昨今の先の読みづらい経済環境の中では、過去の実績や常識に頼って乗り切ろうと考える経営者もいるだろう。一方で、「企業が売りたいモノ」より「消費者が欲しいモノ」を、と視点を変えて新たな一歩を踏み出す女性経営者がいる。モノが売れない時代だが、女性経営者は、いかにして壁を越えることができたのか。
老舗商社の後継ぎが開発した 女性目線の画期的な防災ボックス
山形市にある老舗総合商社・西谷は、日用雑貨から業務用清掃用品、消火器や防災用品の販売、ホームページやコンテンツ制作まで、幅広い事業を展開している。同社の九代目になる西谷友里取締役は、その伝統を受け継ぎながらも「ENJOY BOUSAI(防災を楽しむ)」をテーマとした画期的な防災ボックスを企画開発し、新たな道を切り開いている。
家業への反発 そして震災が導いた覚悟
西谷は、1748年創業で、紅花やしょうゆの商いから始まり、時代のニーズに合わせて多角化を遂げてきた。現在は「お薬と生鮮食品以外は何でも売っています」と話す通り、日用雑貨から業務用清掃用品、消火器や防災用品の販売など、自治体や学校、病院などを主要取引先として、さまざまな事業を展開する総合商社である。 「私は一人娘なんですが、以前は家業をダサいと感じていて、継ぐ気は全くありませんでした」と言うのは、同社の九代目で初の女性後継ぎとなることが見込まれている取締役の西谷友里さん。西谷さんは地元の高校を卒業後、東京の女子大に進学し、学生時代は「渋谷のギャル」だったという。卒業後は、山形県内のテレビ局に勤務し、ディレクターとして活躍していた。
しかし、2011年の東日本大震災が彼女の人生を大きく変えた。テレビ局から帰宅した彼女の目に飛び込んできたのは、自社から被災地へ向けて、遺体袋などの物資を運ぶ自衛隊の姿だった。また、福島県南相馬市から車で何時間もかけて、水を入れるポリタンクを買いに来た人もいた。西谷さんは、自社の事業が命に関わる重要な役割を担っていることを肌で感じ、「誰かのお役に立てる。災害時に頼りにしていただけるなんて」と、その重みに心を揺さぶられたという。
この経験が、西谷さんを家業へと向かわせた。11年4月にテレビ局を退職し、都内のITベンチャー企業へ転職した。ここでは「会社という組織を動かすための修業」として、経営視点や組織運営のノウハウを徹底的に学んだ。家業については、既存のやり方に固執せず、「外の風を入れること」が重要だと感じた彼女は、14年に西谷へ入社する。入社後は、自身のディレクターとしての経験を生かして、ホームページ制作や動画制作事業を立ち上げた。
従来の概念に縛られない 女性目線のビジネス戦略
同社が長年培ってきた事業は、安定した収益基盤ではあったものの、西谷さんは「いつかは受注がなくなる」という危機感を抱いていた。 「誰かに情報発信をしなくても、ありがたいことに通年でお客さまから必要とされていました。でも、それでは受け身だなと思ったんです」と言う西谷さん。まずは自社のホームページをディレクションし、それが顧客企業のウェブサイトやPR動画の制作へとつながった。
また、自らを信用してもらう「武器」として、防災士や消防設備士といった資格を次々と取得した。これは、性別で判断されたくないという彼女の強い意志と、「見た目で判断されるなら、中身で証明する」という覚悟の表れでもあった。 西谷さんの視点が、同社の主要事業の一つである「防災」に向けられたのは19年頃のことだ。きっかけは、自身や学生時代の友人たちが結婚や出産を経験し、家族のために防災について考えるようになったことだった。西谷さんは、かつて「最もダサい」と感じていた防災事業を、あえて自分に一番似合うように変革しようと決意する。そして、防災に「楽しさ」や「おしゃれ」という新たな価値を加えた「ENJOY BOUSAI」プロジェクトを立ち上げた。
従来、同社の防災用品販売は「入札でドカンと大量に卸す」(西谷さん)ものだった。しかし、西谷さんは「忙しいママたちが、クリック一つでいろいろな防災用品をそろえられるような商品」の必要性を感じた。自身の友人からの「西谷がセレクトしたものなら安心」という言葉をヒントに、百貨店のバイヤーが厳選するグルメのように、安心と彩りを兼ね備えた防災ボックスの開発に努めた。従来の「防災」という概念に縛られない、個人客に焦点を当てた画期的な取り組みだった。