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まちの解体新書 一年通して見どころ満載 世界のマグロに出会えるまち

水揚げされ、冷凍されたマグロ

ミシュランで〝2つ星〟獲得の人気の観光スポット

三浦市は、神奈川県の南東部に位置し、東京湾と相模湾を分ける三浦半島の南端にある。三方を海に囲まれ、北は横須賀市に接し、南には周囲4㎞ほどの東西に長い城ヶ島がある。

東に目を移すと東京湾を挟んで房総半島が、西は眼前に広がる相模湾の奥に、天候のよい日は、箱根の山々や遠くには富士山を望むことができる。このような美しい景観や豊かな自然がまだまだ残っている三浦市は、東京駅や新宿駅から約70㎞(鉄道で約1時間20分)、横浜駅から約40㎞(鉄道で約50分)の距離にある。年間を通じて大勢の観光客が訪れる首都圏で人気の観光スポットの一つだ。

それもそのはず、平成24(2012)年には、フランスの著名な旅行ガイドブックである『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』(仏語改訂第3版)で、三浦半島全体とともに城ヶ島が「近くにいれば寄り道して訪れるべき場所」を意味する〝2つ星〟を獲得した。また同年11月には、神奈川県が横浜・鎌倉・箱根に続く「第4の国際観光地」として、三浦市の城ヶ島と三崎下町を「新たな観光の核づくり構想」地域として認定した。

ただ、同市も人口減少の影響は拭えず、ピーク時の7年には5万4千人を超えていた人口が、現在では4万4千人程度と約1万人(率にして20%程度)減少し、その傾向は今も続いている。

三浦商工会議所会頭 寺本 紀久 氏

三浦といったらやっぱり〝三崎マグロ〟

三浦市の三崎漁港は、国内有数の遠洋漁業の基地。そこで水揚げされる「三崎マグロ」は、世界各地で取れた〝メバチマグロ〟や〝本マグロ〟などの総称であるとともに、三浦市経済最大のブランドである。そのブランド力の高さを示す一例が、京浜急行が21年から販売している「みさきマグロきっぷ(食事券付)」だ。現在は市内30の飲食店が参加し、各店の特別メニューで「三崎マグロ」を堪能できる。27年度は15万人以上の利用があり、同市の観光客増に一役買っている。

一方で、「三崎マグロ」の水揚げ量は、前述した人口の減少と同様に減少傾向にある。

「三崎漁港に活気を取り戻すことが、三浦市を元気にすることにつながります。そのためには、漁船が入港したくなるような魅力ある漁港にすることが必要です。漁港としての魅力度が増せばマグロの水揚げ量も自然に増えます。こうした取り組みは官民一体となって行わなければなりません」と力強く語るのは、三浦商工会議所の寺本紀久会頭。

寺本会頭の出身地は三浦市かと思いきや、実は埼玉県川越市。海無し県で生まれたことから子どものころより、海に対する憧れが人一倍強かったという。学生時代は水産学部で勉学に励み、卒業後は商社で働く。水産物を取り扱う部署に配属され、憧れの海が仕事の舞台となった。その後、縁あって三浦(三崎漁港)でマグロなどを水揚げする漁業者となり、現在は〝海の男〟として漁業会社の社長を務めつつ三浦市経済をけん引する商工会議所会頭職を担っている。

また三浦商工会議所も海と縁深い組織だ。その前身は、昭和24年5月15日に発足した「三崎水産商工会」。組織名に〝水産〟の2文字が入っていることが土地柄を表している。同会の会員は遠洋マグロ漁業者・鮮魚仲買業者・水産加工業者をはじめ、酒商、青果商、造船業、機械工業など、漁業・魚市場に関連する事業者が多かった。戦後の復興とともに漁業が発展していくと、関連の自営業者が増えた。そのため、同会は、各事業者に対して帳簿のつけ方や税務申告の方法などを指導する機関として大きな役割を果たしてきた。

その後、30年に三崎町、南下浦町、初声(はつせ)村の三町村が合併して三浦市になると、三崎町を活動の中心としていた同会を、市全体の産業を網羅する商工会議所に組織変更しようとする機運が高まり、32年に「三浦商工会議所」が誕生。本年2月に設立60年を迎えた。

さらに同所には、海と縁深いキャラクターが所属している。その名は〝三浦ツナ之介〟。名前にマグロを表す〝ツナ〟が含まれており、同市内外で開催される各種イベントなどで引っ張りだこの人気者だ。誕生日は10月10日。この日は「日本かつお・まぐろ漁業協同組合」が定める〝まぐろの日〟である。また最近凝っていることは、 三崎まぐろラーメンに三浦市内の野菜をトッピングして食べること(一度食べてハマった)。健康にも気を遣い、三浦市内の野菜を中心にした食生活を送っている。おなかが空(す)いたら脇差しの大根をかじることもある。好き嫌いはなく、海産物も何でも食べるが、実はスイカとメロンが大好物。三浦産の農作物や名産品をこよなく愛し、かつ体全体でしっかりPRしているキャラクターだ。

毎週日曜日(年初の第一日曜日は除く)の午前5時から始まる三崎朝市。旬の地魚や地元の野菜、果物などを求めて大勢の買い物客でにぎわう

関東大震災がきっかけで遠洋漁業の基地に

ここで三浦(以下「三崎漁港」という)における漁業の歴史を振り返っておきたい。

三崎漁港は、その地形的特徴から、古くより天然の良港として漁業の拠点となっていた。当時の漁法は、船上から箱メガネで海中の魚を見定めて銛(もり)で突いて取る「見突き」というもの。しかし、この漁法では多くの水揚げは見込めないため、近隣の人たちに供給する程度の漁業だったようだ。この漁法から「大量にとって大量に売る」という漁法に変化したのは、江戸時代に入ってからであった。

