地域は自らのレガシーを失いかけている。その再生と創造はまさに今日の大きな課題である▼
観光庁のレガシー形成事業と世界遺産、富岡製糸場の話題は以前紹介したが、横須賀市でも同様の試みが始まった▼
横須賀市といえば海軍鎮守府による近代工業都市、今は米軍横須賀基地のイメージが強いが、300年前までは浦賀奉行所など浦賀地区が中心となっていた。幕末の1853(嘉永6)年にはマシュー・ペリー率いる黒船来航でも有名である。幕末の浦賀奉行所は、江戸を往来する全ての船の検査とともに、今の税務・裁判・警察・海上保安庁などの仕事をし、長崎より重要な拠点でもあった。幕府は久里浜への上陸を認め、そこで大統領国書が渡され翌年の日米和親条約の締結に至った。まさに幕末日本の表舞台となった地である▼
ペリー来航を機に幕府は大船建造の禁を解き、浦賀造船所を建設。国産初の洋式軍艦「鳳凰丸」を建造した。また1859(安政6)年には日本初のドライドックが完成し、米国に向かう咸臨丸の整備も行われている▼
造船所は後に横須賀港に製鉄所(横須賀造船所)が完成していったん閉鎖されるが、榎本武揚らが中心となり、1897(明治30)年、かつての浦賀造船所と同じ場所に浦賀船渠(せんきょ)が建設された▼
ドックは全長180㍍の巨大な赤煉瓦構造物で、今や世界に四つしかない貴重な歴史遺産である。経営していた住友重機械工業は2021年にドック用地を横須賀市に寄贈。ここを拠点に浦賀の歴史の記憶と都市再生のレガシー事業がスタートした▼
レガシー形成は、その歴史の記憶と、この地域に住む人々の誇りと地域再生の事業でもある
(観光未来プランナー・日本観光振興協会総合研究所顧問・丁野朗)
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