塩竈(しおがま)市は宮城県のほぼ中央、松島湾に面した港町です。1887年に東北本線の始発駅が開設され、三陸地方唯一の鉄道のある港町として、繁栄の基盤が築かれました。また、1200年以上の歴史がある奥州一宮鹽竈(しおがま)神社は、時代を超えて多くの崇敬を集めてきました。市名はこの鹽(塩)竈神社に由来するとも伝えられています。『鬼滅の刃』では「竈」が話題になりました。市内では「塩釜」という表記も用いられており、市は「『釜(かま)』と『竈(かまど)』、どちらでもかまいません」としています。
当市は生マグロや水産加工品でも知られています。また、おすしのまちでもあり、特に秋口のブランドマグロ「三陸塩竈ひがしもの」の握りはまさに絶品です。銘酒・銘菓もあり、舌の肥えたまちともいわれていますが、これは、仙台藩が鹽竈神社の門前町・塩竈を特別に保護し、「仙台藩のおもてなし文化は塩竈に花開いた」ことによるものとされています。
ところで東日本大震災では塩竈も大きな被害を受けましたが、実はこの大震災は「海の中」にも甚大な影響を与えました。松島湾の広大なアマモ場のほとんどが消滅してしまったのです。アマモ場の喪失は海苔(のり)、牡蛎(かき)などの養殖漁業にも大きな影響を与えます。アマモは「海のゆりかご」と呼ばれ、稚魚や稚貝などを育み、環境・生態系を支えてきた植物だからです。海の環境を元の姿に戻したいとの一念で「松島湾アマモ場再生会議」を立ち上げ、船舶免許を取り、潜水士の資格を生かし、その再生に取り組んでいます。国もブルーカーボンに力を入れ始め、高く評価していただいておりますが、今後は若者も巻き込み、さらに輪を広げていきたいと考えています。
さて、当社は1945年10月1日の創業以来、東北各県、新潟、茨城で機械工具、建設資材などの販売を通してあらゆる分野のプラント建設に携わってきました。変動する社会情勢の中、次代のプラントをつくり上げるため、最新の情報と資機材を用いて、品質第一の方針で取り組んでまいりました。
しかし、昨今はさらに技術開発が進み、インターネットが地球を駆け巡り、世界は激動の時代を迎えています。価格や流通経路など、経済環境はますます複雑になっています。こうした時代であるからこそ、蓄積した経験・信用をもとに、メーカーやユーザーの立場になり、変化を先取りし、未来を創造する企業として事業展開を図ってまいりたいと考えております。
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