高橋 和樹 (たかはし・かずき)
1980年埼玉県出身。株式会社フォーバル所属。
BC3クラス(最も障害の重いクラス)
ボッチャは、誰もが気軽に楽しめると愛好者を急速に増やしているパラスポーツ。だが、極めようとすると、必要な技術も戦略性も高く、ミリ単位でボールを操るパラリンピアンの妙技に感心させられる。 人気のきっかけはリオ・パラリンピックで、日本代表がBC1/2クラスのチーム戦で銀メダルを獲得したこと。だが、歓喜に沸く4選手の陰で、BC3クラスの高橋和樹は一人、悔しさの中にいた。個人戦に出場し、予選敗退に終わっていたからだ。 5歳から始めた柔道で、中学3年時には全国大会に出場し、強豪高に進学。だが、2年時に試合で首を骨折して頸髄を損傷、手や足など体の80%以上がまひという重い障害が残った。常に介助を必要とし、電動車いすでの生活になったが、強い思いで復学。大学卒業後は就職し、自立生活もスタートさせた。 ボッチャへの挑戦は2014年春から。元々スポーツへの復帰を目指していたが、東京パラリンピック開催が決定し、「やるなら本気で世界一に」と決意。自身の障害も考慮して選んだのがボッチャだった。持ち前のセンスが開花し、わずか2年後の16年には世界選手権で準優勝を果たし、リオ・パラリンピック代表にも選ばれた。 だが、期待された結果からは遠く、世界との実力差を痛感。20年東京大会での雪辱を期し、心技体全ての強化方法を見直した。練習時間確保のため、アスリート雇用を求めて転職もした。 BC3の選手は、手足の自由が利かないためアシスタントのサポートを受け、滑り台のような補助具(ランプ)を使ってボールを転がす。家族ペアが多い中、高橋は競技を通して知り合った峠田(たおだ)佑志郎さんと組む。高橋の覚悟を受け、峠田さんも職を辞し、競技専念の道を選んだ。 ルール上は「選手が主」だが、対等な関係性を大切にする。アイデアを持ち寄り、時に意見を戦わせてつくり上げる「二人のプレー」を、東京パラリンピックで出し切ることが目標だ。高橋は、「峠田さんとの連係も見てほしい」と力を込める。 理想とするのは、6球目を投げて初めて「そんな作戦だったんだ」と、敵も観客も驚かせるようなボッチャだ。
緻密な戦略と高い技でミリ単位の攻防を展開。ラスト1球で大逆転も!
重度の脳性まひなどで四肢に機能障害のある人を対象に考案され、1984年からパラリンピック正式競技に。白い目標球(ジャックボール)に、赤か青のボールをいかに近づけるかを競う。障害クラスは全4クラス(BC1〜4)。
競技紹介 https://tokyo2020.org/jp/games/sport/paralympic/boccia/
観に行こう!2020ジャパンパラボッチャ競技大会
日程:2020年2月28日(金)〜3月1日(日)
会場:新有明体操競技場(東京都江東区) *入場無料
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