とび職から土木工事の請負へ
埼玉県中央部の上尾市にある島村工業は、1902(明治35)年に武州川島領(現在の比企郡川島町)で創業した。初代の島村治作さんが家業のとび職を18歳で受け継いだのが始まりである。
「島村家は、もともとは加賀藩の江戸大名火消しの流れをくんだ『加組』を名乗り、武州川島領で職人を集めてとび職を営んでいました。その辺りは川に囲まれていて、当時は洪水がひんぱんに起こったため、初代はとびの仕事だけでなく、復旧作業や河川改修などの土木工事も行うようになったのです。初代はとびの頭(かしら)ということで、地元では“頭(かしら)んち”と呼ばれていて、それだけ人望があったのだと思います」と、島村工業の三代目で社長の島村健さんは言う。
災害復旧への貢献が認められ、1926年6月25日には埼玉県の指定請負人として許可を受け、これを機に屋号を「加組」から「島村組」に変え、建設業としての新たな歩みを始めた。そのため、同社では、この日を創立記念日と定めている。
「戦前は、公共事業といえば土木工事が中心で、当社も市町村や県からの仕事を主に請け負っていました。その中には建築工事の案件もいくつかあり、少しずつ建築にも携わっていくようになりました。とはいえ、当時は基本的には“土木の会社”でした」
戦時中、初代の長男・作治さんが召集され、不幸にも南洋で戦死を遂げた。残された初代は、物資も人手も不足する中、地域の人たちの手を借りながら孤軍奮闘して事業を継続していった。
本社機能を新社屋に移す
戦後、国土復興のために建設業は重要な産業となった。島村組も将来を見越し、1951年に個人企業から株式会社島村組に改組。主に河川の改修工事を請け負っていた。その翌年には、一級建築士の資格を持つ親戚を会社に迎えて建築の工事も開始し、55年には建築部を新設した。
「58年に初代が亡くなり、戦死した長男の息子である私の父が、二代目治作を襲名して27歳で社長に就任しました。父は旧制中学を卒業後、祖父の仕事を手伝っていましたが、社長就任当時はまだ若く、周囲から“若造”と見られることも多かったそうです。そのせいか『早く年を取りたい』とこぼしていたこともあったと聞きます」
60年代半ばになると、川島町の本店社屋が手狭になり、交通の便が悪いことから新たに人を集めるのに苦労した。そこで、67年に隣の上尾市に社屋を建て、そこに本社機能を移した。