きっかけは、紀伊地方(現在の和歌山県)から移住してきた漁民により「マカセ網」という大型の網でイワシを取る漁法が伝わったことによる。そのおかげと大消費地・江戸に近いという立地の良さを生かして、江戸の魚問屋や地元の魚商が、三崎漁港で水揚げされた魚介類(マグロ・カツオ・タイ、アワビ・サザエ、エビ・タコなど)を買い付け、江戸の市場に並べるとたちまち注目の的に。大勢の人に知られる存在となった。

明治時代初期のころは、江戸時代と大きく変わることはなかった。その後、明治14年に三崎漁港に初めて汽船が入港すると、東京・三崎間の移動時間が格段に短縮され、あわせて魚介類の輸送に氷が使われ始めると事態は一変。鮮度を保ったまま出荷できるようになったことで、〝三崎〟の名は、新鮮な魚介類の代名詞となり、魚河岸では高値で取引されるようになった。

明治時代の終わりごろから大正時代になると漁船も手漕(こ)ぎ船からエンジン船に徐々に代わる。それに伴い漁場も沿岸から沖合に拡大し、水揚げ量も増加。黄金期を迎えた。一方で、大正12年に発生した関東大震災は、三崎漁港にも大きな被害をもたらした。その復旧の過程で、先人たちは漁港施設の整備や拡張工事などを行い、後に〝遠洋漁業の基地〟といわれる基礎を築いたことは特筆すべきことだ。

復旧工事が昭和3年に終わると、「マグロえさ」としてのイワシの豊漁が続いた。当時、全国で1300隻余りといわれていたマグロ延縄船(はえなわせん)(大型でかつ遠洋でマグロ漁を行う船)のうち、約20%に相当する230~240隻が三崎漁港に集中。これらの延縄船は、東太平洋やマリアナ沖など遠洋に進出し、三崎漁港は、全国でも指折りの〝遠洋漁業の基地〟として一躍全国にその名をとどろかせた。

城ヶ島近海ではアワビやサザエなども取れる。新鮮なサザエのつぼ焼きは城ヶ島の名物

遠洋マグロ漁を取り巻く環境の変化

戦時中は、当然ながら水揚げ量を大きく減らした。しかし、戦後は食糧難解消のため政府が推進した「漁船建造奨励政策」の下、遠洋漁業用の大型マグロ・カツオ漁船が次々を建造されたことで、遠洋漁業を中心に一気に回復し、目覚ましい復興を遂げた。

「遠洋マグロ漁の最盛期は、30年代後半から40年年代にかけてでした。マグロ船が入港するたびに船員たちは、三崎下町やお隣の横須賀などに繰り出し、商店や飲食店は大いににぎわいました」と語る寺本会頭。

しかし、それは長続きしない。

「50年代に入ると、これまで鮮魚として扱われていたマグロが冷凍技術の進展により適正な価格でかつ安定的に市場に流通するようになりました。三崎漁港でも超低温冷蔵庫や冷凍魚加工施設、新魚市場の建設などを進めましたが、広域流通の利便性が高い焼津港や清水港(ともに静岡県)に水揚げされることが多くなり、三崎漁港の水揚げ量は年々減少しました。また、近隣諸国からの輸入量の増加や国際的な漁獲規制の中で減船が進んだ影響も加わり、水産業はもとより三崎下町の商業、サービス業、関連製造業の活力も徐々に低下していきました」(寺本会頭)

そして時代が昭和から平成に移ると、こうした状況を打破するため、平成3年に漁港の振興を〝核〟として地域活性化にもつながる拠点づくりの計画が持ち上がった。

城ヶ島から相模湾越しに見た富士山

漁港を〝核〟とした観光振興への取り組み

13年7月、三崎漁港すぐそばの三崎下町に「三崎フィッシャリーナ・ウォーフ」(うらり)がオープンした。同施設は、来遊客が集い、遊び、憩う場として建設された施設だ。28年11月には、名称が〝うらりマルシェ〟に変更となり、一部リニューアルした。その1階は、オープン以来マグロを中心とした産直センターだったが、「さかな館」となった。マグロや地魚および水産加工品、総菜などを販売する12の店舗と三浦商工会議所がブランド認定した商品を販売するみうらブランド館が出店している。2階は多目的ホールから、三浦産の農作物を直売する「やさい館」になり、そこに並ぶ朝どれ野菜は、人気が高く来店者も多いとのこと。

「三浦市を訪れる年間の観光客数は、昭和46年の760万人をピークに減少が続き、平成5年には430万人にまで落ち込みました。その後、(前述の)〝うらり〟のオープンや「みさきまぐろきっぷ」などがプラス要因となり、ピーク時の3分の2程度ですが、26年には500万人にまで回復しました。三崎漁港に入港する漁船の増加によるにぎわいはもちろんのこと、三崎下町、城ヶ島、油壺、三浦海岸など市内観光地のブラッシュアップと観光資源の再発掘、幹線道路の整備などが、今後の三浦地域創生の鍵となります。当所では29年度に『漁港経済再生検討委員会(仮称)』を立ち上げて、これらの課題にしっかり取り組んでいきます」(寺本会頭)

マグロは一生泳ぎ続ける魚だ。三浦も、漁港を〝核〟としたまちづくりに向けて、これからもまさにマグロのごとく動き続ける。

うらりマルシェ。28年11月にリニューアルオープンした。年間の来館者数150万人を目指す

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