産業観光(Indutrial Tourism)の用語が注目され始めたのは2000年前後のことである
▼05年「愛・地球博」の開催が決まった愛知県名古屋市では、多くの海外客を受け入れることになった。しかし日本一の製造業拠点でありながら、いわゆる観光資源は乏しい。そこで当時、JR東海会長で名古屋商工会議所文化・観光委員長であった須田寛氏が地域の企業や博物館などを説得し、これらを見学する産業観光プログラムを作成した。須田氏は企業や博物館の魅力と視察プログラム、公共交通機関による経路や移動時間などを丹念にノートに記した。これが名古屋での産業観光の端緒である
▼以来二十数年、今日では年間集客数7000万人のメジャーな観光形態となった。産業観光は、全国の商工会議所 において会員企業が参加できる数少ない観光の形態である
▼その産業観光をテーマに2月下旬、山形県の新庄商工会議所に東北6県の商工会議所観光担当の中堅・若手職員が集まり、研修会を開いた
▼新庄商工会議所の佐藤亜希子専務の「守り継ぎ・新たに創り・次世代に繋ぐ」と題する地域の産業観光プロジェクトの紹介とともに、柿﨑力治朗会頭が経営する「もがみバイオマス発電」のバイオマス発電と林業再生の取り組みを視察させていただいた。再生可能エネルギー導入という国家的課題とともに、地域の緑と林業の再生、さらには産業連関を生かした地域活性化を図るというまさに地域再生のプロジェクトだ
▼2年後の25年は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに大阪万博が開催される。その万博に向けて、産業観光も新たな進化・展開が期待されている
(観光未来プランナー・日本観光振興協会総合研究所顧問・丁野朗)
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