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テーマ別企業事例 特集 地域の強みを生かせ! 〜密着型企業の革新と挑戦〜

地域の特性を利用しながら業績を伸ばすとともに、地元にも好影響を与えている企業がある。今号はこうした企業の挑戦と、その成功を陰で支える経営指導員の支援を紹介する。

今、経営指導には何が求められているか?

コンサルタンツ ノヴァーレ 代表 時山 正

ときやま・ただし (資)コンサルタンツ ノヴァーレ代表。1956年1月24日生まれ。中小企業診断士。東京工業大学大学院理工学部研究科博士課程中退後、教育産業に就職。そこで見た非能率的な事務処理にあきれ、教務管理のシステム化に手を染め、興味が経営と戦略に向き始める。大手企業はもとより、現在は各地の商工会議所を通じ、中小企業の経営革新などに力をそそぐ経営コンサルタント。そのはっきりとした物言いで多くの時山ファンを生み出している。 [Facebookグループで情報発信中]

地域の企業がそこにしかない強みを生かして発展していくためには、地元の経営指導員の力に頼る部分が大きい。そのとき、力を発揮できる指導員とできない指導員では、どこが違うのか。そして、今、経営指導には何が求められているのか。これまで多くの商工会議所などで経営指導員の教育に携わってきたビジネスコンサルタントの時山正さんに話を聞いた。

存在意義を高めるための役割が大きくなっている

先月はちょうど、中小企業庁が公募している「小規模事業者持続化補助金」申請の第2次受付の締め切り(5月27日)に向けての指導で、あちらこちらの商工会議所に出向いていたところです。

もともとは、10年以上前に中小企業基盤整備機構の中小企業大学校で、中小企業の経営指導に当たっている人たちを相手に、支援能力を高めるための研修を担当していたんです。省庁再編や市町村合併が終わり、商工会議所もその存在意義が問われ始めていたころでした。すると、岐阜県の各務原商工会議所からお呼びが掛かったのをきっかけに、各地の商工会議所さんとの付き合いが始まりました。

数年前の『中小企業白書』で「経営相談をする具体的な相手」のアンケート結果が発表されたのですが、圧倒的に多かったのは税理士や会計士。次が経営陣で、商工会・商工会議所はブービー賞だったんです。誰が考えても、支援能力を高める必要性がある。しかも、昨年から「経営革新等支援機関認定制度」が創設され、金融機関や税理士などもその対象となっていて、ますます競争相手が増えている状況です。このまま安穏としている商工会議所はないでしょう。

会員数が減少傾向にある商工会議所が多い状況ですが、冒頭に言いました持続化補助金では、役所が実にうまい手を使ってくれています。それは「小規模事業者が、商工会議所・商工会と一体となって、販路開拓に取り組む」ことが要件となっていることです。商工会議所への勧誘にもなるし、実際、手を取り合って経営をシフトしていけば目に見える実績にもつながるわけですから。ますます経営指導員の力が求められる時代になっています。

何が問題なのかを見分けて提起する能力が必要

では、商工会議所の経営指導員とは一体何をする人たちかというと、私は中小企業のコンサルタントだと思っています。誤解を恐れず言いますと、大企業の経営コンサルタントの方がはるかに楽です。なぜなら、企業に弱い部分があれば、よそから持ってくるなり、取り込むなりすれば良いですが、中小企業はそうはいきません。持っているものをいかにして伸ばしていくか、それには非常に高度な技が必要となるのです。さらに、問題を正しく切り分ける能力も求められます。

これは税務、これは法律と切り分け、専門家を紹介すればいいのですが、お金の問題だから税理士さんに、とは単純にはいきません。例えば「マル経融資」。これは商工会議所の推薦によって受けられる融資制度ですが、それを積極的に勧めればいいのかというと、そうではありません。お金が足りないというのは、物が売れない、余計なところにお金がかかっている、そういうところに原因があるのです。実はマーケティングの問題であり、そこを解決しないと融資制度を利用しても根本的な解決にはつながりません。何が問題なのかをきちんと見分け、問題を提起していく能力が経営指導員には求められているのではないでしょうか。

新しい道を開けば今までにない出会いがある

問題を正しく切り分ける分析力の基礎となるのが論理的思考力です。これは、〝説得力〟と言ってもいいかもしれません。

中小企業とはいえ、一国一城の主です。銀行とのやり取りや資金繰りなどに日夜頭を悩ませています。一方、経営指導員は勤め人ですから、同じ土俵に立っても勝ち目はありません。参謀として問題を見極め、策を講じて差し出す。これだけです。決めるのは相手です。それには日頃からの付き合いが大事になってきます。よく「困ったら相談に来てください」などと言う人がいますが、それでは遅すぎます。「こんな新商品をつくったんですが売れなくて」とか「パン屋を開業したけれどうまくいかない」では、遅いんです。その前に相談があれば、地域の特性やその企業の持っている強みなどを勘案して、より良い策を提示して、相手を説得する。それが経営指導員に求められている資質だと思います。

