祖父母が営んでいたみそづくりの委託加工業。近隣の農家が持ち込む自作の米や大豆を、みそに加工する事業は、一代限りで幕を閉じるはずだった。だが、祖父母や両親から大反対される中、孫の宮本晃裕(あきひろ)さんが継いだ。小売業、東京のマルシェへの出店、そしてネット販売に挑戦し、売り上げは約6倍にまで達した。
事業承継のきっかけはTVドラマ『北の国から』
富山県屈指の漁場である魚津市は、古くから農業と漁業が盛んな地域だ。この地で1957年に宮本みそ店は創業した。 「戦争から戻ってきた祖父が、生計を立てるために始めたと聞いています。創業当初はみそ店ではなく、栽培した菜種から菜種油を製造販売する油屋で、その後、養豚業もやるようになりました。でも、向いていないと判断して春から冬までは農業を、冬の3カ月間はみそづくりを生業にしました。みそはお客さまの好みに応じ、1年分を仕込む完全受注生産です。そうした暮らしを、僕は幼少時から見て育ちました」
両親は店の外でそれぞれ働いていたため、宮本さんは、物心つく前から祖父母と過ごす時間が、圧倒的に長かったという。だが、みそづくりにはまるで興味がなく、渋々工場にいたと苦笑する。
では、なぜ継ぐことになったのか。地元の短期大学を卒業後、音楽の道を志して上京するが、性に合わず、1年で帰郷。職が見つからない中でテレビドラマ『北の国から 2002遺言』を見て感動し、のめり込んだ。 「いきなり最終話を見てしまったので、レンタルショップで全話借りて、見尽くしました」
ドラマの世界に没入するにつれ、自然と共存する主人公の黒板五郎と、祖父母の姿が重なった。 「祖父母がよく『足るを知る』『楽をしたらキリがない』と言っていたことが、ドラマの世界観と相まって身に染みました。ちょうどみそをつくる時期で、自然と祖父母を手伝い始めました」
だが、両親だけではなく、祖父母からも猛反対されてしまう。
小売業を軌道に乗せるべく東京のマルシェに出店
「全国的にみその消費量は減少傾向にあり、店で仕込む量も減っている。22歳の若者がやる仕事じゃないというのです。それでも興味を持って『どうやるの?』と聞くと、ちゃんと教えてくれました」
この時は、まだ継ぐつもりではなかったという宮本さん。だがみそを仕込む1〜3月以外は友人の屋根瓦の施工会社で働くことが決まり、翌年も祖父母を手伝った。 「お客さんとのやりとりを見続ける中、単なる売買だけではない地域交流を絶やしてはいけない。そんな意識が芽生えていきました」