青森県黒石市。春風の中、田んぼの上空をドローンが静かに飛び交う。AI解析によって必要箇所だけに農薬を散布し、別のドローンが苗を育てずに種を直接まく。この光景を生み出しているのが株式会社アグリーンハートである。
同社は2017年に設立された農業法人で、社名には「あ、グリーンハート!」という、自然の若葉や人の優しい心、新しい芽(可能性)、発見のワクワクという意味が込められている。経営理念は「笑顔農業・感謝農業」。科学技術を活用しながら、人と自然の笑顔が循環する農業を目指している。
同社は現在78ヘクタールを管理し、そのうち59ヘクタールが有機栽培。グローバルGAP、有機JAS、ノウフクJAS、みどり認定という四つの認証を同時に取得した国内唯一の事例であり、持続可能な農業経営の先進モデルとして注目されている。
ドローンによる直まきやAI解析を用いたピンポイント薬剤散布を導入し、農薬使用量を最大9割削減。「科学は自然を支配するための道具ではなく、自然と共に生きる知恵である」と語る同社代表取締役の佐藤拓郎さんの姿勢には、自然や人への敬意、そして〝感謝される農業〟を実現したいという明確な信念がある。
佐藤さんの原点には、逆境の中で学んだ家族の生き方がある。
逆境から芽生えた〝人を育てる〟志
高校3年生まで教師を志していたが、祖父の経営破綻で家が差し押さえられ、家族は窮地に立たされた。それでも両親は「農業をやめない」と決断し、親戚に頭を下げて6800万円を借り、田を買い戻した。その姿を目にした佐藤さんは、「この人たちは土に生きている」と強く感じたという。
彼が学んだのは、経営とは技術ではなく覚悟だということだった。家業を守ることが目的ではなく、「人の心を守る仕事」として農業を捉え直した。教師の夢を諦めたのではなく、農を通して人を育てる道を選んだのだ。
17年、アグリーンハートを創業した佐藤さんは、「人も自然も笑顔で生きられる循環をつくる」ことを掲げた。社員は年々増え、異業種出身者やUターン組を含めた30~40代を中心に構成されている。「農業の会社」というより、「理念でつながるチーム」としての一体感がある。こうした組織風土が、地域農業の再生と若者の定着を支える原動力となっている。
取引でなく取り組み 共感資本経営へ
コロナ禍で米価が急落した際、佐藤さんは大きな転換を決断した。東京・世田谷に拠点を設け、都市住民が黒石の田んぼのオーナーになれるコミュニティー支援型農業(CSA)を開始した。青森県の食料自給率が242%、一方で世田谷区は3%。この対照的な地域を「対立」ではなく「共感」でつなぎ、「あなたの健康=地球の健康」という価値観を共有した。この取り組みで収穫された有機米は、東京オリンピック選手村や黒石市の学校給食にも採用された。
さらに法人が田んぼのオーナーとなる「企業版CSA」へと発展し、社員教育や福利厚生、SDGs研修の場としても活用されている。農業が社会貢献と経済活動を両立する〝共感のプラットフォーム〟へと進化している。
同社では「取引」という言葉を使わない。代わりに「取り組み」と呼び、価格交渉よりも理念の共有を重視する。「御社の理念に伴走するために、どんなお米をつくればいいでしょうか?」この問い掛けから商談が始まるのだ。
さらに、社員や取引先、顧客が理念にどれだけ共感しているかを〝共感比率〟として測定し、売り上げではなく共感の広がりを経営指標としている。求人票にも「地域の未来に若者をつくる仕事」と記し、スキルより理念への共鳴を採用基準とする。「人件費」ではなく「人材費」という発想である。
佐藤さんは語る。「私たちの目的は米を売ることではなく、笑顔を増やすこと」。共感の輪は顧客や地域を巻き込み、全国から学生や企業が黒石を訪れている。理念が共感を呼び、共感が地域を動かすその循環こそ、同社の真の成果である。
「農業は過去を耕す仕事ではなく、未来を耕す仕事だ」と佐藤さん。笑顔と感謝が連鎖する社会を信じ、アグリーンハートは今日も田んぼを舞台に〝希望の循環〟を育て続けている。
(商い未来研究所・笹井清範)
