人類の祖先が樹上生活からサバンナに降りた理由はわからない。豊富な食糧があり、天敵のいない樹上は楽園だった。地上では肉食獣に狩られる一次消費者である。だが地上に降りて、直立二足歩行という生き方を手に入れた。速く走れない弱点はあっても、前足だった手を解放した。道具の使用が脳の発達を促し言語獲得にも繋がった▼
アフリカで誕生した私たち(サピエンス)の祖先は、これまたなぜか、6万年ほど前から地球上への拡散を始める。もっと生きやすい環境を求め、ほぼ2万年かけて世界中に広がった▼
ではこの大移動を手ぶらで行ったのか。確かな証拠はないが、食糧や僅かな身の回りの品を携行したはずである。リュックのように背負う道具や、天秤のように担ぐ道具はまだ作れなかったから、手に持てるだけの狩猟具らを持ち運んだ。文化人類学者の川田順造は「最低限のものだったにせよ、新しい土地で生きてゆくのに必要な道具を運ぶことができた」(『〈運ぶヒト〉の人類学』岩波新書)という▼
歴史家のヨハン・ホイジンガが「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」と人類を規定したのに準え、川田は「ホモ・ポルターンス(運ぶヒト)」と呼んだ。ヒトは狩った獲物を運び、燃料となる木を運んだ。農業が始まると収穫物を運び、経済活動が始まると商品を運んだ。やがて車両を発明すると大量の物資を運び、人を運ぶようにもなった。運輸業は重要な産業になった▼
いまこの国で、物流や人流が人手不足に直面する。長時間労働に依存してきた構造的な限界である。担い手が足りずに荷物を捌き切れず、バス便が減り、赤字鉄路が廃止される。「運ぶ」大切さをいま一度需給両面から見直さねばなるまい。
(コラムニスト・宇津井輝史)
最新号を紙面で読める!