「ダイバーシティ経営」を実践して成功している企業が全国に存在する。成功企業はどのように社員の多様性を受け入れて活用しているのか、今号はその実例を紹介する。
さまざまな人材の登用が会社を強くする
法政大学大学院政策創造研究科教授 同大学院静岡サテライトキャンパス長 坂本光司
ダイバーシティとは「市場の要求の多様化に応じ、企業側も人種、性別、年齢、信仰などにこだわらずに多様な人材を生かし、最大限の能力を発揮させようという考え方」と定義されている。それは言い換えれば外国人や女性、高齢者・障害者などを積極的に登用するということであり、職場環境が変わり逆に生産性が落ちるのではないか、と心配する経営者も少なくないだろう。しかし、中小企業7000社を調査した法政大学大学院政策創造研究科の坂本光司教授は「杞憂だ」と明言する。
中小企業の1割がF・E・D社員を活用
中小企業庁の調査(平成24年2月時点)によると全国には約386万社の企業があり、そのうち中小企業・小規模事業者は385万社(99・7%)を占める。坂本教授によれば、そのうちの7割が赤字企業で占められているという。赤字の原因については①景気や政策(国の施策が悪い)、②業種や業態(業界全体が不調)、③企業規模(自社の規模が小さく経営資源が少ない)、④ロケーション・立地環境(大都市圏から離れている)、⑤大企業・大型店(強者に仕事を奪われた)の5類型のどれかに求める傾向にあるという。
だが、坂本教授はこれらの多くが「誤解・錯覚・甘え」であると分析する。言い訳をせず、毎年きちんと利益を上げている会社は調査した7000社のうち700社程度存在し、その多くが「企業とは何かを理解し、F・E・D社員を活用している」という共通点を持っている。
「F・E・D社員」とは坂本教授の造語で、Fは女性、Eは高齢者、Dは障害者を表す。男性現役世代が中心の企業社会の中では総じて弱者と位置付けられる人たちである。坂本教授はまずはこのような人材の積極的な活用を説いている。ダイバーシティという観点からは、これらに外国人を加えてもよいだろう。
人口比では女性が多いが就労数では男女が逆転
なぜ、F・E・D社員の活用が重要なのだろうか。ここでは女性社員を例に取って考えてみる。
総務省の人口推計によると、男女の割合は49対51だ。ところが、内閣府男女共同参画局の「男女共同参画白書 平成26年版」によると、日本の労働力人口(就業者および完全失業者の合計)の総数は6577万人、そのうち男性は3773万人、女性は2804万人で57対43と逆転してしまう。明らかに女性の就労数が少ないのだ。
「女性の就労者が少ないのは努力不足や能力不足によるものではありません。男性主導社会の中で女性の能力が十分に生かされてこなかったということだと思います」 今、女性の力が求められている背景は何か? 坂本教授は二つの理由を挙げる。
まず日本経済のソフト化・サービス化の進行である。特にソフト・サービス産業では、五感に訴える産業であるため、男性よりも鋭い感性を持つといわれる女性の活躍が顕著な分野である。
もう一つは労働力不足の問題だ。日本の人口は2030年までに約1100万人減少すると推計されている。加えて、15歳から64歳までの生産年齢人口の減少はさらに多く、約1300万人も減るといわれている。ソフト・サービス産業は製造業のようにロボットに置き換えることが難しいため、女性だけでなく多様な人材を必要とする。
それなのにF・E・D人材の活用が遅れているのは「経営者が社員をコストとみなしているからです。そのような企業は総じて苦境に陥っています」と坂本教授は説明する。目先の利益だけを追えば現役世代の男性社員を重用した方が効率的かもしれないが、それでは「会社本来の目的を見失ってしまいます」と警鐘を鳴らす。
ダイバーシティ経営の本質は人を大切にする経営
