瀬戸内海の美景と恵まれた交通網
三原市は、1936(昭和11)年に誕生し、戦後の日本経済成長を支える瀬戸内工業地域都市の重責を担うようになり、2005(平成17)年には、三原市・本郷町・久井町・大和町が合併した。広島県の中央東部に位置し、中国・四国地方のほぼ中心にあり、各地域と連携する上で恵まれた地理的条件を有している。また、瀬戸内海国立公園の一部にも指定される筆影山(ふでかげやま)から望む瀬戸内の多島美は、瀬戸内海随一と評されるほどすばらしく、天候に恵まれれば四国山脈をも見渡せる。
道路網は、山陽自動車道(本郷IC、三原久井IC)と国道2号・185号・432号・486号および主要地方道三原東城線などにより、地域内外を連絡する格子状の骨格道路網が形成されている。 公共交通機関は、三原駅をターミナルとする広域的なバスネットワークが形成され、山陽自動車道を利用する高速バス路線も運行されているほか、JR山陽新幹線・JR山陽本線・呉線による鉄道網も充実している。同市は、各種工業の原料および製品の搬出入基地としての役割も果たし、「にっぽん丸」など大型客船の寄港も可能な重要港湾尾道糸崎港にくわえ、瀬戸内海島しょ部を結ぶ航路網が整備されている。
また、中国・四国地方唯一の地域拠点空港に位置付けられている広島空港も擁し、同空港の利用状況は、開港以来、東京便などを中心に順調に推移している。同空港へのアクセス方法は、リムジンバスや自家用車の利用を主体とし、県内にとどまらず鳥取・岡山・今治方面とも連絡されている。
同市は、陸・海・空の交通拠点として「瀬戸のインターチェンジ」と呼ぶにふさわしい交通の結節都市となっており、そのため、同市の工業団地は常に盛況で、平成32年度には(仮称)本郷地区産業団地の一期分が完成する予定だ。
三原商工会議所の勝村善博会頭は「筆影山から望む瀬戸内の多島美は一見の価値があります。三原へお越しいただいて是非ご覧いただきたいですね。また、三原は大企業が多数立地しており、雇用も安定している住みやすいまちです」と語る。
小早川隆景公が礎を築く
同市は、御年代(みとしろ)古墳をはじめとする縄文・弥生・古墳時代の遺跡が数多く残されており、古くから人々の生活が営まれ、近畿と九州を結び四国と連絡する海上交通の要衝であった。平安時代には、楽音寺や1960年代まで続いた杭(久井)の牛市など、今に続く歴史資源が創設され、沼田荘や杭の荘などの荘園が経営されたことで穀倉地として栄えた。鎌倉時代から戦国時代にかけては、土肥実平公を祖とする小早川氏が台頭し、棲眞寺や佛通寺が創建されたほか、高山城や新高山城などが築城された。そして、戦国武将 毛利元就公の三男で竹原小早川家の養子となった智将 小早川隆景公(豊臣政権下の五大老の一人)が、17代当主として沼田小早川家を相続。その後、両小早川家を統一すると、1567(永禄10)年に三原へ築城し、現在の同市の礎を築いた。
小早川氏以後、福島氏、浅野氏の城下町として繁栄し明治維新を迎え、明治以降は、三原地域は工業都市として、本郷・久井・大和地域は米作地域として発展した。
小早川隆景公が築城した三原城は、現在、「天主台」や「船入櫓」などの一部しか残っていないが、当時は、東西に約900m、南北に約700mもの広さがあった。中には、本丸、二之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もあるとても大きな城で、その天主台は日本有数の広さだ。満潮時、城の姿が海に浮かぶように見えたことから、別名「浮城」とも呼ばれていた。また、裾を引いた扇の勾配の美しい姿は、余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊な工法で築かれている。
築城450年を起点に
平成29年は1567(永禄10)年、小早川隆景公による三原城築城を起点とする450年の節目となる。これまでの歩みによって築かれたさまざまな観光資源に光を当て、市内外に発信していくことを目的に、行政・経済団体・観光団体・市民団体など14団体が一つとなり、「瀬戸内三原 築城450年事業推進協議会」を26年に設立。協議会の会長には勝村会頭が就任し、事業のメイン期間は29年2月~11月としている。
今回、築城450年を迎えるにあたり、同市の歴史や文化、魅力を発信するため、みはら歴史館を28年11月にオープン。館内は、「文化・伝統」「城下町」「三原城・小早川隆景・歴史」「ミニ企画展」の4ゾーンに分かれ、甲冑(かっちゅう)や三原城に関連する展示や資料映像の上映などを行っている。
同市の名物食材といえば「三原タコ」「地酒」「三原おやつ(スイーツ)」。この3つのグルメを総称して、「三原食ブランド」として確立するための取り組みを実施している。特に、同市は「タコのまち」というイメージが定着しており、タコを使った料理を提供する店舗や、土産品などが数多くある。また、平成29年は、「タコのまち三原」をスタートさせて30年に当たる。さらに、㈱醉心山根本店の日本酒は日本画の巨匠 横山大観が終生愛飲したことでも有名だ。そのほか、㈱八天堂の「くりーむパン」に代表される全国的に人気なスイーツも多岐にわたる。
