3月は異動や転勤、退職や転職の季節。その際、問題になるのが業務の引き継ぎだ。これがうまくいかないと、生産性の低下など業務に支障が出るのはもちろん、その後の社内外の人間関係にヒビが入る恐れもある。そんな状況を回避するためにも、スムーズな引き継ぎのポイントを、人材戦略コンサルティングを幅広く手掛ける森本千賀子さんに聞いた。
森本 千賀子(もりもと・ちかこ)
株式会社morich 代表取締役
引き継ぎは「いつ」「どの順番」で進めるべきか
―まずは引き継ぎがなぜ重要なのか、その理由をご説明いただけますか。
森本千賀子さん(以下、森本) 理由は大きく、生産性の維持、周囲の負担軽減、信頼関係の維持の三つです。引き継ぎがうまくいかないと業務が滞るだけでなく、「あの人が辞めた後は大変だった」「説明が足りなかった」などの感情的なしこりが残ります。逆に、丁寧な引き継ぎは「最後まで責任を果たした人」という評価につながり、その後のキャリアや人脈形成にもプラスに働きます。私は30年以上、人材業界で多くの“去り際”を見てきましたが、引き継ぎはその人の“仕事人生の通信簿”がつく瞬間だと考えています。
―決して手を抜けませんね。では、引き継ぎのスケジュールはいつから立てるとよいでしょうか。
森本 理想は、異動や退職が決まった日です。よくある失敗は、「まだ時間がある」と先延ばしにすること。実際には通常業務と並行して行うので、体感では想定の1・5倍の時間がかかると思った方がいいです。私は「全業務の棚卸し」「優先度・難易度で仕分け」「引き継ぎの順番を決めてスケジュール化」の三つのステップで進めることをお勧めしています。
―後任者の確認は、どのタイミングで行うべきですか。
森本 後任者が決まっている場合はいいですが、決まっていない状態で引き継ぎを始めるのは非常に危険です。最低限、誰が一次受けをするのか、最終責任者は誰かを明確にしてから進めるべきです。中小企業やベンチャー企業では後任未定のケースが少なくないですが、その場合“役割ベース”で引き継ぐことが重要になります。
―取引先や社外関係者に伝えるときはどのようなことに気を付けたらいいですか。
森本 ポイントは、順番と言葉選びです。まず、社内から社外の順で共有すること。退職の場合は、その理由を原則ポジティブかつ簡潔に伝えること。そして後任者を“安心材料”として紹介することです。例えば、取引先にあいさつに行く際には、なるべく後任者と一緒に訪問し、後任者の優れた部分を先方に伝えます。後任者が自分より経験が乏しい場合は、「少し時間はかかるかもしれませんが、〇〇は責任感が強いです」などとフォローしましょう。取引先が後任者に好印象を抱くようなつなぎ方をしておけば、後任者からも感謝されるでしょう。
引き継ぎに禁物な「漏れ」は「構造」で防ぐ
―業務の優先順位は、どう決めればよいでしょうか。
森本 基準は“止まると困る業務”からです。売り上げ、契約、顧客対応に直結するものが最優先で、次に締め切りや期限がはっきりしているもの、属人性が高いものという順番です。「いつも自分がやっていたから」「得意だから」という理由でつい後回しにしがちですが、これはNGです。
―中小企業に多い兼務業務は、どう引き継いだらいいですか。
森本 兼務業務は、本人が無意識にやっている仕事が多く、漏れやすい部分でもあります。この場合、「一日の業務を時系列で書き出す」「週単位、月単位で定例業務を洗い出す」ことをお勧めします。それらをリスト化して、漏れが発生しないようにすることが大事です。
―引き継ぎについて自己判断はどこまで許されるとお考えですか。
森本 原則として、「判断基準まで伝えられないものは、自己判断しない」が鉄則です。判断が必要な業務は、それにどういう背景があって、だからその判断をしたということを共有していくと、引き継がれる方としても参考になるし、ありがたいものです。
引き継ぎは「説明」ではなく「対話」を心掛ける
―社外秘情報は、どこまで伝えるべきですか。
森本 業務に必要な情報は、原則として前任者から引き継ぐべきだと思います。ただ、説明するだけじゃなく、しっかり対話をしながら、口頭で補足説明をする、情報の管理方法や注意点もセットで伝える、といった配慮が欠かせません。そもそも、なぜ社外秘になっているのか、その重要性についても伝えることが大切です。
―パソコンの使用ツールやシステムの引き継ぎで重要な点は?
