今年度のYEGフラッシュは、商工会議所(親会)とYEGの良好な関係をご紹介します。タイトルの「藍と青」は、渋沢栄一翁の生家の家業が藍農家であったことから、藍を親、青をYEGとし、一般的にいわれる師弟のことではなく、「君子曰く、学は以て已(や)むべからず(学問は中断してはいけない。努力すればするほど精錬されて優れたものになる)」という本来の意味に立って取材します。
山形県のほぼ中央に位置し、将棋駒の生産量日本一を誇る天童市。天童温泉、果物王国などの観光資源を持つ同市で、天童YEG(以下、YEG)が日本最大級の飲食イベント「鍋合戦」を開催している。29年前、YEGの発足2年後に地域活性化イベントとしてスタートし、YEGの歴史と共に大きく成長した同事業を通して、天童商工会議所(以下、親会)との関係性を築いてきた。
鍋合戦の始まりと受け継がれる思い
今や一日で1万5千人を動員する一大イベントとなった「鍋合戦」。その名にふさわしく、その年に最も人気のあった鍋に「鍋将軍」の称号を与えるイベントだが、もともとは1月15日に親会主催で行っている初市を盛り上げるために考案された。 「親会から、初市がちょっと元気がないのでYEGで何かできないか、という話をいただいたそうです。そこで飲食を出店すればお客さんも元気になるのではないか、と始まったのが鍋合戦でした」。そう話すのは今年度「第30回」のダブル委員長の一人、矢萩洋美実行委員長だ。自身も20年間鍋合戦に関わってきた。1996年に開催された「第1回」は天童中部小学校前を会場に始まったが、徐々に来場者・出店団体ともに増加、同会場では収容できなくなったため、第7回から会場を変更した。以後、知名度が上がり規模が大きくなるにつれ、開催時期や会場など安全性や近隣への影響に配慮しながら継続してきた。
イベントの主軸を鍋合戦に据えた背景には、先輩方の深い企画意図と熱い思いが重なる。 「鍋合戦になった経緯は諸説ありますが、広告関連の仕事をしていた先輩が、寒い時期に何か飲食をとなれば“鍋”だろうと提案されたと聞いています。当時の膨大な量の企画書を拝見しましたが、当初からとんでもなく壮大なイメージがあったようです」
そして現在も親会の副会頭を務める山口敦史さんをはじめ多くの先輩たちが、陰に日なたに現役世代を支えている。
日本各地の団体が出店を希望する事業に成長
「今年は30回目の開催に当たり、規模を拡大したことで“まちなか”から離れてしまった会場を戻して、もっと市街地を元気にしたいと思いました。地域景観の賞を受けた天童温泉街区からお客さんが歩いて来られる、小中学生が自転車で遊びに来ることができる会場にしました」
出店には山形県商工会議所青年部連合会の各単会も大いに関わっている。「山形県内には7単会あります。出てもらえる年とそうでない年はありますが、特にお隣の山形YEGは、日本一の芋煮会もやっているので刺激を受けています」
最初の数年は米沢YEGや酒田YEGなどの人気鍋が熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げ、大いに盛り上がった。テレビの全国ニュースで紹介されて知名度が上がり、「鍋将軍」の称号を得ることがステータスとなると、YEGだけでなく日本各地の観光協会や団体などが自慢の鍋を引っ提げて参加を希望することが定着した。 「今年は30回目ということで30店舗まで募集しました。出店者にはYEGにつなげてもらったところもあれば、友好都市の関係もあります」
出店者募集の苦労はなくなったそうだが、希望者が多いといううれしい悩みも同時に生まれている。