インドの総選挙は予想外の結果に終わった。4月19日に始まり、6月1日まで7回に分けて全国で実施され、6月4日に開票された結果は事前のモディ首相率いるインド人民党(BJP)圧勝の予想とは逆だった。BJP主導の与党連合「国民民主同盟(NDA)」としては過半数の293議席は確保したが、BJPは63議席減の240議席と単独過半数を失った。
2001年にインド西部のグジャラート州の首相になって以来、選挙では負け知らずで国のトップに上り詰め、過去2回の総選挙にも大勝したモディ首相はなぜ“敗北”したのか。そこにインドの可能性と限界の両方の要素が隠されている。まず注目すべきは強権的な政治手法への国民の反発だ。
グジャラート州首相時代のモディ首相は外資導入を最優先し、電力、道路、港湾などのインフラ整備に全力を挙げ、非効率さで悪名高い役所の手続きを簡素化、迅速化した。結果的に同州は「インドで最も外資が進出しやすい州」(日本企業関係者)となった。その実績で国のトップになった後も“Make in India”戦略など外資導入による製造業強化を推進し、インドに対する日本、米欧企業の評価は大きく改善した。
その姿は「改革開放」政策の下、外資導入と市場経済化で中国を高成長軌道に乗せた故鄧小平氏や、その後継者である故江沢民氏に重なる。モディ首相が外資導入の場として切り開いたグジャラート州は、「改革開放」の先兵となった広東省と極めてよく似た発展史をたどっている。一方、鄧氏が1989年の天安門事件で今なお国際的な批判を向けられているように、モディ首相もヒンズー至上主義に基づくイスラム教徒への弾圧などで民主主義陣営から批判を浴びている。今回の総選挙でも争点となったウッタル・プラデシュ州アヨーディヤでのイスラムモスク跡地におけるヒンズー教寺院の建設は、その象徴といえる。
中国は共産党一党支配体制によって国内でのあらゆる政権批判、共産党への反発を封じ込められるが、インドは選挙によって国民の評価を定期的に受けなければならず、モディ首相は今回、苦い審判を受けた。経済成長最優先の政策は連立政権の少数地方政党の制約を受け、直線的には進まなくなる可能性が高い。中国にはない民主国家インドの制約だが、国民の不満が選挙で定期的にガス抜きされることで、破壊的なレベルまで高まることなく、政治の透明性も保たれる。そうしたインドの強みは長期的にはこの国を利するだろう。
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