理しながら必要な量だけ生産する。こういうやり方で商売をすれば、流通経路の無駄なコストを省いて、お客さまに安くて高品質な商品を提供できます。これならアパレルにも大きな将来性があると確信しました。
香港の経営者にできることが、自分にできないわけがありません。私たちは工場がないため自社生産は無理でも、中国の工場と協力し、自分たちで生産プロセスを管理して、品質の高い商品をつくることができるはずです。そう考えてたくさんの中国の経営者と会いました。その中から将来に対する姿勢が真面目で、人間的に魅力があり、この人となら人間同士の付き合いができると感じた人たちと一緒に商売を始めました。
違う文化の下で育ち、異なる経済環境でビジネスをし、それぞれ異なる能力や価値の強みを持つ世界的な個人や企業とパートナーシップを築くことで、何倍、何十倍もの力が出ます。海外のビジネスを通して分かったことは、そういうことです。
自分の会社が世界の企業であると自分で決める
私が人生の中で最も強く影響を受けた1冊に、米国の実業家ハロルド・ジェニーンの『プロフェッショナルマネジャー』があります。そこにはこう書いてありました。「本を読むときは、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをする」と。現実的な目標を定めると、その目標に行き着くためにすべきことが明確になります。自分は何がしたいのか目的地をしっかり決めて、それをやり始めることが重要だと彼は言っています。
これを読んで、私はなぜ自分が成長できなかったのかが分かりました。かつて自分は目指す場所も商売の意味も考えず、誰かがつくった服を店に並べ、真面目に商売をしていました。にもかかわらず全然もうからなかったのは、自分がどこに向かうのかが分かっていなかったからなのです。
世の中は厳しいもので、一生懸命やっていれば自然と将来が開けてくるわけではありません。未来は自分で開くものです。目的地を決めて、とにかくそこへ行くと決意して行動する。その場所に到達するためには何をするのか、どう考えるかが肝要です。私の場合、ユニクロが国内で30店舗のときに「100店舗になったら上場しよう」と決めました。そうして1994年に上場を果たしたとき、日本ではカジュアルウエア業界で2位でした。1位になったら次はオリンピックに出て金メダルが取りたいと、当初から海外に行くことを考えていました。そのためにできる目標を立てて、具体的に行動し続けてきたことで今があります。
ですから、まずは自分の会社が世界の企業である、そう自分で決めてください。日本の1都市に存在していても、市場は世界に開かれています。世界で稼ぐと決意してください。そして自分が今立っている位置と目的地、理想と現実を常に見比べて、どうしたらそこに到達できるのか、そういう思考をしてください。テクノロジーの進化した現在、目的地が定まれば到達するための方法は必ず見つかります。
目標を掲げて世界に足を踏み出せば未来が開ける
この10年の間に世界は大きく変わりました。これは世界のさまざまな場所で商売をしている私の心からの実感です。何が最も大きく変わったかというと、世界中の人が全て一つにつながったということです。データによれば、すでに世界で60億台のスマートフォンが使われ、事実上1人1台の時代となり、それが全てネットワークでつながっています。
世界中の人が、今自分は何を持っているか、やりたいことは何か、一番欲しいものは何か、困っていることは何か、といったことを自分の言葉や動画などで他の人に伝え、必要な情報を探し続けています。そして世界には、おそらく皆さんが想像する以上に、日本の文化やライフスタイル、商品やサービスに興味を持ち、高い信頼を寄せている人がたくさんいます。それを私は日々実感しています。
今や私たちは世界数十億人の人々と個人レベルでつながることができます。その気になれば、世界のどこでもあらゆる商売ができます。20年前なら、世界に冠たる企業でも容易には実現できなかったことが、今ではスマートフォン一つで中小企業でも実行可能です。翻訳アプリのおかげで言葉の壁もグッと下がりました。これは驚くべき変化であり、大きなチャンスです。
このチャンスを生かすには、世界に出て世界に通用するものをつくらなければなりません。そのために私がよく言っているのは、「バックミラーを見ながら経営していてはいけない」ということ。過去を見て復習するよりも、もっと予習して世界がどうなるかを考え、自分の会社や商品をつくり変える。もっと言えば、自分の会社を中心とした産業をつくり変える。何も自分一人でやらなくても、信頼できる企業や個人とパートナーシップを結んで、一緒にやればいいのです。
そうして私たち経営者がもっと前向きに具体的な将来のビジョンを描いて、本気で決意して世界に足を踏み出せば、必ず明るい未来が開けます。自分の運命は自分で変えると決め、高い目標を掲げて、広い世界に打って出る、挑戦する、現状を変える、そこには必ず大きな成長のチャンスがあります。
聖書に「求めよさらば与えられん」という言葉があります。物事を成就するには、与えられるのを待つのではなく、自ら進んで求める姿勢が大事だという意味です。まずは、経営者自らが求めなければ、何も始まりません。
現在、世界にはさまざまな問題が山積していますが、私は決して悲観していません。世界の心ある企業や個人が力を合わせて世の中を変えていけば、必ず豊かで平和な未来をつくり出すことができます。そのためにも「中小企業こそ世界で稼ぐ」。この強い決意と果敢な行動が今最も必要です。世界をより良い方向に変えていきましょう。そのために私の経験が少しでも皆さまのお役に立つならうれしく思います。
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