日本は、毎年のようにさまざまな自然災害に見舞われている。地域とともに成り立つ企業にとって、従業員はもちろん地域全体を守るための防災・減災対策は必須となっている。今号では、今後、地域企業が意識していくべき「レジリエンス」とは何かを解明するとともに、企業方針として自社と地域を守るさまざまな活動を行っている「レジリエンス企業」の取り組みに迫った。
*レジリエンス(Resilience)とは「弾力」「回復力」を意味する。企業活動においては、災害などの困難に直面した時の備えや迅速な行動=強靭化を指す
継続的な防災訓練と供給網の確保 従業員と地域の生活を守る
岩手県大船渡市に本部を置き、三陸地域を中心に食品スーパーを展開するマイヤ。現在は、直営店舗と子会社合わせて21店舗を運営するが、2011年の東日本大震災では、6店舗が津波による大きな被害を受けた。しかし、従業員は迅速で的確な避難誘導を行い、被害が少なかった店舗では震災直後から営業を再開した。これは、同社の長年にわたる防災への取り組みと「地域の食のライフライン」という意識が生んだもので、その対応は全国の自治体や企業から注目されている。
50年の歴史が培った現場力 震災を乗り越えた防災訓練
マイヤは、三陸地域に大きな被害をもたらしたチリ地震津波(1960年)の翌年、創業者が復興資金を借りてスーパーを開業したのが始まりである。そして、その50年後に東日本大震災が起き、再び三陸地域を津波が襲った。 「大船渡は、津波と縁が深い場所です。ですから創業者は、当社独自の厳しい防災訓練を行っていて、『訓練中に笑顔や白い歯を見せた人がいたらやり直し』という徹底ぶり。私も継承して長年続けてきました」と語るのは、91年から同社社長を務め、2018年から会長となった米谷春夫さんである。防災訓練は1年に2回、火災や地震発生を想定して行われており、必ず消防署の職員に立ち会ってもらい、講評を受けている。「本当に本番さながら」の訓練を重ねていたことが、東日本大震災の際に生きたと、米谷さんは振り返る。
11年、同社は大船渡市で5階建ての総合量販店(GMS)を、陸前高田市では3階建ての通常店舗を運営していた。いずれの店舗でも地震発生直後、店長が「津波が来る」と確信し、自らの判断で顧客を避難させ、全員の避難を見届けた後に従業員を避難させた。また、津波による大きな被害を受けた他店の店長たちも「非常に的確な判断をして、1人も犠牲者が出なかった」と米谷さんは語る。
また、大船渡市内の内陸部にあった店舗では、地震発生の午後2時46分、停電で店内が真っ暗になった。しかし店長の自主判断で、当日の午後4時には営業を再開した。レジが動かないため、商品を駐車場まで持ち出し、従業員の車でライトを照らしながら、午後10時までワゴン販売を続けた。大船渡市と陸前高田市が津波による壊滅的な被害を受ける中、この店舗だけが奇跡的に被害を免れたため「お客さまが集中しましたが、かなり喜ばれました」と当時を振り返る米谷さん。
こうした現場の判断力と行動は、日頃からの訓練だけでなく、同社に脈々と受け継がれる「どのような天災があっても、戸板1枚でも営業を続けるんだ」という企業文化が浸透していたからこそだと米谷さんは強調する。震災当時、社長だった米谷さんも、当時の専務も出張中でトップ不在だったが、幹部に「地域になくてはならない店」だという使命感が深く浸透していたことが、とっさの対応につながった。
命を守る備えと地域連携 サプライチェーンの強化
同社は、前述のような訓練のほか、2000年頃から独自に大地震への備えを強化していた。これは当時、国の地震調査委員会から「2030年までに90%以上の確率で宮城県沖に大地震が発生」という予測が発表されたためだった。多くの企業では「単なる予測」と真に受けなかったが、同社は次のような防災への備えを行った。
まず、本部では地震と津波への対応マニュアルを作成し、おのおのの対応を明文化した。地震保険にも加入し、各店舗には衛星電話を設置して、店内の設備や備品の倒壊防止措置も行った。携帯電話による安否確認システムも導入し、毎月、試験運用して点検することにした。また、大船渡市など2市1町と防災協定を締結した。
さらに、図らずも震災のわずか1年前、新たな物流センターの設置を検討した際、本社のある大船渡ではなく、内陸の北上市に物流センターを建設する案を採用した。これが功を奏し、震災時に北上の物流センターは被害を免れ、寸断されたサプライチェーンの要として機能して、大量の荷物が各店舗に届けられた。震災当時、携帯電話が全くつながらない中、衛星電話が唯一の通信手段となり、情報収集や取引先への要請に活用された。長年の取引先である岩手県内のパンメーカーや、同社が加盟する共同仕入れ団体の全国ネットワークから、非常用物資が届いた。「取引先と良好な関係を築いていたことが良かった」と米谷さんは強調し、メーカーや問屋が協力してくれたことに感謝している。
被災店舗の再建に法律の壁 そして今、未来への展望
震災後、同社では一日も早く店を再開させて、住民に食料品を提供しなければと必死だった。ところが、陸前高田市では、津波の被災地や農業振興地域などに施設はつくれないという法律の壁が立ちはだかった。米谷さんは市長に直談判し、がれきの撤去を自社で行い、仮設店舗を建設するという条件で許可を得ることができた。
震災から14年がたち、三陸地域の人口は急激に減少している。大手資本のスーパーも進出し、同社の経営環境は厳しさを増しているが、米谷さんは「最良の経営資源は従業員」と断言する。「地域のお客さまを大事にする企業文化がしっかりしていれば、非常時もお客さま最優先で的確に対応する」と語る。また、大船渡商工会議所会頭でもある米谷さんは、「大船渡には、またどんな天災があるか分からない」としながらも「あまり萎縮しないで、積極的に元気なまちをつくっていきたい」と前向きな姿勢で地域の未来を見据えている。
会社データ
社 名 : 株式会社マイヤ
所在地 : 岩手県大船渡市盛町字木町14-5
電 話 : 0192-27-2165
代表者 : 白石実 代表取締役社長
従業員 : 約1300人(パート含む)
【大船渡商工会議所】
※月刊石垣2025年9月号に掲載された記事です。