さらに、JR西日本は今年6月17日から「美しい日本をホテルが走る。~上質さの中に懐かしさを~」をコンセプトに新たな寝台列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風(みずかぜ)」を運行する。1泊2日の山陽コース(上り)では、三原駅から呉線に入り、瀬戸内海沿いを走る。車窓からはキラキラと光り輝く瀬戸の海原に浮かぶ多島美の景観を望むことができる。この運行が、三原の観光客数や消費額に寄与すると期待される。
地域に根ざした活動を図る
平成24年3月に誕生した「道の駅みはら神明の里」は、同所と三原臨空商工会が運営会社である㈱道の駅みはらの筆頭株主に名を連ねる全国的にも珍しい道の駅で、同所副会頭が代表取締役に就任し運営支援を行っている。また、「うきしろ八景」というキャッチフレーズにより、道の駅と周辺の名所をPRする観光拠点施設であるとともに、農業・漁業をはじめ生産者の思いを伝えるなど、同市のランドマークとしての役割を担っている。
次に、同市では、平成24年度に「三原市災害時一斉情報伝達手段整備基本計画」を策定し、有線・無線連携型のFM告知放送システムによる全市への災害情報伝達を行う方針を定めた。同所では現在、コミュニティFM局の29年度開局に向けて関係機関と準備を進めている。三原テレビ放送㈱専務取締役の中村勝氏は「防災無線は災害時にしか使用できませんが、コミュニティFMは平常時でも利用が可能です。今回、商工会議所から当社に運営の打診があり、経営は大変厳しいと想定されますが、地域貢献の観点からも引き受けることにしました」と経緯を語る。
同市は離島を含め光ファイバー網がまちの全域に行き渡るほどIT環境が良い。それはケーブルテレビが浸透しているためだ。ケーブルテレビを運営する三原テレビ放送では、このネットワークを生かした高齢者向け買い物支援サービス「おつかいテレビ」を展開していた一方で、高齢者の外出機会を創出し運動をしてもらえる仕組みを検討していた。そのとき、同市は糖尿病に対する医療費の支払いが県内でも高いことが分かり、ICTを活用した糖尿病予防モデルの構築を行うことに決めた。
そこで、県立広島大学や山田記念病院などと連携し、日々の食事や活動量計で集計された運動量などのデータを登録すると、生活改善のアドバイスやお薦めレシピなどが表示されるアプリケーションを開発した。
「当社の事業は地域によって支えられています。地域の発展が当社の発展につながります。本事業を通じ、国の医療費の適正化に少しでも貢献でき、市民が健康で一日でも長く暮らしてもらえるように、着実にこの事業を前に進めていきます」(中村氏)
中心市街地ににぎわいを
同所は市および中心市街地活性化に関わる諸団体と「三原市中心市街地活性化協議会」を設立。以後、中心市街地の活性化に寄与することを目的に活動し、市が策定する「三原市中心市街地活性化基本計画」について検討・協議を行い、平成27年に内閣総理大臣の認定を受けた。全52事業の実施を計画しており、にぎわいと魅力あふれるまちなかの創造をめざしている。
また、平成21年、中心市街地活性化の事業を推進するため、同所が筆頭株主となり㈱まちづくり三原(代表:勝村会頭)を設立。同社は古民家・空き店舗の活用なども手がけ、現在、中心市街地にある古民家「山脇邸」をイタリアンレストランにするリノベーションを実施しており、にぎわい創出に取り組んでいる。
「まちの活性化には中心市街地ににぎわいがある必要があります。今回、市役所が庁舎を建て直すのですが、その最上階に展望スペースの設置を市に要望し実現しました。三原の景観の美しさを市民や観光客に感じてもらい、まちの回遊性向上にもつながればと思っています」(勝村会頭)
これからのまちづくり
勝村会頭は「人口減少社会を迎えた今日、これからの地方創生には都市間連携の視点が必要だと感じています。昨年には、三原バイパスと尾道バイパスをつなぐ道路の開通に向け、三原市と尾道市の市長と会頭で国土交通省へ陳情をしています。こうした取り組みを通じて基盤整備を進めていきたいと考えています。このほか、備後地域の商工会議所とも交流をしています」と話す。
また、「築城450年に向けて、市民参加型で三原城跡の濠(ほり)の清掃を行いました。『観光のまち、三原』の実現に向けては、市民の『郷土を愛する心』『郷土を誇りに思う心』を育んでいくことが最も大事なことであると感じています。そのため、築城450年事業を出発点に官民協働で取り組んでいきますので、是非三原に足を運んでいただければと思います。そして、今後も商工会議所の枠組みを越えて関係機関と連携し三原のまちの活性化を一歩ずつ進め、まち全体の機運を上げていきたいです」と勝村会頭はこれからのまちづくりの思いを熱く語った。
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