古着商から分家して太物商に
伊達政宗を藩祖とする仙台藩の城下町として発展してきた仙台市の繁華街に、藤崎デパートがある。創業は、江戸時代後期の文政2(1819)年で、初代・藤﨑三郎助が太物商(木綿商)の得可寿(えべす)屋を創業したことから始まる。 「仙台藩が開藩してから100年ほどたった宝永4(1707)年から2年連続で仙台で大火が起こり、城下町が一気に停滞してしまいました。そこで、仙台に来た近江商人を中心に商業を復興させていったそうです。その中の一人、藤﨑治右衛門が古着商の得可主(えべす)屋を始めました。その三代目の5男、祐助が分家し、名を三郎助に改めて太物商の得可寿(・)屋を創業したのです」と七代目・藤﨑三郎助さんは言う。藤﨑家では代々、当主が三郎助を襲名している。
創業の2年後には藩の許可を得て呉服商となり、二代目の代には藩の御用金調達を担う「融通組」となって苗字帯刀を許され、嘉永6(1853)年には富商番付の上位となった。続く三代目も家業を着実に育て、藤﨑家は仙台の有力商人となり、四代目の代になって大きく発展していった。 「四代目は慶応4(1868)年生まれで、先進的な考え方を持っていました。明治12(1879)年には、少し変わった支店を出して小売業を始めました。そこでは店の座敷の真ん中に番頭さん、今でいうレジ係がいて、その周りにお客さまが座って商品を見る。そして、天井からぶら下げた針金の先にざるを付けて、そこにお金を入れてやり取りするという方式を取り入れたのです。それが珍しくて、それを見たいがためにわざわざ店に買い物に来るお客さまもいて話題になったそうです」
先進的な取り組みで活性化
明治20年に東北本線が仙台駅まで開通する際にも、四代目は大きな力を発揮した。 「当初、東北本線はもっと東寄りを通る予定で、それでは仙台駅が商店街から遠くなる。そこで四代目が地元の有志に呼び掛け、地域の発展のためには市街区の近くに駅があったほうがいいと国鉄と交渉し、工事費補填(ほてん)のために550円、今でいうと8億円ほどを寄付しています」と藤﨑さんは言う。
四代目は、30年に現在の本店がある場所に大店舗を完成させると、海外貿易にも意欲を見せ、33年には欧米視察を行い、フランスに絹織物の輸出を開始。39年には、ブラジルに社員を派遣して藤崎商会を設立している。 「そして45年には株式会社藤崎呉服店となり、大正8(1919)年の創業100周年の際には陳列式店舗を建てて、店を百貨店化しました。このように、四代目はさまざまな面で先進的なことを行ってきたのです」
五代目の代になると、昭和2年に売り場を改装して靴のまま買い物ができるようにし、さらに利便性を上げていった。しかし、第二次世界大戦末期、昭和20年7月10日の空襲で市の中心部は焼け野原となり、藤崎も店舗を焼失した。 「それでも戦後、物が不足して闇市で何でもいいから売るという時代に、良い品を安く仕入れて、適正な価格で販売することをモットーに店を再開したと聞いています」
大震災の翌日には食料を販売
七代目・藤﨑さんは、東京のデパートに10年勤務し藤崎に入社。昭和64年に社長に就任した。当時はまだバブル時代。社長2年目に売上高がグループ全体で600億円を超え、史上最高額を記録した。 「その後、平成5年までは好決算を続けましたが、バブル崩壊後は12の関連会社のうち8社を整理しました。ただ、業績が好調のときに不動産購入などしなかったので、売り上げは下がったものの、それほど大きなダメージは受けませんでした」と藤﨑さんは言う。
20年のリーマンショックも乗り越え、さあこれからというときに東日本大震災が起こった。流通もライフラインも止まる中、藤崎は翌日には出社できる社員だけで、インスタント麺や飲料、果物、電池、ガスボンベなどを店頭で市民の人たちに販売した。 「戦後、東日本大震災、コロナ禍と、さまざまな出来事が起こってきたが、常に私たちには地域のお客さまの生活を支え、ライフラインとしての役割を担う必要がある。地域全体を盛り上げていくことが私たちの業績を維持することにもつながるので、これからも地域との関わりを持ち続けて、いろいろな取り組みを行っていきたい。百貨店業界が厳しくなっていく中、次世代ではDXやAIをどう生かして経営していくのかを考えていかなければいけないと思っています」
200年以上もの間、仙台の人たちの暮らしを支えてきた藤崎は、これからもさまざまな取り組みを通じて、まちを支え続けていく。
プロフィール
社名 : 株式会社藤崎(ふじさき)
所在地 : 宮城県仙台市青葉区一番町3-2-17
電話 : 022-261-5111
HP :https://www.fujisaki.co.jp
代表者 : 藤﨑三郎助 代表取締役 会長兼社長
創業 : 文政2(1819)年
従業員 : 約730人
【仙台商工会議所】
※月刊石垣2024年1月号に掲載された記事です。
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