森本 どんなツールやシステムを使っていたかだけでなく、なぜそれを使っていたか、それを使っていく上で注意すべき点は何かというところまで伝えることが重要です。特に、パスワードの管理、個人アカウントの扱い、属人的な設定に関しては必ずチェックして、共有しましょう。
―納品の締め切りや業務のスケジュールを伝えるコツはありますか。
森本 実際の作業を見せながら説明することをお勧めします。その際、一方的に伝えるのではなく、相手の理解度を確認したり、質問しやすい雰囲気をつくったりしながら行うのがポイントです。つい「これくらいは知っていて当然」と思って説明すると、相手が後輩の場合、遠慮してあれもこれも聞きづらくなってしまいます。引き継ぎは教える場ではなく、“一緒に完成させる場”なので、やはり対話が重要です。
―少しそれますが、社内での異動や転勤と、別会社への転職では、引き継ぎをする上で何か違いはあるものでしょうか。
森本 そうですね。社内ならその後も継続してフォローはできるので、引き継ぎはそこまで細かく行わなくても大丈夫かもしれません。一方、転職となると気軽に聞くことができなくなるので、抜け漏れは極力避けたいところです。この場合は、何かあったときに振り返りができるようなツールをつくって可視化しておくといいと思います。
引き継ぎのフォローで人間関係が決まる
―異動後や退職後、どこまでフォローすべきですか。
森本 基本的な目安として、後任者が自走できるまで何らかのフォローができる関係性をつくりたいところです。期間ではなく状態で判断することが大切で、「1回説明したから終わり」ではなく「説明しなくても回る状態」になるまでを一区切りと考えましょう。例えば、退職前に有給消化で長期の休みを取る際、後任者とすぐにコンタクトが取れるようにしておいたり、退職後も「何かあったら気軽に聞いてきて」と連絡先を伝えておくといいでしょう。
―定期的な状況確認は必要ですか。
森本 定期的に確認する必要はないと思いますが、可能なら1回くらいは「その後、どうですか?」と問い合わせすることをお勧めします。「最後まで責任をもって引き継ぎをしてくれた人」という印象が残り、その後の人間関係にも良い影響を与えます。
―引き継ぎ後にトラブルの相談が来た場合の対応は?
森本 感情的にならず、事実、背景、判断軸を整理して伝えるようにしましょう。自分がミスをした、顧客を怒らせた、クレームがあったというようなネガティブな情報は、得てして引き継がれていないものです。それが後々問題になったりするので、基本的にはネガティブなことも全て共有することがトラブル回避につながりますし、その対応が「次の仕事を呼ぶかどうか」に直結すると私は考えています。
属人化の解消会社ができるバックアップとは
―業務の属人化とは何ですか。
森本 その人がいないと業務が回らない状態を指します。その社員が優秀であればあるほど、あるいは中小企業やベンチャー企業など“代わりがいない”ようなケースで、属人化は起こりやすい問題だと思います。
―属人化が起こりやすい職場環境の中で引き継ぎを行う場合、経営者や管理職はどのような準備をすべきでしょうか。
森本 最低限、業務を「仕組み化」して、その人がいなくても回るようにしておくことが欠かせません。退職だけでなく、病気で仕事に従事できなくなる可能性もありますから、リスク管理の観点からも、バックアップ体制を整えておくことが大切です。会社としては具体的に、業務マニュアルの型、引き継ぎチェックリスト、情報管理ルールの3点を用意します。完璧でなくてもいいので、“ゼロから個人に任せない仕組み”を構築しておきましょう。
―異動後や退職後の業務に関して、会社が取るべき姿勢とは?