成功する企業、伸びる企業に共通したものを挙げるとすると〝無邪気さ〟だと思います。面白そうだからやってみようという無邪気さ。これは経営指導員にも同じことが言えます。とにかく新しい道を開けば、今までにない出会いがあって、経験したことがないことが起こり、そこから新規開拓の扉が開くのです。指導員ができることは、いろいろな扉を見せてあげること。それを開いて踏み出すかどうかは経営者の判断です。

中小企業の多くは、出口の見えないトンネルの中にいるようなものです。どこまでこの暗いところを歩けばいいのか、いつになったら出口にたどり着くのか、そんな不安でいっぱいなんです。しかし、一歩進めば出口には確実に近づいているはずです。経営指導員の仕事は先の明かりを小さくても見せてあげること。とにかく、「このままでいいんだ」という意識から脱却して、問題を正しく切り分けしていけば、出口はもうそこにあるはずです。

企業、行政、商工会議所らが連携し自慢のかまぼこをアピール

杉永蒲鉾 長崎市

長崎おでん調理例。長崎のかまぼことあごだしを使うことが長崎おでんの必須条件に指定されている

複雑に入り組んだ海岸線、豊かな漁場に恵まれ、国内有数の水産県として知られる長崎県だけに、「かまぼこ」は同県のソウルフードだ。家庭消費量も全国トップクラスというほど地域に根付いているが、県外ではあまり知られていない。そこで長崎のかまぼこの知名度向上と県外消費の拡大を目指し、市内の製造業者が中心となって立ち上げたのが「長崎かんぼこ王国」である。その活動と成果とは――。

県外の人にも食べてもらいたい

長崎でかまぼこといえば水産練り製品全般を指し、「かんぼこ」と呼ばれている。平成25年の総務省の家計調査を見ると、同市の魚肉練製品(かまぼこ、揚げかまぼこ、ちくわなど)への年間支出額は、県庁所在地でトップの宮城県仙台市に肉薄している。こうした活発な消費に支えられ、かまぼこが一つの食文化を形成しているといっても過言ではない。

しかし、それは市内・県内に限った話。かまぼこ製造業者は他地域に比べて群を抜く数であるにもかかわらず、県外への出荷量は決して多くなく、知名度も低い。さらに、製造業者の高齢化、後継者不足といった問題も深刻化している。このままでは先細りするのが確実で、かまぼこの知名度を高め県外消費を拡大することは、業界のみならず地域の長年の課題だった。

そうした状況を打開しようと動いたのが、昭和37年に創業した杉永蒲鉾社長の杉永清悟さんだ。同社の2代目である杉永さんは、大学卒業後はいったん、県外の商社に就職するが、25歳のときに地元に戻ってきた。かまぼこを取り巻く実情に強い危機感を募らせたからだという。

そこでまず、長崎蒲鉾水産加工業協同組合に所属する製造業者に、長崎のかまぼこのブランディングを提案。賛同を得て、「地域資源∞全国展開プロジェクト」の補助金を活用し、長崎商工会議所、長崎市、長崎大学、十八銀行など産学官金(融)が連携。さらに、製造業者の若手が中心となってワーキンググループを結成し、平成22年、「長崎かんぼこ王国」を立ち上げた。

「長崎を元気にするために私たちにできるのは、日本一おいしいと自負するかんぼこを長崎以外の人にも食べてもらうこと。それには多くの人に注目してもらう必要があります。そこで、かまぼこをPRしたいと願う人たちが一つになって〝王国〟を設立。国王には市長、憲法の作成(事務方)は市役所、活動の司会進行は商工会議所、そして私たちは芸人とそれぞれの役割を決め、興味をそそるようなことなら何でもやろうと思いました」と同国副首相兼広報庁長官を務める杉永さんは発端を説明する。

かんぼこを使って「長崎おでん」を商品化

王国での初仕事は新商品の開発だった。練り製品を使う食といえば、やはりおでん。そこで長崎のかまぼことあごだしを使用し、〝竜眼〟(ゆで卵をかまぼこで包み丸く仕上げたもの)を中心具材とした「長崎おでん」を商品化した。

「2月22日の『おでんの日』に市役所でプレス発表をしたんです。そこで王冠をかぶった国王がノリノリで紹介したものだから、地元新聞やテレビ局が大々的に報道してくれまして。華々しいデビューをうれしく思う半面、『これであとには引けなくなったな』というプレッシャーも感じました」と本音を漏らす。

長崎おでんの名前をさらに広めるため、イベントの開催や展示会への出展、首都圏のスーパーへの売り込みなどを積極的に展開。また、王国の仲間として竜眼とちくわをモチーフにした「竜眼王」や「ちくわ王妃」などのキャラクターをつくり、その関連グッズの販売も開始した。

「キャラクターは全部で約20種類あります。イベントに登場すると盛り上がるし、絵にもなりますね。また、それらで『かんぼこ王国大冒険』という紙芝居をつくり、幼稚園などに配布して読み聞かせしてもらうなど、『長崎のかんぼこは日本一』と伝える活動にも力を入れています。これをきっかけに子どもたちが地域資源に誇りを持ち、『将来かまぼこ屋になりたい』って思ってもらえればうれしいですね」と期待を口にする。