坂本教授の持論は「経営とは、その組織に関わる全ての人々の永遠の幸せを実現するための活動」だ。企業は、社員とその家族、取引企業とその家族、顧客、そして株主を幸せにする責任がある。つまり、人を大切にしない企業は存続できないということだ。社員が自社に不平・不満、不信感を抱いているようでは顧客満足を得ることも、業績を高めることもできない。
今いる男性社員だけを厚遇すれば良いというわけにはいかない。多様な人材を組織に取り入れることで、組織が刺激を受ける。例えば障害者雇用ならば、その最大の効用を坂本教授は「職場が他人に対して優しくなること」だと指摘する。「優しく」の意味は「お客さん扱いする」ことではない。彼らが働ける環境や仕事を用意し、責任を持って遂行してもらうことである。健常者は「個性」に配慮することで他人を尊重することを学び、障害者は働く喜びや、自分が存在することの意義を知るというわけだ。
「これを一般にはダイバーシティ経営と呼ぶのですが、私は大家族的経営と名付けています。社長が父母、部長が兄姉、社員が弟妹と思えば、家族に何かあったとき、自分が犠牲になって助けようとしますよね。それが企業の強さにつながるのです」
社員の顔が見える規模の中小企業はダイバーシティ経営、大家族的経営を進めやすい。ただし導入をあせる必要はない。「テストと同じでいきなり難しい課題に取り組まずに、やれるところから取り組むことが大切です」と坂本教授は話す。その努力が企業の未来を変えるかもしれない。
高齢者の知恵は会社の財産
フジイコーポレーション 新潟県燕市
新潟県有数の工業地帯であり、古くから金属洋食器から産業機械に至るまでさまざまな金属加工業が発達してきた燕市。この地に本社を置く機械メーカー、フジイコーポレーションは創業当初から〝人〟を大切にしている。「社員は家族」という考えで、長期雇用を前提とした経営を推進、高齢者は会社の財産と捉えている。
「社員はみんな家族」が創業時からの経営方針
慶応元(1865)年、千歯や唐箕など農機具の製造からスタートし、現在は除雪機や草刈機、高所作業機などの開発・製造・販売を手掛けるフジイコーポレーション。確かな技術で海外にも積極的に進出し、特に除雪機は北極圏・フィンランドのサンタクロース村から南極まで世界各国で活躍。高いシェアを誇っている。
「私が5代目、来年で創業150年です。よくつぶれなかったなというのが率直な感想です(笑)」と語るのは、代表取締役社長の藤井大介さん。というのも、これまでには、経営危機に陥ることが何度もあったからだ。
「ただ、農業機械のみではダメだと思ったら除雪機の開発をおこなうなど、すぐ次の策を打ち出すようなところが代々あるんです。そういう見切りの早さが、うちの会社の強みなのかもしれませんね」
しかし、〝人〟に関しては違う。創業当初から「社員は家族」という考えが根付いている。経営が苦しくても、社員を見切ったり、リストラをしたことはないという。 「社員はコストではないのです。そもそも会社というのは、社員みんなが経済活動を通じて人生を豊かにする場所。企業存続のため、社員を切るという発想は、うちの会社にはありません」
性別、年齢、国籍に関係なく、一度入社したら1日でも長く働き続けてもらう。多様な人材を受け入れる寛容な企業体質は、連綿と受け継がれ、今や企業文化として定着しているのだ。
高齢者の知恵は会社の財産
そんな中、フジイコーポレーションがとりわけ大切にしているのが高齢の社員だ。先代社長の「少なくとも年金がもらえるまで雇用する」という強い信念に従い、平成4年には、定年してから65歳まで再雇用するという制度を設けた。そして、22年にはその上限を70歳まで延長している。
「正社員は60歳になったとき、雇用の延長を希望するか確認します。働き方もフルタイムの準社員か、それともパートにするか選択できます。現在は78歳の女性が最高齢です。総務部に所属し、パートとして社員食堂などで元気に働いてくれていますよ」
全社員139人のうち、60歳以上が18人。そのうち、11人は準社員として月給制で、残り7人は時給制のパートとして働いている。
