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あの人を訪ねたい 鎧塚俊彦

「常に明るく、礼儀正しく。これが成功への近道です」

世界的パティシエ・鎧塚俊彦さんの実績をたどると、「日本人初の三ツ星レストランのシェフ・パティシエ」、「世界初の畑からつくるショコラ」など、「初」のキーワードが次々飛び込んでくる。夢をかなえ、さまざまなことに挑戦し、道を切り開いてきた鎧塚さん。そして彼が目指しているのは、職人集団であるパティシエの育成とその労働環境の整備だ。前例のない事業を実現させる情熱を支えるものとは何か。

洋菓子を基礎から学びたいと29歳で欧州へ

鎧塚さんが菓子業界に足を踏み入れたのは、高校を卒業して4年後のこと。いったんは菓子業界と無縁の一般企業で社会人の厳しさを学んだが、平成元年にかねてからの夢である菓子職人の道に進むと決意した。

「当時は、まだ〝パティシエ〟という言葉もない時代でした。子どもが『ケーキ職人になりたい』と無邪気に夢見る感覚に近かったのかもしれません」

それでも、意志は固かった。関西のホテルで修業を積んだ6年間、真面目でチャーミングな性格は、師匠や同僚らに愛された。すぐに才能を買われ、ほどなくしてアシスタントシェフに抜擢されることとなったのだが、「これから」というときに渡欧を決意する。

「あまりにトントン拍子の出世だったため、このままシェフになったら『張り子の虎』になると思ったんです」

当時、海外で修業するなら25歳までに旅立つのが一般的だった。でも、「一流を目指すなら本場ヨーロッパで一から学び直す必要がある」。ラストチャンスをつかむ思いで、29歳で海を渡った。

安定を嫌うわけではないが、一つの場所に留まってラクをするのは嫌いだという。ヨーロッパ修業の8年間はスイス、オーストリア、フランス、ベルギーと場所を移し、キャリアアップを図った。修業の成果は余すことなく現在に生かされている。例えば、平成12年にパリで行われた『INTERSUC2000』で優勝し、その実力を世界に知らしめ、同年ベルギーで日本人初の三ツ星レストランのシェフ・パティシエに抜擢(ばってき)され、〝親方※〟のいろはを学んだ。また、スイスの菓子店で賄いに出されていたキッシュの味に感銘を受け、今年、キッシュ専門店の『キッシュ・ヨロイヅカ』を江ノ島、池袋と立て続けにオープンしている。ちなみに勝負強さは健在で、25年放送のテレビ番組『アイアンシェフ』のスイーツ対決では見事勝利を飾っている。

日本に帰国したのは、14年のこと。いよいよ『Toshi Yoroizuka』ブランドを立ち上げるためだ。ほとんど無一文で帰国したというが、数社のアドバイザーを務めながらわずか2年の準備期間で一号店を恵比寿に開いたのには驚きだ。カウンターでつくりたての菓子を提供する「ア・ラ・ミニッツ」のスタイルは話題を呼び、3年後には六本木ミッドタウン店をオープンさせた。「確かな技術」「つくりたて」「素材」の三本柱で瞬く間に人気店となった。勢いを止めたのは、23年の東日本大震災だった。

※鎧塚さんが“親方”と呼ぶのはシェフ・パティシエのことで、パティシエのリーダーを指す

人生最大のピンチを救ってくれた妻の言葉

「僕は阪神・淡路大震災も経験したんですけど、不思議と全く怖くなかったんです。けれど東日本大震災は心底恐ろしかった……」

〝独り身〟ならなんとでもなるが、100人を超える従業員とその家族を食べさせていかなければならない親方だ。重責を担う鎧塚さんを支えたのは、妻で女優の川島なお美さんだった。「どんなことがあっても、今日より明日はもっとよくなる」。彼女の一貫した姿勢に励まされたという。震災により、一時は売上が半分まで落ち込んだが、くじけずに持ち直すことができた。

鎧塚さんの仕事は徹底している。例えば22年、エクアドルに約9000坪の自社農園を開設したのは、ショコラの本来の味を追求するためだ。一から育てたカカオ豆を空輸し、そこからロースト、粉砕、コンチング(精錬)など、ショコラになって店頭に並ぶまでのすべての工程を自社で行う仕組みをつくった。世界初の〝畑からつくるショコラ〟の誕生だ。さらに翌年には、小田原石垣山の山頂に、農園とパティスリー、レストランが併設された『一夜城Yoroizuka Farm』を開設。素材を見直し、地産地消を目指すための事業だという。第一次産業の底上げを図るためには、地域の農家との共存共栄が必要不可欠と思うからこそ行動に移した。

関わるすべての事業の根底にあるのは、「おいしいお菓子をつくって提供すること」。そのためには、職人の育成にも力を注いでいる。鎧塚さんは職人集団である自社のパティシエの労働環境の整備に力を入れ、上場企業にも劣らないくらいの環境をつくりたいと考えている。すべては弟子のため。苦労して腕を磨いても、労働条件と環境が整わなければ、結婚して子どもができた後も長く働き続けることができないからだ。立派なパティシエになってほしいからこそ、鎧塚さんは弟子たちに厳しい修業を課す。

弟子には技術より大切なことを伝えたい

「うちは、2年間ケーキに触らせず、職人として必要なことを教えます。そのため、『人間育成』に力を注ぎます」

弟子たちに必ず伝えるのは、どんなときも明るく振る舞うことと礼儀正しくあることの2点だ。それが守れれば職人として最短コースで一人前になれるばかりか、異業種に転身しても大成するという。とはいえ、この単純だが厳しい教えを守れるのはごく一部の弟子だけ。手綱を緩めるつもりはない。

良いことばかりではない。昨年、最愛の妻を亡くした。それでも立ち止まるわけにはいかない。妻との合言葉であった「今日より明日はもっとよくなる」と信じるからこそ、動き続ける。

良いことばかりではない。昨年、最愛の妻を亡くした。それでも立ち止まるわけにはいかない。妻との合言葉であった「今日より明日はもっとよくなる」と信じるからこそ、動き続ける。

そして今秋、『Toshi Yoroizuka』はひとつの節目を迎える。大切に育ててきた恵比寿本店を一時休業して、Toshiイズムを結集させるべく新店を京橋にオープンさせるのだ。

ゆっくり休んでいる暇などなさそうだが、プライベートでやりたいことはと伺うと、「たまにはのんびりと旅行にでも出かけたいのですが、なにしろひとりぼっちだからなぁ……」と言いつつも、あくまで明るく振る舞う鎧塚さん。顔がほころんだところで取材終了を告げると、凛とした表情に戻り、丁寧に礼を言われてしまった。やっぱり親方はいつだって未来を見ているのである。

鎧塚俊彦(よろいづか・としひこ)

パティシエ・オーナーシェフ 

昭和40年、京都府生まれ。恵比寿、六本木などにパティスリーを構えるオーナーシェフであり、それらを運営する株式会社サンセリーテ代表取締役。ヨーロッパでの8年の修業中、平成12 年にパリで行われた『INTERSUC2000』で優勝。同年にベルギーの三ツ星レストランにて日本人初のシェフ・パティシエに就任。16年、東京・恵比寿に『トシ・ヨロイヅカ』をオープン。22年、エクアドルに『トシ・ヨロイヅカ・カカオファーム』を開設。27年ホットランドとの合弁により『株式会社1016』を設立した

写真・後藤さくら

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