100年経営に極意あり!長寿企業の秘密 松山という土地にこだわり枝葉を広げていった菓子司

一六本舗

愛媛県松山市

いち早く銘菓を復興

やわらかなスポンジでこしあんを巻いた「タルト」は松山の郷土菓子として知られている。久松家初代松山藩主・松平定行が長崎探題職に就いていた天保4(1647)年、ポルトガル船の長崎入港の報を受け、現地に赴いた際、持ち帰ったのがそのはじまりだとされている。定行が味わったのは、カステラの中にジャムが入っていたもので、あん入りのタルトは彼が独自に考案したものといわれている。明治以降、その製法が地元の菓子司に伝わり、松山の銘菓となったという。

現在、タルトを扱うメーカーはいくつもあるが、柚子の風味を生かしたあんを使った一六本舗の「一六タルト」が、松山を代表するブランドとして県外にも知られている。ところが、「実は、タルトでいえばうちはむしろ後発なんです」と四代目の玉置泰社長の口から意外な言葉が出た。

「もともとは、私の曽祖父母が松山の大街道という繁華街で和菓子屋を開いていました。昭和の初めにはタルトも扱っていたらしいのですが、醤油餅やまんじゅうが主力で、本格的にタルトに力を入れ始めるのはもっと後のことでした。二代目である祖父はかなりの新し物好きで、家業の和菓子屋をあまり顧みなかったらしいのです。曾祖父母から家業を実質受け継いだのは三代目である父の一郎だったようです」

昭和21年、先代の一郎さんは、戦地から戻ると、空襲で焼け野原となった松山市内で、どこよりも早く店を復興。そして、戦争で廃業したタルトの名店で職長という立場にいた菓子職人が職を求めて訪れてきた。一郎さんの胸には、きっと松山銘菓のタルトを本格的に扱いたいとの思いがあったのだろう。その職人と、菓子づくりで腕を振るっていた弟の玉置博さんがタッグを組み、いよいよ「一六タルト」を主力商品として売りだしたのが26年のことである。ラジオで宣伝まで打ち、大街道の商店街の人々を驚かせた。

広告代理店を辞め故郷に戻る決心をする

工夫と改良を重ねた一六タルトは、その風味と質の良さとで評判を呼び、いつの間にか、「タルトといえば一六」と称されるようになった。菓子づくりは、博さんに委ね、一郎さんは、店舗づくりや宣伝に力を注ぐようになった。やがて、会社運営は軌道に乗り、一郎さんは一六本舗を多角化。経営基盤を強化していく。そんなとき、一郎さんは47年から電通に勤めていた長男の泰さんに声を掛けた。泰さんは当時をこう振り返る。

「父は、とにかく元気でした。だから、小さいころから、家業は継ぐものだと感じてはいましたけれど、15年やそこらは広告の仕事に没頭しようと思っていました。ところが、47年に父が手掛けたボウリング場が失敗し、その跡地を生かしてスーパーを開業したときのことです。東京に誰か良い人材は居ないかと聞かれました。ある人を紹介したのですが、結局ダメになってしまいました。これは自分が帰るしかないかなと思いましたね」

ちょうど、長女の誕生を控えていた泰さんは、松山に戻る決心をする。52年のことである。経営陣の一員として故郷に戻るわけだが、電通の送別会で一人の先輩が、こんなアドバイスをしてくれた。

「お前が帰って親は喜ぶだろう。でも、周りはそうでもないぞ。2年間だけは仕事をせずに、周りを見ておけ。社長の息子なんだから、クビになることもないだろうし」

肩書きは「取締役企画室長」。スタッフはゼロからのスタートだった。アドバイスを参考に現場には口を出さず、車に乗って、店舗回りに精を出していた。

改革を続行するとともにバトンタッチも見据える

そんな泰さんに翌年、本格的な大仕事が訪れる。それは、一六タルトのテレビCMづくりだった。

「たまたま広告を担当していた人がスーパーに移ったということもあり、私がその任に当たることになったんです。このCMを俳優の伊丹十三さんにお願いしたのをきっかけに、伊丹さんご夫妻との親密なお付き合いが始まりました」

一六タルトは既に一定の知名度を得ている。泰さんがCMに求めたのは、商品のイメージアップだった。「もんたかや(戻ったかい)」のフレーズとともにCMは大評判となった。夫妻との付き合いは、59年に公開された伊丹さん初監督作品「お葬式」に泰さんが出資し、製作として関わることにつながっていく。

「父にも会社にも内緒でしたが映画がヒットしてくれて勘当は免れました」と、今では笑って話すが、宣伝へのこだわりは親譲りなのかもしれない。その後も、伊丹プロダクションの社長を兼任し、伊丹十三とその作品を守り続けている。

61年、一六本舗の社長に泰さんが就任。平成元年にはスーパーの社長にも就いた。そして、泰さんは、平成13年に「一六グループ」を「ITMグループ」と改称し、グループの機能を刷新する。こうして泰さんは、一郎さんが礎を築いた一六本舗の経営を盤石なものにしていった。今は五代目として長男の剛さんが一六本舗の常務として現場を取り仕切っている。大学を出るとき、剛さんから「菓子をやりたい」と言われた泰さんは、北海道の六花亭へ長男を預けた。そこで現場を体験。六花亭の小田豊社長からは「ようやく菓子を自分でつくった経験を持った経営者ができた」と言われたそうだ。その剛さんが、ちょうど、新工場を建てる絶好のタイミングで修業を終えて戻ってきた。

「うちのタルトは、久松家直系のものだという自負はあります。ただ、いろいろ幅を広げていく必要もあるので、今年から抹茶と栗の新商品も出しました。それも、父は全て私に任せてくれ、口は挟みませんでした」(剛さん)

24年に完成した新工場は用地選定に苦労したが、松山市内に建設。この地元にこだわった泰さんの選択には「松山を離れてつくったのでは、タルトではない」の強い思いが込められていた。地元へのこだわりは現在もしっかりと受け継がれている。

プロフィール

社名:株式会社 一六本舗

所在地:愛媛県松山市東方町甲1076番地1

電話:089-963-5716

代表者:玉置 泰代表取締役社長(四代目)

創業:明治16(1883)年

従業員:558人

※月刊石垣2014年11月号に掲載された記事です。

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