「長年働きながら身に付けてくれた高齢者のノウハウこそが、会社の財産なのです。特に今の60代以上は、高度成長期に青年時代を過ごしています。仕事において最も先輩にしごかれ、かつ失敗が許された時代の人たちです。だから経験も非常に豊富で、まさに知恵の塊なんです」と藤井さんは語る。その知恵を、今の若手社員の体に染み込ませるように伝授してもらいたい。そう考え、シニアアドバイザー制度を導入し、再雇用した高齢の社員には若手の指導を担当してもらっている。
「今の若い人たちにもそれなりの知識や技術はあるのですが、自分で何かを創意工夫するという知恵の部分が圧倒的に足りない。シニアアドバイザーと接しながら、仕事に必要な知恵を学びとってほしいです」
実際、ベテランの知恵を活用する形で、大きな成果を出したことがある。ベテラン社員の提案がきっかけとなり、一般的には不可能といわれていた多品種少量生産対応型の溶接システムをつくり上げたのだ。この成功の要因には日本古来の伝統的技法を応用したことにあるという。
「このシステムは、第4回ものづくり日本大賞優秀賞を受賞しました。高齢者の活躍は、若手の発想力、行動力を刺激し、企業全体の活性化につながっています」(藤井さん)
現場の第一線で活躍し続ける高齢者の一人に68歳の鴨井孝夫さんがいる。昭和36年に入社、勤続53年だ。商品開発部に所属し、資材管理業務に携わりながら、46年の電算機導入後は平成17年までシステム管理、プログラム作成を担当。それ以降は一貫して資材の原価管理を受け持った。
「いかに安くて品質の良い資材を調達するかを考え、それが実現できたときが何よりうれしいです。60歳を過ぎてから原価管理の専任となったことで、さらに自分の能力が向上したように思えます。それもあって人生で今一番、仕事を楽しめている気がするんです」と鴨井さんは笑う。
藤井さんは、定年を70歳に延長したことで発生する介護、闘病の問題にも積極的に取り組んでいく構えだ。「両親の介護、あるいは自身が病を抱えてもなお働き続けられる仕組みづくりをしたい。それもまた経営者の務めだと思っています」。
女性の積極的活用で会社の発信力も向上
フジイコーポレーションは数年前、オフィスや工場などを一新した。特に工場内はさまざまな工夫を凝らし、高齢者が働きやすい環境を実現している。
「例えば、足腰に負担がかからないよう、重い工具を全て天井からつるすことで持ち上げなくても利用できるようにしました。また、荷台には全てキャスターを取り付け、工場内の床の段差もなくしました。作業負担を軽減する工夫が結果的に生産効率をアップさせています」
実は、このオフィス環境整備は女性社員を採用する目的もあったと藤井さんは振り返る。「会社は社会の縮図でいろんな人がいるべきなのに、20年間全く女性を採用できなかった時期がありました。それで、女性が働きたいと思える職場にしたいということもあって、事務所や工場を刷新したのです。商品開発部の女性用トイレは一流ホテルかと思うほど清潔できれいですよ(笑)」。
そんな努力のかいがあり、20年には女性の新卒採用に成功。それ以降は継続して毎年2、3人の女性を採用できている。とはいえ、ただ採用すればいいわけではない。女性の感覚やセンスを業務に生かしていかなければ意味がないが、実際に採用された女性たちは第一線で活躍しているという。
中でも成果が如実に表れているのが広報業務だ。「ホームページ、パンフレットの作成を女性社員が担当するようになり、かつてないほど洗練されたものになりました」(藤井さん)。広報担当は森田理恵さん。留学経験もあり英語に堪能だ。そのスキルを生かし、ホームページやパンフレットの英語版の作成も進み、飛躍的に情報発信力が高まった。
「育児をしながら働いていますが、この会社では子育てを理由に辞めた女性社員がいないので心強いです。保育園の送迎のため、勤務時間もフレキシブルに対応してもらっています」(森田さん)
大事なのはその人の特性
社内人材の幅を広げるべく採用したのがバングラデシュ出身のモハメド・サイフ・ビン・バドシャさんだ。機械事業の商品開発部制御グループに所属し、電気制御に関わる開発・設計・不具合への対処などを担当している。また、開発技術者の良きパートナーとして海外向けマニュアルの作成にも取り組む。