森本 組織の責任として業務を引き継いだ人を支える姿勢が大切ではないでしょうか。もし引き継げる人がいない場合は、早急に人を採用するなど、その人がいなくなった後の体制にデメリットが生じないようにすることです。組織がちゃんとバックアップしてくれることが分かれば、残る社員の安心感やエンゲージメント向上につながります。
―引き継ぎに関するポイントや心構えを伺ってきました。最後に、「最強の引き継ぎ」をするためのメッセージをお願いします。
森本 引き継ぎは単なる作業ではなく、人や信頼、組織文化を未来へつなぐ仕事です。人材の仕事に長く関わってきて、「引き継ぎの質=組織の資質」だと実感しています。退職する人の力量もありますが、企業規模を問わず素晴らしい組織というのは、退職する人のチャレンジや未来を組織としてバックアップしています。ですから、引き継ぎを通じて新しい組織をつくっていくくらいの気持ちで向き合える企業は、本当に強いと思います。
最強の引き継ぎポイント
point1 スムーズな進め方
①全業務を洗い出す(棚卸し)
②優先度・難易度で仕分けする
③引き継ぎの順番を決めてスケジュール化する
point2 業務の優先順位の決め方
①売り上げ、契約、顧客対応(ネガティブな情報も含む)に直結するもの
②締め切りや期限が明確なもの
③属人性が高いもの
point3 後任者への伝え方
①実際の作業を見せながら説明する
②相手の理解度を確認する
③質問しやすい雰囲気をつくる
④一方的な説明は避ける
point4 経営者や管理職が準備すること
①業務マニュアルの型
②引き継ぎチェックリスト
③情報管理ルール
“最強”の業務引き継ぎ 10の極意
立つ鳥跡を濁さず。引き継ぎがうまくいくかどうかは、引き継ぐ者にとって仕事の集大成であり、企業にとっては組織力のバロメーターでもある。転職志向の高まりや働き方の多様化が進む今日。人の流動性に対応できる強い組織をつくるためにも、引き継ぎの極意を押さえよう。
極意1 引き継ぎは、仕事人生の通信簿
引き継ぎは、それまで自分がやってきたことに最終評価が下される瞬間でもある。その後のキャリアや人脈形成につながるだけに、最後まで責任をもって取り組もう。
極意2 引き継ぎは、異動や退職が決まった日から
引き継ぎ業務は、想定の1・5倍の時間がかかる。後回しにせず、異動や退職が決まったその日から引き継ぎスケジュールを立て、アクションを始めよう。
極意3 引き継ぎは、後任者を決めてから
後任者が決まっていない状態で引き継ぎをするのは危険。“一次受け”する人(多くは上長)と最終責任者を決めてから行おう。
極意4 引き継ぎは、順番を決めてスケジュール化
自分がやってきた業務を全部書き出してみる。それらを優先度や難易度で仕分けして順番を決め、いつまでに何をするのかスケジュールを立てよう。
極意5 業務の優先順位は、“止まると困る”を基準に
止まると困る業務を基準に優先順位を決めていこう。「いつも自分がやっていたから」「得意な作業だから」といった理由で後回しにするのはNGだ。
極意6 退職理由は、原則ポジティブに説明
取引先などに退職のあいさつをする際、ポジティブに説明することが大事。後任者を伴う場合は、先方が後任者に好印象を抱くようにポジティブな紹介を心掛けよう。
極意7 一日の業務を時系列で書き出し、漏れを防止
中小企業に多い兼務業務は本人が無意識に行っているケースも多い。一日の業務を時系列で書き出し、週・月単位の流れを洗い出して、漏れを防ごう。
極意8 引き継ぎは、説明ではなく対話
単に業務内容を説明すればよいというものではない。実際の作業を見せながら、相手が理解しているかを確かめつつ、ささいな質問にも丁寧に対応しよう。
極意9 引き継ぎ後も、できるだけフォロー
引き継ぎは、後任者が1人でも回せる状態になるまでが一区切り。たとえ職場を去った後でも、1回はフォローしよう。その後の人間関係にも好影響を与える。
極意10 引き継ぎは、個人だけでなく組織の責任
異動や退職する人にゼロから任せるのではなく、組織としても引き継ぎの仕組みを構築しておこう。結果的に、残る社員の安心感やエンゲージメント向上に寄与する。