さらに、ツイッターやフェイスブックなどのSNSも積極的に活用。例えば、夕方にツイッターで「寒いときは長崎おでん」とつぶやいたり、「竜眼王とちくわ王妃のストラップはかまぼこ屋でしか買えません」とフェイスブックに流して来店を促したりした。また、「JALに乗って長崎おでんを当てようキャンペーン」を長崎空港で開催し、約100万人のユーザーが「いいね!」をしているJALのフェイスブックページで「長崎おでん」をPRしてもらったり、という具合だ。「タダだから」と杉永さんは笑うが、SNSによる情報発信は地域を問わず不特定多数の人の目に触れるという特徴がある。意識していなくても、頻繁に目にしているうちに長崎=かまぼこというイメージが刷り込まれていくことを狙ったのだ。

第2弾のコラボ商品「ちゃポリタン」が大ヒット

長崎おでんに続く第2弾商品が「ちゃポリタン」である。カゴメや長崎県生麺組合とコラボして開発した、かまぼこが具材のちゃんぽん麺のナポリタンだ。太くてコシのある麺にケチャップが絶妙にマッチする上、具材は全て県内で生産されたものなので、堂々と長崎新名物とうたえる。しかもコラボすることで、中小零細企業ではできないことが可能になった。マスメディアに頻繁に取り上げられるとともに少ない広告費でPRできるというメリットが得られたのだ。

「当社の社員食堂で試作していた際、誰かが言った『ちゃポリタン』がそのまま商品名になりました。早速テレビ局に電話して11月15日の『かまぼこの日』の料理番組で取り上げてもらったり、長崎ちゃんぽんチェーン・リンガーハットのメニューに入れてもらったり、コンビニでちゃポリタン弁当を扱ってもらったりしたところ、品切れ店が続出する人気となりました」

勢いだけのようだが、これはれっきとした戦略商品である。1食300円として、もし43万人の長崎市民が1年に1回食べたら1億2900万円、日本国民が1回食べれば375億円の経済効果が生まれる計算になる。こうした数字を常に頭に置いて販促活動をしているのだ。

同様にかまぼこに関しても、当初の年間出荷額60億円を5年後の平成27年には100億にするという目標を掲げてスタート。業界全体が低迷し、他地域が軒並み下落している中、長崎では73億円まで数字を伸ばしており、確実に成果を挙げている。

商工会議所はサポーターに徹する

こうした一連の取り組みに〝司会進行役〟として関わってきた、長崎商工会議所中小企業振興部次長の高嶋進さんはこう振り返る。

「『長崎かんぼこ王国』はチームワークが抜群にいいのです。発足した当時は温度差があり、よそよそしいところもありましたが、『長崎おでん』をつくろうと決めたころから結束が強くなりました。目的が明確なので士気が上がりやすいのでしょう。杉永さんをはじめかまぼこ製造業者の方がプレーヤーとして全体をリードし、私たちはサポーターとして支えるという役割に徹しました。それがうまくかみ合ったことがさまざまな成果を生み出しているのだと思います」

さらに、杉永さんは、「長崎県民というのは、人の役に立つことには労を惜しまないんだけれど、もうけましょうというと『おれはよか』と言って引いてしまう人が多いです。だが、『長崎かんぼこ王国』は経済効果を出すための組織。結果を見据えて先導する人間がいないと収拾がつきません。それが私の役割です。これまでに一定の手応えは得ていますが、目標額には至っていません。まだまだ突っ走らないと」と力を込める。すでに杉永さんは第3弾商品である「出島揚げ」のPRをはじめている。出島は長崎港にある扇形をした人工島で、かつてオランダとの貿易の拠点となった。この商品は、その形をモチーフにしたかまぼこで、長崎と新商品を同時にアピールしようというのだ。

みんなで売れば食文化になる業界全体を盛り上げたい

次々とアイデアを出しては実行に移す杉永さんだが、この活動は同社の経営にどのような効果をもたらしているのだろうか。

「王国の商品は当社でも売っているので、もちろんその売り上げは上がっていますが、全体の伸び率は落ちているかもしれません。当社の独自商品を開発する時間が今はないもので。ならば王国の商品を杉永ブランドにして販売すればという意見もありますが、それでは意味がない。1軒が売ればヒット商品ですが、かまぼこ業界全体で売れば食文化をつくることができます。だから今は分母を増やすことを優先したい。業界全体が盛り上がれば、当社の数字もあとから付いてくるでしょう」

杉永さんもやはり、「人の役に立ちたい」と考える長崎県民気質の持ち主のようだ。王国の活動が地域に元気を与えることを応援したい。

こだわりの伝統の技に地域資源の「果物」を活用して新製品を開発

みゆきやフジモト 岡山市

岡山の白桃の中でも、最高級品種として名高い「清水白桃」を使った「ミルクと混ぜるこんにゃくデザート」

白桃やピオーネなど、果物王国として知られる岡山。その素晴らしさをアピールするために商工会議所が中心になって進めているプロジェクトがある。第1弾は「フルーツパフェの街おかやま」、そして第2弾が「おかやま果実」だ。そこに地元で長年こんにゃくの製造販売を行っているみゆきやフジモトが加わり、見事に実を結んだ。