「会社の人はみんな仲間として扱ってくれます。だから、自分だけが〝外国人〟ということを全く意識せず、思う存分働けます。いろんな日本の会社で働きましたが、ここが一番居心地がいいです」とバドシャさんは笑顔を見せる。藤井さんは、「バドシャには断食など宗教上の慣習の違いもたくさんあります。でも、共通点を探し、認め合うようにすれば、心も通じ合うのです。実際、他の社員と刺激し合い、大きな成果を生み出してくれています」。
中小企業は人材力が勝負。藤井さんは「年齢、性別、国籍よりも大事なのはその人が持つ特性です。それをいかにうまく生かして働いてもらうかです。だからバドシャも、外国人というより、制御システムと英語が得意な人、という捉え方なんですね。その特性を最大限に発揮してもらえるような環境を与えることが、経営者である私の使命だと思います」と語る。
ここ数年、フジイコーポレーションの業績は良く、売上高も伸びている。海外売上高も5年前と比較し、1・5倍だ。
「ただ、これは私がダイバーシティに取り組み、人材をうまく活用したからではなく、ひとえに、みんなが一生懸命働いてくれた結果です。そこを、はき違えてはいけないと思っています」
新潟出身の江戸時代の僧侶、良寛がしたためた書に「何必」がある。この言葉は定説を「何ぞ必ずしも」と疑い、自由な精神を持ち続けることの大切さを説いている。藤井さんは、自分もこの言葉のようでありたいと笑顔で語ってくれた。
障害者は伝統技術の貴重な担い手
宇佐ランタン 大分県宇佐市
昭和48年に創業した宇佐ランタンは、国内トップシェアを誇るビニール提灯の専門メーカーである。当初は家内工業として事業を始めたが、従業員を雇って工場での一貫生産体制を構築。そして、56年に知的障害者を雇用したことを機に、製造工程の分業化・自動化機械の導入を推進し、今では年間約30万個を生産するまでに成長した。その中心的役割を果たしているのが、従業員の半数以上を占める障害者である。
一貫生産で通年生産に挑戦
提灯の起源は今から400年以上さかのぼるといわれている。日本の伝統産業の一つで、「張り師」と呼ばれる高度な技術を持った職人の手によって受け継がれてきた。専用の木型を組んでひごを巻き付け、そこに和紙を貼ったものが従来品だが、各種イベントや宣伝用など屋外使用のニーズが増えるにつれて、風雨に弱いという難点が表面化する。そこに着目した宇佐ランタン社長の谷川忠洋さんは、これまでになかったビニール製の提灯の開発・製造に乗り出し、昭和48年に同社を創業した。
「この業界はもともと家内工業が一般的で、近所に内職を出すという方法をとっていました。しかし、季節変動の大きい商品ですし、このやり方では発展がありません。そこで従業員を雇って工場での一貫生産体制をつくり、通年商品として新たな市場を開拓しようと考えたのです」
ちょうどそのころ、同社の近くに知的障害者の自立訓練施設ができ、そこに勤める知人から相談を受けた。「彼が嘆くんですよ。『この子たちはみな良いものを持っているのに、誰もその能力を育てようとしない。宝の持ち腐れです』とね。その言葉が耳に残り、どんな宝なのか見てみたいと思ったんです」。56年、そうした経緯から知的障害者を一度に5人採用した。
作業を分業化しスペシャリストとして育成
知的障害者は、難産や乳幼児期の病気などが原因で、脳細胞の知的機能を司る領域が損傷を受け、物事を判断したり、覚えたりすることが難しいケースが多い。そのため社会活動に適応しにくいという特性がある。雇ったはいいが、周囲の心配どおり10年以上も試行錯誤を繰り返すこととなった。
「仕事を教えてもなかなか覚えてくれないし、ほかの従業員は『どう接したらいいか分からない』と戸惑うばかり。何度も叱りつけ、こんなはずじゃないと途方に暮れていました。仕事は内職に出していたのでどうにかなりましたが、赤字がみるみるうちに増えていきました」と当時を振り返る。
