行灯から石油ランプへ時代の変化に対応
滋賀県の中央部、琵琶湖の南東岸にある近江八幡市で、尾賀亀は160年以上にわたり燃料や食品の販売事業を行っている。創業は江戸時代末期の安政3(1856)年で、初代の尾賀儀兵衛が「扇屋」の商号で油脂の商いに乗り出したのが始まり。以来、時代とともに燃料の種類は変わったものの、社会の基盤となるエネルギーを供給し続けている。尾賀亀の五代目社長で現在は会長を務める尾賀康裕さんは、自社の創業に関してこう語る。 「実は、安政3年に創業したという資料はなく、伝承としてこの年に商いを始めたと聞いています。初代は今の近江八幡市の中心部から少し離れた地域の出身で、そこで栽培した菜種を搾った油を、行灯の燃料として売り歩いたのが始まりです。それからも明かりの燃料から離れることなく、明治に入って石油ランプの時代になると、石油販売業を始めました」
食品卸売業を開始 経営基盤強化に成功
明治の終わり頃に亀次郎が二代目社長に就任した。この頃明かりはランプから電灯に転換していき、石油の需要が減っていった。そのため亀次郎は、砂糖や小麦粉、雑穀などの食品卸売業を始めた。 「どういう経緯で食品を扱うようになったのかは分からないのですが、近隣の和菓子店に材料を卸すようになりました。そしてこれが第2の創業ともいえるほど、会社の経営基盤の一つとなりました。和菓子どころの金沢にも支店を出していたほどです。もし油だけにこだわっていたら、この会社はもうなくなっていたと思います」
第二次世界大戦に入ると、従業員が兵役で取られてしまった。油の供給はわずかながらあったものの、和菓子の原料である砂糖もほとんど入ってこなくなった。そのため売るものがなくなり、金沢の支店も閉めざるを得なくなった。 「戦後、食品の卸売業を再開しましたが、日本の経済が復興していく中で車両用ガソリンの需要が増えていきました。幸い、戦前に結んでいた米国の石油会社との契約が切れていなかったので、三代目社長となった二代目・亀次郎の時代には、石油製品の販売も再開しました」
昭和28(1953)年に株式会社尾賀亀商店を設立すると、四代目社長に義雄さんが就任。会社名は、会社を大きく発展させた二代目社長の尾賀亀次郎にちなんで付けられた。そして昭和37年、近江八幡市内にガソリンスタンドの1号店をオープンした。 「それからはすごい勢いでガソリンの需要が増え、滋賀県内にガソリンスタンドを徐々に増やしていきました。それ以上に順調だったのがガソリンや燃料の卸、工場への工業用潤滑油の販売といったBtoBの事業で、それにより今度は燃料販売で会社の基盤をつくっていくことができたのです」
受け継がれる始末の精神 油をコアに第3の創業を
平成12(2000)年に康裕さんが五代目社長に就任すると、さらにガソリンスタンドを増やしていき、整備工場やコーヒーチェーン店、コンビニを併設した店もオープンしていった。 「当社がここまで続いてきた要因の一つは、時代に合わせてビジネスを徐々に変化させてきたこと。一気に変えたのは食品卸売を始めたときくらいです。砂糖や小麦粉は資金力がないとできない商売ですので、当社は始末(倹約)精神を伝統的に持っていて、尾賀亀ではなくケチ亀と呼ばれるほど(笑)、無駄なお金を使いません。お金をそうやってためてきたのです。そしてもう一つ、私が子どもの頃、祖父の二代目亀次郎から言われたのは、取引先との値段交渉では1円でも安く買って1円でも高く売るよう努力して、いったん値段を決めたら、先方が集金に来たときに端数を切らずに必ず1円までぴったり払えということ。そういった商売理念があったから、取引先に信頼されたのだと思います」と尾賀さんは力を込めて語る。
低炭素社会を迎えるに当たり、将来的にはガソリンに代わるエネルギー転換が予想されるが、それが何になるのか、まだ先の見通しはついていない。そのため、現在はいろいろと模索状態である。 「油の商いはコアとして続け、第3の創業を考えることが喫緊の課題です。今は改めて食品に目を向け、非常用食料や輸入食品の展開を始めています。5年前に息子に社長の座を譲り、代表権も渡しました。もう私は経営にノータッチで、全て息子に任せています。新しい時代の会社経営は新しい人に任せるべきですから」
ガソリンという車のエネルギーと食品という人間のエネルギーの両輪で、同社は常に時代の大きな転換期を乗り越えている。
プロフィール
社名 : 株式会社尾賀亀(おがかめ)
所在地 : 滋賀県近江八幡市出町293
電 話 : 0748-33-3101
HP : https://ogakame.jp
代表者 : 尾賀健太朗 代表取締役社長
創 業 : 安政3(1856)年
従業員 : 約200人(パート含む)
【近江八幡商工会議所】
※月刊石垣2023年10月号に掲載された記事です。
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