商店街から鮮魚店が消えて久しい。商業統計によると、鮮魚店は1994年の約2万4800店から2014年の約7500店へと、20年間で3分の1に激減。その多くが商店街からの消失であり、精肉店、青果店といった生鮮食料品店が後に続き、日常生活に欠かせない業種の欠落が進んだ商店街は活気を失っていった。
しかし、例外はある。四季折々においしい魚が揚がる瀬戸内海沿いのまち、岡山市で1962年に創業、以来3代にわたって鮮魚店を営む「宮脇商店」は同地を代表する表町商店街で元気に営業を続けている。
親子2代にわたり良いものにこだわる
初代は魚料理専門店での修業を経て独立し、行商から業を興した商人。市内を流れる川沿いにあった魚市場から仕入れた地魚を主に扱い、単に安さを訴求する商いに手を染めることなく鮮度の高さと品質にこだわり続けた。72年に現在地へ移転し、業容を広げていく。テナント出店した百貨店からの信頼は厚く、中元歳暮ギフトカタログにも地物の「焼きあなご」を30年以上掲載し続けている。
卸でも、多くの飲食店にそれぞれのニーズに応じた商品を提供。限られた業者にしか認められない買参権(ばいさんけん)を持ち、「宮脇さんにはきちんとした良いものがそろっている」というお客からの信頼を守り続けてきた。
「お客さまに良いものをお届けする。そうした信頼の積み重ねがうちの商いです」と語るのは創業者の娘であり3代目となる宮脇由恵さん。2歳違いの兄、2代目の徹さんから代表権を引き継いだ。
兄の徹さんは東京の百貨店で修業の後に家業に入り、ほどなく父から代表権を承継し、父母を助けて店を切り盛りしていた。一方、宮脇さん自身は東京のイベント企画運営会社で働いていたことから家業に戻るつもりはなかったが、父が亡くな ったことをきっかけに「母を助けたい」と家業に入った。 兄は経営全般、妹は経理や販促と役割を分担して、兄妹で店を盛り立てた。宮脇さんは、インターネット黎明(れいめい)期の2003年にはホームページを開設して通販を開始。09年にはギフトブランド「吉備津家」を立ち上げ、販路開拓に取り組んだ。
危機に負けずに挑戦を続ける覚悟
インターネット通販では「鰆(さわら)の味噌漬け」「ままかりの酢漬け」「ままかりの南蛮漬け」「特選ばら寿司の具」など、瀬戸内の魚介類を丁寧に加工したものが人気商品だ。たとえば、人気ナンバーワンの「鰆の味噌漬け」は、刺身で 食べられるほど鮮度のよい鰆を、初代から継承する地元みそメーカーの特製みそに付け込んだ商品。そのおいしさに魅了され、多くがリピート客となるという。「地元のお客さまにおいしい魚を届け続けるためにも、ネット通販の強化に取り組ん でいます」と宮脇さんは言う。
そんな矢先、創業者亡き後長らく店を支え、共に汗してきた兄・徹さんが急逝。「お客さま、取引先、そして地域を大切にする商店街にとってもかけがえのない人材でした。われわれがこれほどショックなのだから、由恵さんの心中を察するに余りある悲しみです。それなのに由恵さんは、気落ちされるお母さんのため、頼りにしてくれるお客さまのため、そしてお兄さんのために、チャレンジを続けています。彼女の頑張りはわれわれにとっても励みになりま す」と地元の先輩商人たちも宮脇さんを応援する。
「父、母、兄が育ててきた暖簾(のれん)を守っていきます。心の広く、人を信じる大きな人だった兄のようにはすぐになれませんが、私なりのやり方でこれからもこの場所で商いを続けます」と、宮脇さんは店頭でこれからについて語る。 その足元にはメダカの水槽がある。看板に書かれた「メダカからクジラまで」の言葉どおり、専門分野を深く濃く品ぞろえする同店に、専門店の価値の一つを見ることができる。たとえ小さくとも、どこよりも濃くあろうとするとき、お客はそ の商いを認めてくれることを証明している。
(商い未来研究所・笹井清範)
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