そんな状況にもかかわらず、障害者の雇用をやめようとは思わなかったという。途中で投げ出したくないという意地や、まだ彼らの中に眠る宝を見ていないという思いがあったためだ。そしてある日、転機が訪れる。
「いつものように叱っていたら、普段は黙っている子が『怖い』と漏らしたんです。そのひと言にハッとしました。この子たちにとって私は鬼でした。それに気付かず、どこかで『雇ってあげている』と親切を押し売りしている自分に気付いたんです」。彼らと向き合い、同じ目線に立ってみると、〝繰り返し作業〟が得意なことが分かってきた。そこで谷川さんは、仕事のやり方を変えることにした。提灯づくりは通常、型組み、生地張り、乾燥までを1人で行うが、これらを分業化して担当を決め、スペシャリストとして育てることにしたのだ。
「一つの仕事に責任感を持たせたら、作業効率が良くなりました。また、できるだけプレッシャーを軽減しようと、事あるごとに声を掛けるようにしたんです。『きれいに貼れたね』とか『もうこんなにできたの』とか。本当にうれしそうな顔をするんですよ。ただ、お世辞でいうとすぐ見抜かれてしまうので、本心から褒める。そうするうちに、みな見違えるように熟練度が増し、品質の高い提灯がつくれるようになりました」
彼らに必要だったのは、仕事への自信と受け入れられているという実感だった。それを早く経験させてあげれば、健常者が何年もかけて習得する高度な技術を、ものの2~3カ月でマスターするという。
信頼関係が能力を引き出す
同社が知的障害者を雇用して30余年。現在、従業員14人のうち8人が障害者である。しかし、工場で作業する様子を見ても、だれが健常者で、だれが障害者なのか全く分からない。みな慣れた手さばきで、黙々と提灯をつくっていく。
「この子たちはものづくりに秀でた才能があることは間違いありません。あまりの手際の良さに、指先にも目が付いているんじゃないかと思うことさえあります。年間30万個の提灯をつくっていますが、主力はこの子たち。まさに伝統技術の担い手であり、継承者なんです」
今では彼らから親しみを込めて「おいちゃん」と呼ばれ、信頼関係を築いている谷川さん。あえて彼らを雇うデメリットを聞いてみたところ、「うーん、強いてあげれば、施設と会社の間を送迎するコストがかかることくらい」と笑う。それに対してメリットは計り知れない。仕事に自信をつけた彼らは常にモチベーションが高く、コンスタントに高品質なものを量産する。ムードメーカーの役割も果たすので職場の雰囲気は明るく、いざこざも派閥もない。そのおかげで、ここ数年は夏と冬のボーナスとは別に決算ボーナスを出すほど売上が伸びているという。
「一般に知的障害者は就労に適していないといわれますが、そうではないことを証明できたと自負しています。昨年あたりから注文が増えて人手が足りないので、あと4~5人雇おうかと考えているんですよ。うまく戦力になってくれたら、障害者にとっても当社にとってもプラス。さらには社会にとってもプラスになるんじゃないでしょうか」と展望を口にする。
昨年、新たに水に強い紙を開発し、さらなる会社の発展を目指している同社。その道筋にはスペシャリスト社員の力が欠かせない。
業界の常識を打ち破った「女性力」
ゼムケンサービス 福岡県北九州市
北九州市を中心に、住宅や店舗の設計・デザインを手掛けるゼムケンサービス。社員9人のうち社長を含む6人が女性で、女性ならではの視点に立った仕事で地域から高い評価を獲得。この5年で売上が倍増するなど、順調に業績を伸ばしている。同社の「女性力」を生かした経営とはどんなものだろうか。
育児をしながらでも働ける職場をつくりたい
現在でも男性中心の職場が多い建築業界。かつてと比べれば女性も増えてきたとはいえ、いわゆる3K職場の代表格でもあり、女性にとってはシビアな労働環境だろう。そんな業界にあって、女性を積極的に雇用してきたのがゼムケンサービスだ。同社は設計・デザイン分野では珍しいワークシェアリングに早くから取り組み、女性社員がそれぞれの事情に合わせて働ける仕組みを構築。店舗や住宅づくり、工務店サポートなど、女性の視点を生かした企業活動を展開し、注目を集めている。