こんにゃくと果物が結びつき地元との連携も深まった

「おかやま果実」は、平成22年から始まった事業で、現在16社の商品が認定されている。みゆきやフジモトは「ミルクと混ぜるこんにゃくデザート岡山清水白桃」で今年から仲間入りを果たした。

昭和28年創業の同社は、一貫して良質の原料にこだわり、おいしいこんにゃくづくりに徹してきた。ただ、伝統的なこんにゃくだけではなく、「見たことも、食べたこともないオリジナリティーのあるユニークな製品」づくりにチャレンジを続けている企業でもある。

「以前は岡山でもこんにゃく芋をつくる農家があったのですが、すっかりなくなってしまって。今では栃木、群馬から仕入れているんです。とにかく、質だけは落としたくないと国産の原料にこだわっています」と説明してくれるのは、社長夫人であり専務の藤本恵子さん。

「ただ、60年以上岡山県で育てていただきながら、地産地消ではないもどかしさがつきまとっていました。よそに行けば行くほど、『なぜ岡山でこんにゃく?』という問いかけを受けます。そこで何か岡山らしい新商品ができないものかと昨年の5月ごろ、商工会議所に相談に行ったのです」

担当になった中小企業・地域振興部の川口公平さんから、「おかやま果実」の話が出た。それまでも「こんにゃくポンチ」などのデザート商品を持っていたみゆきやフジモトにしてみれば、果物とこんにゃくのカップリングは、それほど難しいことではなかった。1年もたたないうちに新商品が開発され、これから本格的に市場に売り出されていく運びとなった。

「これまでもいろいろな商品を持っていましたが、どうしてもこんにゃく売り場に並べられてしまっていました。ですから、デザート売り場への進出もできるというのが、とてもうれしかったですね。うち一社でやみくもにやっていたのでは、そう簡単じゃなかったと思いますが、すでに出来上がっている『おかやま果実』というブランドの仲間入りが果たせたので、とてもスムーズに事が進みました」

海外でもブランドは有効

朝の3時半から工場に入り、どこにも負けないこんにゃくづくりに励む社長の博雄さんに代わり、恵子さんがキャリーバッグ一つで広報・営業活動に駆け回っている。 「外に出たときに岡山が見えるんです。関西ならまだしも、東京での認知度は低いと感じます。そこで白桃ですよ、マスカットですよと言うと、分かっていただけます。果物は県の財産ですから。そこで目を留めてもらうことで、従来のこんにゃくにも注目が集まるのです。いいことだらけです」

おかやま果実に参加したことのメリットは販売面だけにとどまらない。それまでつき合いのなかった地元の農家や他業種の企業、デザイナーなどとの交流が深まったことも、その一つだ。

「お酒やお菓子、カレーといったこんにゃくと関係の薄い分野の方々とも知り合えました。商工会議所さんからもデザイン面などいろいろとアドバイスをいただけたのもありがたかったですね」

また、みゆきやフジモトは積極的に海外展開も行っている。4年ほど前から香港・フランスと取引があり、特にこんにゃくを使った麺が人気で、販売も順調に伸びているという。

「こんにゃくの市場は、どうしても価格しか見てもらえずに非常に厳しいものがあるんです。いくら頑張ってつくっても、大手には価格競争では太刀打ちできません。そうしたことで疲弊し、廃業していくところも多いです。しかし、うちはちゃんとしたものをきちっとした価格で売りたいので、いろいろな商品を開発していく必要があるんです。うちならではの商品で勝負するしかありません。それに海外でも岡山の果物は知られていて〝岡山ブランド〟がとても有利に働きます」

他の地場企業のモデルケースに

「本業は果物とは関係がなくても、地域資源の果物を使った事業展開をしている一つのモデルケースとして、みゆきやさんの場合は他の岡山の地場企業への強い刺激になります」と岡山商工会議所の川口さんは語る。川口さんは「おかやま果実」の審査に向け、さまざまな分野から意見をもらえる場を設けるなどで支援をしてきた。

「同業者がいない岡山で、これまではどうしてもこもりがちになったり、一人よがりになったりする部分はあったと思うんです。そこに風穴を開けてくれ、さらに商品開発に関しても冷静かつ的確に見てもらいましたから、やはり、外からの目は大切だなと思っています」と恵子さんは、振り返る。今でもこれからの展開について川口さんと打ち合わせを繰り返している。

「うちの規模に合った売上でいいんです。量もそんなに多くはできない、価格も落とせないとなると、地元だけでやっていくにはどうしても難しいところがあります。新商品を出したとしても、それにぴったり合うお客さんと出会うのも、そう簡単なことではありませんので」(恵子さん)

おかやま果実ブランドを身にまとうことで、岡山だけではない広がりが見え、新規の販路開拓につながった。「選び抜いた素材と培ってきた技を生かし、新しいものづくりに挑戦」という博雄社長の思いはますます強いものになっている。

