小千谷市は新潟県のほぼ中央に位置しており、市の中心には、信濃川が流れています。田園都市小千谷は、その流れが長い時間をかけてつくった河岸段丘の上にあります。古くから信濃川水運の要衝として商工業が栄え、織物(小千谷縮(ちぢみ))のまちとして知られていました。現在の人口はおよそ3万7000人。高い技術水準を誇る精密機械製造業・鉄工業を基幹産業とする県下有数の工業都市として発展しています。
そんな小千谷市で当社は私の父である先代の社長が、後継者難から廃業を余儀なくされていた花火製造会社を引き継ぐ形で、昭和55年に創業しました。小千谷市片貝町の花火は、町の総鎮守である浅原神社の秋季例大祭で、神社への奉納花火として発展。明治24年に「三尺玉」を打ち上げたという記録も残っています。父は「地元でつくった花火が上がらなくなったら、祭り自体が廃れてしまう」との思いから、会社を引き継いだのです。
そのとき、私はまだ33歳。食品会社の営業マンとして県外にいました。しかし、その5年後の昭和60年、当社で花火工場の移転問題が持ち上がりました。私も会社を存続させるために後継者として入社することとなりました。私自身も片貝で生まれ育った人間。祭りが大好きですし、花火の伝統を守らなくてはならないとの思いがありました。とはいえ、花火の製造については、全くの素人。ですから、必死に勉強しました。私が会社に入った当時、職人の「経験と勘」に頼りすぎているということを強く感じました。そこで、サラリーマン時代の経験から製造工程の管理にコンピューターを導入。そのおかげで、材料や工程などの管理・分析が充実しました。花火の品質向上にも役立っています。
新潟には「河の長岡、海の柏崎、山の片貝」といわれる三大花火大会があります。当社は、その片貝、柏崎をはじめ、約30カ所の花火大会を任されており、品質には絶対の自信をもっています。もちろん常に進歩・改善を求めています。だからこそ自社での「製造」と「打ち上げ」にこだわっているのです。実際に自分たちがつくったものを打ち上げるから進歩がある。当社は片貝の花火を守るために生まれた会社です。これからも父の遺志を継ぎ、地域の発展に力を注ぐとともに、日本の文化である花火を後世に伝えていくことを念頭に会社経営にあたってまいります。
最新号を紙面で読める!