彼のバッティングを見ていると「ヒットって、こんなに簡単に打てるんだ!」と思ってしまうが、プロのピッチャーを打つことは、そう容易なことではない。しかし、いとも簡単に打っているように見えるところにこの人の技がある。5月9日メットライフドーム、史上51人目の2000本安打を達成した時もそうだった。8回、西武・武隈投手の変化球を捉えたソフトバンク・内川聖一選手の打球は、センター前に抜けていった。内川らしいコースに逆らわないバッティングだった。
横浜時代の2008年には、右打者としての歴代最高打率、3割7分8厘で首位打者になるとともに最多安打、最高出塁のタイトルも獲得した。その後14年まで7年連続で打率3割をマークしている。生涯打率も3割を超える、誰もが認める現役最強の右打者だ。
しかし、すべてが順風満帆だった訳ではない。入団からしばらくは、1軍と2軍を行ったり来たりしている選手だった。内野の守備にも不安があり、外野へのコンバートも余儀なくされた。転機は08年の杉村繁コーチとの出会いだった。杉村コーチは、古巣のヤクルトに戻ってからはトリプル3の山田哲人選手も指導した名伯楽だ。それまでの内川は、ポイントを前にして引っ張る打撃を志向していた。一発長打の魅力はあるが確実性がない。杉村コーチの提案は、ポイントを近くしてコースに逆らわないバッティングをしようというものだった。ボールを引き付ける分、コンパクトなスイングが求められるが、さまざまな変化にも対応できる。元来、バットコントロールのうまい内川には、それが自身の感覚に合う打ち方だったのだろう。
成果はすぐに出た。自分のスタイルを作り上げた内川は、前述の通り首位打者になるほどの高打率を残し球界屈指のヒットメーカーとして自在にヒットを打ち続ける。彼の真骨頂は、インコースのボールでもライト方向に打てることだ。まるでテニスのラケットを持っていて当たる角度によって打球方向が決まるかのように簡単に打つ。もう一つの特徴は、いつでも口を開けて打っていることだ。顎の脱力が体全体の脱力につながっているのだろう。内川はどんな場面でも初球から攻撃的に打っていく。バッティングに対する論理的な思考と高い技術と積極性の融合。まさに打撃の職人だ。
写真提供:産経新聞
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