地域の資源を活用し、新たな魅力を加えたことでみゆきやフジモトは、これからも地元に大きな力を与えてくれることだろう。

地域ぐるみで塩釜を売り出せ!塩づくり復活にかけた思い

顔晴れ塩竈 宮城県塩釜市

約2tの海水が入る竈。地元でとれる塩竈石でつくり上げた。2日間かけて海水を煮込み、アクを取る

宮城県塩釜市は、全国有数の漁港として知られている。しかし、観光面においては、日本三景の一つである松島の玄関口であるものの、交流人口は伸び悩んでおり長年の課題となっていた。この現状を何とかして変えていきたいと立ち上がった若手経営者たちがいる。彼らは塩釜市の名前の由来になったといわれる伝統の塩づくりに着目し、その復活を目指した。今、この取り組みが注目されている。

何とかして地元を元気にしたい

「このままでは地域全体が地盤沈下してしまう。何かもっと塩釜をアピールできるものはないだろうか」と塩釜商工会議所では熱い議論が交わされていた。特に若手経営者の危機感は強く、当時塩釜市青年四団体連絡協議会の初代会長だった伊藤栄明さんは、「塩釜はもともと塩づくりの聖地だった。塩釜の名前の由来ともなった塩づくりを復活させ、もっと全国へ向けてアピールしよう」と仲間たちに提案。青年部の賛同を得た伊藤さんは早速行動に移し、有限責任事業組合「顔晴れ塩竈」を設立した。平成19年のことだった。

塩釜商工会議所が全面的にサポート

神事として塩釜に伝わる製塩法は、ホンダワラという海藻の上から海水を釜に注ぎ2日間煮詰める方法で、全て手作業によって行なわれる。そうしてできた塩は、「藻塩」と呼ばれる良質の塩となるのだ。しかし、品質が良くても、商品化するためには一定の生産量が求められる。伊藤さんたちには塩づくりの経験は全くなく、資金に余裕があるわけでもなかった。

そこで、塩釜商工会議所が全面的にサポートすることになった。平成20年度の「地域資源∞全国展開プロジェクト」に採択された「〜海・食・人が活きるまち 塩釜・みなとの物語〜塩釜・みなとブランド構築プロジェクト」の中核事業として「藻塩づくりの復活」を位置付けたのだ。

そこから、事業化に向けての歩みがはじまった。最初に取り組んだのは、塩づくりの基本を学ぶために他県の製塩所まで勉強に出向くことだったという。「顔晴れ塩竈」を見守ってきた塩釜商工会議所地域振興室長の西條孝夫さんは、当時のことをこう振り返る。

「海水を煮詰めるには2日間ほどかかります。試作品をつくるにも人手が必要でした。そこで私たち職員も一緒になって、塩づくりに挑戦したのです。最初に釜を火にかけたのは20年の7月のこと。工場もないので、当時の商工会議所会館の裏庭ではじめました。隣が消防署で、火を使って大量の湯気が出るものだから、毎回作業の始めと終わりに消防署まで報告に行ったものです」

苦労して手作業でつくった試作品の藻塩は、味が良く、新しい地場産品として評判になり、地元のメディアにも取り上げられた。だが、400ℓの海水を2日間煮詰めても取れる塩はわずか4㎏ほど。商品化には課題が山積していた。

旧友との再会が事業化へとつながる

そんなとき、市内で水産加工会社を経営していた及川文男さんが藻塩の評判を聞きつけて、旧知の伊藤さんの元を訪ねてきた。

「ウチの主力商品は、地場産の魚を地元の酒蔵メーカーから仕入れた酒かすに漬け込んだかす漬けです。かす漬けに使ういい塩を探していたときに、伊藤さんが塩釜伝統の藻塩を復活させようとしていると聞いたのです。地場の魚と酒かす、これに藻塩を使うことができれば、商品に一つのストーリーができると思いました」と及川さんは振り返る。

しかし、及川さんが伊藤さんの元を訪れたときには、藻塩が全く無い状態だった。量産ができず、事業化のめどがまったく立たなかったのである。

伊藤さんから「一緒に塩づくりしませんか」と協力を求められた及川さんだったが、塩干食品市場の組合長も務めていたこともあり二つ返事というわけにはいかなかった。

「いろいろ悩みましたが、塩釜の宝でもある塩づくりをこのままにしておくことはできないし、どうせやるなら、全てを賭けてやらなければ成功しない、と思い組合長も辞任し、塩づくりを手伝うことにしました。何といっても伊藤さんの熱心さに心を動かされました」

この出会いがきっかけとなって、事業化は大きく加速していくことになる。平成21年、及川さんは自分の工場内に塩竈石を使って2tの海水が入る竈をつくった。そして顔晴れ塩竈も4月に有限責任事業組合から合同会社に発展。量産体制を整えていく。

「当初は、少し価格も高いので心配でしたが、業種を問わず市内の小売店にお願いして店頭で販売してもらいました。さらに商工会議所にも協力してもらい、地元の飲食店や菓子メーカーなどにも使っていただけるようになりました」(伊藤さん)

「塩竈の藻塩」は塩釜の海水を使い、じっくりと時間をかけてつくられる。そのため、きめが細かく、ほんのり甘みさえ感じるほどだ。その評判は県内から東北各地へと着実に広まっていった。

