本州の最西端に位置する下関市は、人口約27万人の山口県内最大の都市で、三方を海に開かれた自然と歴史に恵まれた海峡のまちです。古くから交通の要衝として栄え、韓国や中国とは国際航路で結ばれアジアへの玄関口となっています。
1日に約600隻もの船舶が往来する関門海峡、城下町長府、源平最後の合戦「壇ノ浦」、さらには「ふく」に代表される味覚など、観光資源に恵まれ年間700万人の観光客が訪れています。
また、近年、アジアからのクルーズ船の寄港が増加しており、その観光客のニーズをいかに取り込むか、市とも連携しながら対策を進めているところです。
さらに、今年は、明治改元から150年に当たり、山口県では中核イベントの「山口ゆめ花博」が開催され、当所においても明治維新ゆかりの商工会議所と共同物産展などを計画しております。
さて、私の会社は昭和29年に株式会社長府製作所として設立、今年で64年目を迎えます。 創業60年目の平成26年には記念事業として、日本庭園を備えた長府製作所記念館「蛍遊苑(けいゆうえん)」が完成し、ホール、和室、喫茶室、城下町長府の歴史や当社製品の展示コーナーなどを配し、地域の皆さまや遠来のお客さまの憩いの場として活用いただいています。近くには、高杉晋作挙兵の地として有名な功山寺や毛利庭園、乃木神社など、名所・旧跡も多く、一度訪れていただければと思います。
当社は農機具メーカーとして設立され、以降、住宅用の風呂釜やボイラーなどを開発、さらには、給湯器や各種住宅設備機器などを製造し高度成長の時代背景とともに、売上高、利益とも順調に推移し、昭和54年には広島証券取引所に上場。直後の株価は一瞬でしたが、当時の上場企業の最高値を付け、話題になったこともありました。
私は、46年に父が社長であった当社に入社し、営業部門からスタート。45年の年商31億円から48年には117億円と飛躍の時代を経験することができました。宇都宮工場に勤務後、平成9年に下関に戻り社長に就任しました。平成不況やリーマンショックなどの経営環境が厳しい状況の中、どんな環境下でも生き残っていける強い体質の会社にするように注力してきました。24年に会長となり、25年には、下関の発展のために少しでもお役に立てればとの思いで、当所会頭を引き受けた次第です。
趣味は、囲碁とゴルフと答えていますが、社長になってからはとんと囲碁をする機会がなくなり、代わりにゴルフを健康のためと言いながら楽しんでいます。
座右の銘は、私自身の戒めも込めて、父も好きだった次の言葉を挙げます。「自(みずか)ら顧(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人(せんまんにん)といえども吾往(われゆ)かん」
最新号を紙面で読める!