人生は短過ぎる。80歳まで生きるとして、与えられた時間はたったの4千週間である。短さを嘆くのは現代人ばかりではない。『人生の短さについて』(岩波文庫)は、ロー マ帝国の哲学者セネカの代表作である。一度しかない人生をいかに有意義に生きるか。いにしえの時代から人間に付きまとう命題である▼
効率を求め続けてきたのが近代の人類である。その甲斐あって素晴らしき文明社会を創った。官民挙げて取り組んだ費用対効果(コスパ)の時代から、いまは時間対効果すな わちタイムパフォーマンス(タイパ)が重視される時代になったらしい▼
映画やドラマの倍速視聴が若い世代では当たり前という。早送りでもセリフが聞き取れる技術も進歩した。定額制動画配信サービスが普及して、一本数十円程度で何度も観られる環境も一因だが、コンテンツを効率的に消費することはできても、作品の鑑賞とは言えまい▼
倍速視聴は、はずれを観る「無駄な」時間を過ごしたくないだけでなく、より大事なのはSNSで感想を述べ合うコミュニケーションにあるという。「いいね」をするのが遅れていないか、参加するLINEグループのそれぞれでクイックレスポンスが求められる▼
話題についてゆくために新作の情報収集に追われるのは本末転倒でもあろう。結末を最初に読む傾向が広がるのも同じ動機からだ。時間に追い詰められながらの自己防衛策が「早送り」やネタバレだとしたら、余裕なき人生に同情を禁じ得ない▼
セネカは言う。「我々は短い人生を受けているのではなく、我々がそれを短くしているのである」(前掲書)と。可処分時間を奪い合うビジネスが招くSNS疲れ。ネット社会の奇妙な現象である。
(コラムニスト・宇津井輝史)
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