震災に負けずに「塩釜」の魅力を発信する

順調に販路を拡大し、事業も順風満帆に見えた顔晴れ塩竈だったが、平成23年3月11日、港からわずか200mほどにあった社屋は大津波に飲みこまれ、流されてしまった。しかし、従業員とともに、顔晴れ塩竈の象徴ともいうべき石の竈と、事務所に祭った塩づくりの神様「塩土老翁神」の神棚は奇跡的に無事だった。

「竈と神棚が流されなかったのは、神様がこのまま塩づくりを続けろと言っているのだな、と思いました」と及川さんは振り返る。

その言葉通り、震災からわずか2カ月後の5月には早くも塩づくりを再開させている。現在では、地元産の塩に協力する店も大幅に増加。チョコレート、ポン酢、アクセサリーなどへの広がりだけでなく、寿司に藻塩を振り掛けるという新しい試みも始まっている。顔晴れ塩竈は、塩釜の復興をアピールするとともに全国に向けて、その魅力を力強く発信し続けている。

地元産の薫製鶏肉を全国へ広めたネット販売戦略

スモーク・エース 宮崎市

同社初のオリジナル商品「鶏炭火焼」。発売当時、黒い商品はタブー視されていたため、県内でも敬遠されたという

豊かな自然と温暖な気候により、食材の宝庫ともいえる宮崎県。その一つである鶏肉を活用してオンリーワン商品を開発し、独自のインターネット販売で宮崎の名物にまで成長させたのがスモーク・エースだ。同社が地域と連携しながら取り組んできた販路開拓が今、〝内向的でアピール下手〟な地元企業に新しい風を送り込もうとしている。

黒い肉が敬遠されたが、口コミで評判に

太平洋と三方を山に囲まれた宮崎県は、海の幸や山の幸に恵まれ、四季を通じて新鮮でおいしいものが食べられる。反面、それを全国の人に食べてもらおうという考えが乏しい面もあるという。

そうした中、地元の新鮮な食材を薫製にして保存性を高め、より多くの人に届けたいと考えたのがスモーク・エースである。昭和58年に同社を創業した現会長の穴井堯義さんは、もともとクラシックギタリストという経歴の持ち主だ。若かりし日にスペインへ留学した際、初めて食べた鶏肉の薫製が忘れられず、試行錯誤の末、その味を再現。62年に「鶏炭火焼」という名前で販売を始めた。

薫製とは、獣肉や魚肉などを塩漬けにし、サクラやナラなどの木くずをたいた煙で燻しながら乾燥させたもの。食材のうま味を閉じ込め、臭みをなくし、独特の香味を持っている。当時は、炭火焼きなのに真空パックで冷たくて、しかも黒い商品はほかになかった。そのため、周りの反応は芳しくなく、「すぐに消えるだろう」と言われていた。

しかし、味には自信があった。細々と近所におすそ分けするうちに口コミで評判が広がり、徐々に売れるようになっていった。その後は着実に売り上げを伸ばし、平成9年、宮崎空港内に「直営店を出さないか」と打診されるまでになる。そのころ、アメリカ留学を経て米企業で働いていた現社長の穴井浩児さんが帰郷し、同社に入社した。

「宮崎焼酎のアテに久々に鶏炭火焼を食べてみて、『こんなにおいしかったのか』と。実は、アメリカからいきなり宮崎の田舎に帰ってきたので、当時いろいろなギャップに苦しんでいたのですが、おいしいものを食べると元気が湧き、心が豊かになるのを実感して、もっとこの商品を多くの人に味わってほしいと思いました。そんなときふと頭に浮かんだのが、アメリカ時代の親友が言った『インターネットって、何でもできるんだよ』という言葉だったんです」と振り返る。

「全国へ売りたい」とネットで販路開拓を模索

穴井さんは空港直営店の立ち上げに奮闘する傍ら、宮崎ではまだほとんど実践する人がいなかったネット販売で新たな販路を模索し始める。

ちょうどそのころインターネットショッピングモール「楽天市場」が登場し、いち早く出店を試みた。しかし、売り場がネット上というだけで、スーパーや百貨店などに商品を卸すのと大差はなく、「何かが違う」と早々に撤退。そのきっかけとなったのが、宮崎商工会議所が開催する「独自ドメイン講座」だ。会長の代から同社と付き合ってきた宮崎商工会議所・総務部長の松山茂さんは、いきさつをこう説明する。

「『独自ドメイン講座』はホームページのつくり方を学ぶものですが、商品開発から販売まで全て自分でやりたいと考えていた穴井さんに、自社ホームページでの販売は合っていると思いました。実際、この販売方法で成功している方を講師に招いたセミナーに参加されたときに、『地方に拠点があっても、ネットなら商圏は全国。いいものをつくっていれば支持してくれる人が驚くほどいる』という言葉に、自分の方向性は間違っていないことを確信したようです。一般的には、講座やセミナーに参加してやる気になっても、実行までに至らないケースが多いです。いかにそのやる気を維持してもらうかが私たち経営指導員の役目であるわけですが、穴井さんは同じ目的を持った人たちとネットワークをつくり、情報交換しながら着々と準備を進めていました」

