「おばあちゃんの原宿」として名高い巣鴨地蔵通り商店街(東京・豊島区)の生活衣料品店、マルジは「赤パンツの元祖」として全国に知られる名店。その歴史は1952年、わずか10坪から始まる。以来、健康生活を応援する「日本一楽しい総合衣料品店」というコンセプトを曲げることなく、時代の変化に対応してきた。原点は、創業者の遺した「幸福を生む店」という事業理念にある。
赤い肌着を着る習慣は、北陸・上越や北海道・東北地方などの寒冷地を中心に、昔から日本の風習としてあった。また、全国に「申(さる)年に赤い肌着を贈られると、一生しもの世話にならない」という言い伝えがあるという。古来、日本人は赤い肌着に健康長寿や魔よけ祈願を込めてきたのだ。
しかし、「業界の人100人に聞けば100人に『そんなもの売れませんよ』と言われました」と、丸治社長の工藤敬司さんは同店が最初に赤パンツをつくった時を振り返る。今では他の店の店頭にも並び、テレビで巣鴨の名物としてたびたび取り上げられ、人気商品の域を超えて生活文化となっていることはご存じの通りだ。
シンデレラ商品はお客さまの声の中に
1993年、同店の肌着売場責任者から「お客さまからこの2、3日、赤いパンツが欲しいという要望が続きました。なんとか仕入れてほしい」と報告を受けた。そこで探したところ、どこの問屋にも赤パンツはなく、誰もが「売れ残れば10円でも売れないよ」と見向きもされなかった。
しかし、工藤社長は商品化を決断。その物差しとなったのが同社の憲法ともいえる「マルジ基準」だ。危機管理、品質、価格、商品構成、売場、人事、行動の七つの項目から成り、商品構成基準には高齢化社会の到来を背景に、こう記されている。
「それぞれのマーケット・サイズは小さく、大企業には不向きなことが多い。お客様との会話にヒントが存在する。要は気づくか気づかないかだ」
同店のスタッフは、売場において見聞きしたお客の声や、商品購入後に届いたお客の声などを、経営陣に報告する仕組みが徹底されている。それゆえマルジは気づき、メーカー在庫の生地1反をリスクをとって問屋に発注、商品化を断行できた。
同じくマルジ基準の「商品構成」の項目には「三方よしのシンデレラ商品は、業界を問わず『小さく、安く、どこにでもある』ものだ」とある。シンデレラ商品とは、マネジメントの父と呼ばれる経営学者、ドラッカーが名付けた、「つくり手や売り手は真の価値に気づいていないが、お客が価値を認めている商品」のこと。マルジはお客の声に導かれ、シンデレラに出会ったのだ。
今は過去の結果 未来は今の続き
1996年に人気テレビ番組で紹介されたことをきっかけに、マルジの赤パンツは大ヒット。2004年の申年には前述のいわれも手伝って、たびたびマスコミに取り上げられ、さらなるブームとなり、追随者も現れるようになる。
しかし、ブームに甘んじたままだと、ブームはいつか必ず去る。悪貨が良貨を駆逐するという格言もある。
仮にマルジが売れ行きにあぐらをかき品質向上に目を向けなければ、今日はなかった。同社では商品開発過程において過度に問屋やメーカーに依存せず、可能な限り自社で商品開発に関わり、製造から販売までのリスクを負うことで、高品質でありながらお値打ち価格を実現している。
マルジ基準の「品質」の項目は、「信用は最高の財産」と始まり、売り上げは「信用×ノウハウ」と続く。信用が10%下がり、ノウハウが10%アップしても「0.9×1.1=0.99」となり、不良品を売れば売るほど、信用を失う結果を招く。
「信用失墜は商売上で最も恐るべきこと。信用を下げることは簡単ですが、信用を蓄積することは難しい。だからマルジは、品質基準を日々厳しく意識し、商品の販売に心がけます」と工藤社長。「今は全て過去の結果、未来は今の続きです」とは同社経営方針書の言葉。ここにマルジの赤パンツが売れ続ける理由がある。
(商い未来研究所・笹井清範)
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