社会の規範はいったん定着すると、無批判に人々の間に根付いてしまう。時に、自身の利害が絡むと都合よく解釈されることもある。戦後、日本は欧米の制度を取り入れることで経済的な豊かさと安心を手に入れた。その過程で政策を支える考え方も社会に浸透していった。しかし、変化する時代に、それらが今も妥当かどうかを問うていかなければならない▼
その一つが税制に関する考え方だ。所得の高い人がより多くを負担する「応能負担」の考え方は、米国の所得税を中心とする税制度に由来するもので、今でも日本で広く受け入れられている。ここで問題となるのが、高所得者に該当しない場合は負担する義務がないという考えがまかり通っている点だ。所得が高いほど負担が重いという考え方が、所得が低ければ負担しなくてもよいという自分勝手な解釈にすり変わっている。応能負担は、追加的な負担が生じたときにそれをどう分かち合うかを示したもので、負担する人としない人を分けるためのものではなかったはずだ▼
日本の高齢化の水準とスピードで、一部の高所得者に負担を課すだけで、その財源が確保できるわけはない。人々が望むような社会保障を提供するためには、所得による程度の差こそあれほぼ全員が負担を増やさざるを得ないのだ。人々の負担の在り方に直結する基本的な規範が、目前に差し迫った超高齢化社会の仕組みを支え得るかどうか、人々の意識の底にあるゆがんでしまった規範に訴えかけ、議論しなければならない。高齢化社会を乗り切るには劣化した規範を改変することが必要なときもある。今、それに取り組まなければ、将来、社会が支払うコストは時に甚大で致命的なものとなる
(NIRA総合研究開発機構理事・神田玲子)
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