商品への思いを伝えることがブランディングにつながる

こうして地域や仲間と連携しながら同社が立ち上げたネット販売サイトが、平成18年にオープンする。そこで心掛けたのは、「自分の思いを伝えること」だ。

「私にとって思いを伝えることはブランディングなんです。ネットに商品や情報を載せれば、誰もが見られる反面、競合も増えます。だからこそ当社の商品がどのようにつくられ、どんな思いを込めてお客さまに届けているかを随時発信することで差別化しています。21年からは『お客様の声プロジェクト』をスタートさせ、ハガキやメール、FAXなどで意見や感想を募っていますが、喜びの声がたくさん届くようになり、手応えを感じています」(穴井さん)

このようにして店舗とネットの相乗効果で販路を拡大し、今や宮崎名物と呼ばれる知名度と売上を得るに至った同社だが、全てが順調だったわけではない。例えば、19年から何度も宮崎を襲った鳥インフルエンザにより、苦境も味わっている。しかし、そうした危機に直面するたびに、お客に向けて正しい情報を発信し続けたことが、逆に商品や会社への信頼を強めることにつながった。

現在、穴井さんは宮崎商工会議所が企画するEC(電子商取引)セミナーなどで講演したり、知り合いを講師として紹介するなど、地元企業の販路開拓を積極的にサポートしている。また、同社が持つ遊休施設を芸術家や県外のファンのためのサロンとして活用する構想にも着手する予定だ。

「私にとってこれからの10年は『場所と人』がキーワード。音楽家の演奏を聴きながら、当社の薫製が食べられるスペインのバルのような場所をつくって、全国から人を呼ぶのが目下の夢なんです。製品づくりはもちろん、そうした活動を通じて宮崎の良さ、おいしさを伝えていくことが、私にできる地域貢献だと思っています」と穴井さんは笑顔で語ってくれた。

地元食材を用いたオンリーワンの味が多くの人を幸せにし、地域に活気をもたらそうとしている。

間伐材を熊野の香りとして商品化し、林業のまちの元気を取り戻す

エムアファブリー 和歌山県新宮市

世界遺産の地、熊野。このあたりは温暖で高温多雨な気候風土で豊かな水資源と樹木に恵まれている

和歌山と三重の県境、紀伊半島の東南部に位置する新宮市。古くから熊野信仰の聖地として知られ、平成16年には「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されている。この新宮を拠点に地元の森林組合や企業、商工会議所と連携し、間伐材を利用したアロマオイルの商品化に成功したのが、エムアファブリー代表の竹原真奈美さんだ。

このままでは熊野の森が荒れ果ててしまう

新宮市は面積の約9割が山林だ。ここで生産される「熊野材」は古くから良質な建築資材として重宝がられ、全国各地へ出荷され、林業・製材業のまちとして栄えてきた。しかし、近年は安価な輸入木材の台頭や建築様式の変化に伴い、国産材の需要が減少。新宮の林業・製材業が軒並み衰退傾向にある。

そんな中、昨年春より熊野の森の木々から抽出した100%天然のアロマオイルを製造販売しているのが、リラクゼーションサロン・エムアファブリーである。

「森の香りのアロマオイルを販売することで、荒廃する山林の保護の一端を担いたい。地域住民の郷土愛の醸成にも貢献できれば」と語るのは代表の竹原真奈美さんだ。

平成18年より市内の大型ショッピングセンター・スーパーセンターオークワ南紀店の一角で、エムアファブリーを営んでいる。お客にリラックスしてもらう手段としてアロマオイルを活用し始め、〝香り〟について考えるようになった。

「幼いころから森の中で遊ぶのが当たり前でした。山も季節によって香りが違うのですが、まちなかにいても、季節ごとの香りを感じていました。例えば、私は初夏の夕暮れの香りを嗅ぐと、大好きだった祖父のことを思い出します。だから、もしかしたら香りには記憶の中の何かを思い出させる力があるのではないかと。それで、故郷の森の香りを集めたら、この熊野の香りができるかもしれない。その香りはこのまちで暮らす人の記憶の中の香りになるのではないかなと考えていました」

大きな転機となったのは平成23年9月、紀伊半島を襲った豪雨だった。市内をはじめ、周辺の山々も甚大な被害に遭った。そんな中、サロンのお客であり、Iターンで林業に携わっているという羽田十実さんから「林業は相当厳しい。木を伐ったらそれだけ赤字になることもある」という現実を聞き、林業の今後も気になって仕方なかった。

「このままでは大好きな山が荒れ果ててしまう、何とかしなければといてもたってもいられなくなって、本気で熊野の森の木を使ってアロマオイルができないものかと考え始めました。それで少しでも地域を元気にできたらと思ったのです」

全てが手探りの中 商工会議所に相談

目的は定まったが、何をどう進めたら実現できるのか皆目見当もつかない。全てが手探りの中、竹原さんはスタッフの堀由起さんと一緒に新宮商工会議所を訪ねた。

「熊野の香りを商品化したいのですが、どうしたらできますかと相談しに行きました。漠然としたことしか言えなくて、担当の清水さんはさぞ困られたと思います(笑)」

しかし、その時にわかやま産業振興財団の「農商工連携ファンド助成事業」で助成金を受けられるかもしれないと教えてもらった。

「それが締め切り1週間前だったんです。次の機会にしてはと言われましたが、1週間あれば何とかなると思い、事業計画書をつくり始めました」と竹原さん。同時に、材料の提供者など協力者を探す必要もあった。そして、羽田さんを通じて、熊野川町森林組合の田中多喜夫組合長を紹介してもらった。

