平成23年3月11日に起きた東日本大震災は、福島県いわき市の温泉テーマパーク「スパリゾートハワイアンズ」(以下ハワイアンズ)にも大きな打撃を与えた。閉鎖もささやかれる中、施設と地域のために立ち上がった「スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチーム」(フラガール)はいつしか復興のシンボルとなる。彼女らを率い、支え続けたのは、震災後にリーダーに就任した大森梨江さんだった。
泣いてばかりもいられない
取材当日、取材スタッフの前に現れたのは黒いスーツを身にまとったビジネスウーマンだった。そこには、わずか数カ月前に自身の引退セレモニーで1500人を沸かせたフラダンサー〝モアナ梨江〟の気配はまったくない。華やかな衣装から無地のスーツに着替え薄化粧へ。現在は事務方として、スケジュール管理などフラガールのサポート役にまわる。これまでのご苦労や経緯を伺った。
大森さんのフラガールとの出会いは小学4年生のときだった。両親に連れられ訪れたハワイアンズのショーを観賞し一目惚れした。
「広々としたステージのすぐ横にプールが併設されるダイナミックな空間は特別な場所であると感じました。地元にこんなに素敵なステージがあるのなら、私もここで踊ってみたいと思いました」
しかし、高校卒業と同時に受けたハワイアンズの入社試験に落ちてしまう。大森さんは東京のダンス専門学校で2年間技術を磨き、〝2度目の正直〟でハワイアンズの一員になった。そして、あの大震災は入団6年目のことだった。
ダンサーたちのほとんどは地元出身者だ。家が津波に流された人もいた。大森さんの出身は東京電力福島第一原子力発電所のある双葉町。震災後に帰還困難区域に指定されて以来、いまだに防護服なしに自分の家に立ち入ることすらできない。実はハワイアンズは3月11日の本震よりも、その1カ月後の4月11日の余震で壊滅的な被害を受けた。さらに状況を悪化させたのは原発事故による風評被害だった。かつて年間140万人の観光客でにぎわったハワイアンズは閑散とし、静まり返っていた。
「この先、生きていけるのだろうかと途方に暮れました。けれど、いつまでも泣いてばかりはいられません。メンバーの誰からともなく、これまでお客さまに足を運んでいただいたのだから、今度は私たちが全国に出かけて行って、元気な姿を届けようと言い始めたんです。私も同じ気持ちでした」
こうして、「フラガール全国きずなキャラバン」を行うこととなった。これはかつてハワイアンズがオープンしたとき以来、45年ぶりの全国キャラバンとなる。
フラガールがやってきた!
震災から約2カ月後の5月3日に、フラガールの全国キャラバンがスタート。最初の3日間は、いわき市内の避難所で慰問活動をすることになった。
「私たちもいわきで生活しているので被災者の方々の過酷な環境が想像できるんです。本当に避難生活の場に行ってもいいのか、笑って踊ってもいいのか、ギリギリまで悩みました」
キャラバンが訪れた避難所の体育館は人であふれていた。踊る場所がないため、外にブルーシートを敷き簡易ステージをつくり、パイプ椅子を並べた客席に向かって精いっぱいの笑顔で踊った。
「地元の方々は私たちを〝同士〟のように温かく迎え入れてくれました。立ち見客が出るほど大盛況で、中には涙を流して喜んでくださる方もいらっしゃいました」
5月12日からは福島を離れ、首都圏を目指した。
「訪問先の環境は行ってみないと分かりませんから、出たとこ勝負の日々でした」
あるときは真夏の太陽の下、人工芝の上で裸足(はだし)になって踊り、火傷(やけど)を負いながら最後までやりきった。先行き不透明のまま走り続けるフラガールたち。それでも全員が高い志を持ってステージに立ち続けられたのはなぜなのか。
「私は、どちらかというと声が小さいタイプで、人をリードする人間ではありません。メンバーたちも、フラガールになった理由は違っていたかもしれません。けれど、お客さまに感動や笑顔を届けたい、という最終目標だけは共通でした。だから、走り切れたのだと思います」
大森さんは、震災の翌年の6月にリーダーに就任している。聞けば、最初に会社からオファーがあった際は悩んだ末に一度断ったのだという。
「自分には、リーダー気質もないし力量不足だとも思ったんです。でも、会社のスタッフの方々に説得され覚悟を決めました。私は、ただメンバー28人それぞれの思いを引き受けただけです」
引退しても地域のために
その年の8月、ハワイアンズは記者会見を開き、10月1日に「部分オープン」をすると発表した。これで全国キャラバンをやり遂げ、ホームに帰るという目標ができたのだ。ハワイアンズの再開を待ち望んでいたのはフラガールだけではない。記者会見の翌朝から電話回線がパンクするほど予約の電話が殺到したという。ハワイアンズが全面復旧を待たず部分オープンに踏み切ったのにも理由があった。ハワイアンズが地域に与える経済波及効果は年額400億円にもなる。再開することで、いわきが少しでも元気になってほしいとの思いがあったからだ。部分オープンの日取りに合わせて、「フラガール全国きずなキャラバン」の最終公演も10月1日、2日に催されることとなった。
「これまで私たちを支えてくださったお客さまへ心からの感謝の気持ちを込めて、『足を運んでくださってありがとうございます』とお迎えするつもりでいました。それなのに当日は、お客さまの方から『おかえり! フラガール』の横断幕で歓迎してくださったのです。胸を打たれるものがありました」
うれしいニュースは続く。震災前には首都圏がメインだった客層が変わったのだ。震災後、ハワイアンズの存在すら知らなかった人や全国キャラバンで出会った人々とステージや館内で再会できる機会が増えた。
「〝福島〟の負のイメージが払拭(ふっしょく)されつつある手応えを感じました」
震災から6年。現在、ハワイアンズは、震災前と変わらない入場者数を誇り復活を遂げた。そして28年7月、大森さんは現役を引退する。理由は怪我(けが)だった。2年前に股関節を痛め、鎮痛剤を服用しながら舞台に立ち続けてきた。7月30日に行われた引退公演には、大森さんの最後のパフォーマンスをこの目で見届けようと、約1500人ものファンが詰めかけ別れを惜しんだという。
フラガールの多くは引退後に退職するというが、大森さんが第二の人生に選んだのは、古巣ハワイアンズで継続して働くことだった。現在はハワイアンズの女性管理職としてチームの育成に力を注いでいる。「『モアナ梨江』としてすべてやり尽くしました。だからなのか、ステージを見ても踊りたくはなりません。私には次のステージがありますから」
第二の「モアナ梨江」誕生の日も近いのかもしれない。
大森梨江(モアナ梨江)
元スパリゾートハワイアンズ・ダンシングチームリーダー
福島県双葉郡双葉町出身。平成16年常磐音楽舞踊学院入学。第40期生フラガール。小学生のころ、ポリネシアンショーを見たことがきっかけでフラガールになる。18年公開の映画『フラガール』で南海キャンディーズの山崎静代さんが演じたダンサーのモデルになった。21年サブリーダー、24年6月リーダーに就任。28年引退。同年7月に行われた引退セレモニーには約1500人のファンが集まった
写真・後藤さくら
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