宇喜世
新潟県上越市
仕出し屋から料亭へ
新潟県南西部にある上越市の高田地区は、江戸時代には高田藩の城下町として栄えていた。現在の直江津地区にあった福島城から城主が高田城に移ってきた際に、城下町の人たちも、そのまま移転してきたとされている。まちには古くから続く店が数多くあり、そのうちの一つが料亭の宇喜世(うきよ)である。
「実は宇喜世の創業年は定かではありません。店の前の通りには料理屋や料亭が並び、最初は魚の卸業をやっていたようです。江戸時代末期にこの場所で仕出し屋を始め、その後、料亭を営むようになりました。今も残る建物は明治14(1881)年にはあったことが確認されているので、少なくとも140年以上、仕出し屋から数えたら150年以上の歴史はあると思われます」と、宇喜世の社長を務める大島誠さんは言う。
明治時代後期になると高田に陸軍第13師団の司令部が置かれたことなどもあり、まちはにぎわい、料亭は発展した。3回にわたり隣の土地を買い増して建物も拡張し、昭和時代初期には153畳もの広さの大広間を持つまでに至っていた。「153畳の大広間など、100人規模の宴会がひんぱんにないとつくれません。これは、高田のまちがそれだけ栄えていたことはもちろんですが、近隣の大地主や山林を持つ材木業者などが高田に別宅を持っていて、ここで取引の接待をしていたからではないかと思います」と大島さんは語る。
当初の屋号は当主の名字を取って「寺島屋」だったが、昭和8(1933)年に宇喜世となった。これは「宇宙を喜ぶ」「世の中を喜ぶ」から取った造語だという。
マーケットを広げて生き残る
宇喜世は創業者から数えて八代目まで続いたが、経営が厳しくなり、平成18(2006)年に倒産した。このままでは高田で100年上続いた料亭の文化も建物もなくなってしまう。それを危惧したまちの有志3人が出資して、宇喜世の土地・建物を含めた経営権を買い取り、営業を続けた。
「料亭は単なる飲食の場だけでなく、地域の文化や経済の象徴でもある。それがなくなると精神的なダメージが大きい。それを心配したのです。私の父も出資者の一人で、資金の半分以上を出したことから、父の会社が経営を引き継ぎました」と大島さんは言う。
宇喜世の経営を引き継いだのは大島グループ。もともとは農機具メーカーだったが、現在はさまざまな業種のグループ会社を経営している。大島さんは婿養子として同社に入り、かつてはグループ会社の再生を主に担当していた。
「宇喜世の経営はずっと赤字で、6年前に私にお鉢が回ってきました。料亭の経験などもちろんありません。私なりに分析したところ、料亭のマーケットは非常に小さい。営業は夜のみで、顧客は地元で、企業で、男性で、と掛け算すると、一般の飲食業に比べて20分の1のマーケットで商売をしている。これをいかに1に近づけるかが、生き残るためには必要だと思いました」
そこから、料亭を続けていくための大島さんの苦闘が始まった。
「百年料亭ネットワーク」設立
「商売の方法を歴史ある料亭に教えてもらおうと思い、うちのように創業も建物も百年以上の料亭を自分たちで探しました」。大島さんはパートを一人雇い、半年かけて全国の約3千軒の飲食店に問い合わせしたところ、67軒がそれに該当した。「ところが、どこの店もうちと一緒で経営が厳しい。お客さまが減り、古い建物の改修費が大変だと。うちとまったく同じ問題を抱えていたんです」
実は大島さんは同じころ、料亭の改修に助成金を出してもらえないかと国土交通省に相談に行っていた。「方法は三つあると言われました。一つは全国の古い料亭のネットワークをつくること、二つ目は政府の委員会や諮問会議に参加する有識者に働きかけて、公式な会議で発言してもらうこと、そして三つ目が古い料亭を盛り上げる議員連盟をつくることでした」 それから大島さんは1年以上の年月をかけて全国の歴史ある料亭に協力を呼びかけ、昨年3月に創業・建物ともに百年以上の歴史を持つ全国18の料亭による「百年料亭ネットワーク」を設立した。そして今年6月には各界の著名人による有識者会議も開き、7月には国会議員による「百年料亭ネットワーク推進議員連盟」も発足した。
「ネットワークを通じて料亭の伝統を残すとともに、その良さを国内外に発信していきます。そして、繁華街の中心地にある料亭を活性化することで、まちをにぎやかにしていきたいと思っています」
百年以上ある歴史の空間の中で食事を楽しむ。そこには料理の味だけではない味わいがある。
プロフィール
社名:株式会社宇喜世
所在地:新潟県上越市仲町3-5-4
電話:025-524-2217
代表者:大島 誠 代表取締役
創 業:江戸時代末期
従業員:20人(正社員14人)
※月刊石垣2018年9月号に掲載された記事です。
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