面会したときには「以前から、熊野の森の香りを感じられる100%天然のアロマオイルをつくりたいと思っていたこと、そして、それを地域活性化につながる事業に発展させたいとありのままの気持ちを伝え、アロマオイルの原料として間伐材を活用させてほしいと懇願しました」と当時を振り返る。

「組合長は『林業しかやっていないと、木材を家具や建物に使う発想しかないが、他業種の方と組めば、木の生かし方も広がる。それは私たちにとって喜ばしいこと。何より一人でも多くの人に山に入ってもらえば、山も元気になる。ぜひ協力したい』と言ってくれました」(堀さん)

「木が香りを持っている理由や、樹液の濃さや香りが季節によって違うこと、抽出に適した季節も木の種類によって異なることなど、組合長は森の話をいろいろしてくれました。それによって、私たちはますます森が好きになったし、同時に、この組合長の熱い思いに応えるためにも、この森に新しい人の流れと新しい価値を創り出そうと決意しました」(竹原さん)

何とか助成金を受けられることになり、アロマオイルを抽出する装置を購入。成分分析は和歌山県工業技術センターの協力を得て、販売にこぎつけた。

「センターも、アロマオイルを入れるガラス容器の仕入れ先も、木箱をつくってくれる職人さんも、商工会議所の清水さんの紹介です。困ったときは必ず相談していました。あ、今もそうです(笑)」と竹原さん。一方、清水さんも、彼女たちとの連携は非常に有意義だと語る。

「初めての経験をいろいろさせてもらえましたし、お陰で人脈も広がりました。実は新宮の産業は今、小売・サービス業が中心なんです。そんな中、彼女たちは地域資源を生かした〝ものづくり〟を始めてくれました。その意義は新宮にとって非常に大きいですね。とにかくやる気を感じるので、つい応援してしまいます」

実際、竹原さんたちの情熱は、人を動かす力に満ちている。それを象徴するエピソードがある。香り成分の分析を大学教授に依頼したときのことだ。

「不純物が含まれていないか確認したかったのと、植物には個体差があるので、分析することによって、地域の特色や特徴が出るのではないかと期待して訪問しました」と竹原さん。しかし、教授にはよくある売り込みだと思われ、最初は全く相手にしてくれなかったそうだ。

「さすがに悔しくて、思いの丈をぶつけて帰ることにしました。『私たちは香りをただ売りたいんじゃない、新宮は台風で大変な目に遭っている。歴史も文化も深いところだけれども、多くの人に来てもらうためにはもう一度まちを元気にする必要がある。そのための〝森の香り〟なんだ。私も小さいときに山で遊んでいたが、そのときの記憶は香りとともに残っている』と話したところで、ようやく顔を上げてくれました。私たちの話を聞いていた教授の顔色が変わり、真剣に耳を傾けてくれ、協力してくれることになったんです」

新宮を元気にしたい。そのために人を呼べる〝熊野の香り〟をつくりたい。その一心が地域や周りの人々の心をつかみ、販売へとつながっていった。

これからもたくさんの人を巻き込んでいきたい

「本当に自分たちだけの力では無理だったと思います。熊野の香りは、森づくりのエキスパートをはじめ、香りの専門家、林業の復活を願う人、木箱職人、そして熊野を愛する人たちの力が結集して出来上がったもの。もはや私の夢を超え、多くの人の思いを乗せて進み始めています」と竹原さんは語る。

「だから、ただ売れたらいいとは考えていません。新宮そして熊野で生きる人たちがいるという背景がちゃんと伝わる売り方をしたい。そのためにも、販路もむやみに拡大せず、自分たちの思いをくみ取ってくれるところに限定しています」と堀さん。量産ではないので、売り切れるシーズンもあるが、「それが天然オイルの良さ。同じ熊野杉でも季節ごとに香りが違うので、それを楽しんでもらえる売り方にしていきたいですね」(堀さん)

さらなる展開として考えているのが、森林体験ツアーの実施だ。「商工会議所の清水さんから〝ガイドブックに載らない旅~紀南まちじゅう感動体験プラン〟というコンテストがあるから応募してみたら? と助言を受け、〝森のエキスパート&香りのエキスパートと行く『熊野の香り』アロマ抽出丸ごと体験ツアー(香りのお土産付き)〟で応募したら最優秀賞になって。これを本格的に商品化しようと考えています」

これからも多くの人の力を借りながら、一歩ずつ前へ進んでいきたいと語る竹原さん。「巻き込んだモン勝ちだと思っているので(笑)、買ってくださる方も熊野を愛する私たちのチームの一員。私たちの取り組みをきっかけに新宮そして熊野にいろんな人が集まり、にぎやかになってくれたら」。彼女たちの勢いとともに、熊野の香りは確実に広がっていきそうだ。

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