1級建築士である代表取締役の籠田淳子さんは、母親が代表を務めていた同社を平成12年に継いだとき、生まれたばかりの乳飲み子を抱えていた。〝1人親方〟として育児に追われながら仕事に取り組む日々が一段落したころ、事業の拡大に向けて社員を募集。すると集まってきた大半が女性だった。「女性社長の会社」に魅力を感じて応募してきたのだ。
面接をした女性の1人は1級建築士の有資格者で、出産を機に仕事を辞めたが、また図面を引きたいという。ただ子どもが小さいので15時までしか働けない。また別の女性は大手企業でインテリアコーディネーターをしていた経歴を持つが、彼女も子どもを保育園に預けているため、16時には会社を出たいという。
「建築業界は古い考えやしきたりがあるし、何よりお客さまの都合が第一。時間に制約のある人は使えないと思い、お引き取りいただきました。でも後になって、従来の業界の常識にとらわれている自分自身に気付いたんです。私も子育てしながら仕事を続ける苦労を経験しているのだから、女性が働きやすい雇用形態があってもいいんじゃないかと思い直し、後日あらためて『1人しか採用できないんだけど、2人で1人前以上の仕事ができる?』と聞いたところ、『できます!』と即答されました」
マイナスをプラスに変える
平成17年、2人を採用した籠田さんはワークシェアリングを導入した。それぞれの労働時間を短くするのが一般的な方法だが、同社の場合は2人で一つの仕事を担当する裁量労働制をとった。
例えば、1人が描いた図面をネットワークでつながった共有フォルダに入れて、もう1人がそこから図面を取り出して完成させる。その際、お互いがどんな意図をもって設計したのか分かるように業務日誌をつけ、自由に閲覧できるようにした。さらに社員同士のコミュニケーションを円滑にするため、昼休みを2時間とり、昼食を一緒につくって食べながら、何でも気兼ねなく話せる機会を設けた。
こうして女性の働きやすい環境を整える傍ら、人材育成にも力を入れた。当初は社員を集めて勉強会を開いていたが、毎回参加できない人もいたため、取り上げたテーマをまとめた冊子『ゼムケン赤本』を作成。それに就業規則や、企業理念、タイムマネジメント方法などを加えた「ゼムケン手帳」が完成した。女性だからといって「ここまでやればいい」という思い込みの修正に努めた。しかし、全てが順調だったわけではない。
「女性を採用するたび、男性社員から『社長の趣味ですか!』と文句を言われました。独身の女性社員からも『子育て中の人を中心に考えている』と不満をこぼされました。そんなつもりはないんですが、一時期ずいぶん嫌われました。でも私はいろいろな形の会社があっていいと思っています。職場は、社員が仕事を通じて自己実現し、夢を叶えて幸せになるところです。そこに主婦がいたっていいじゃないですか」
建築業界には今でも、女性ゆえのデメリットがたくさんある。まず、工事現場には女子トイレがない。スカートやハイヒールなど女性らしい格好をしていくと、男性の職人から嫌味を言われたりするという。しかし、女性ならではのメリットもある。現場の雰囲気が明るくなり、掃除も行き届いてきれいになる。女性が頑張ると男性はもっと頑張るので仕事がはかどる。そして何より、建築やデザインに強いこだわりを持つ女性客のニーズに、女性の生活者としての視点が大いに役に立つのだ。
こうした理由から、社員の誰かが産休や介護などで職場を離れる際、新たなスタッフには女性を採用している。現在は、男性と女性の比率が3対7から4対6のバランスになるよう配慮しているという。
次に目指すのはバーチャルオフィス
同社が展開してきた一連の取り組みは各方面から評価され、平成21年には「北九州ワーク・ライフ・バランス表彰市長賞個人部門」、23年には「同賞企業部門」、25年には内閣府「女性のチャレンジ賞」を立て続けに受賞。そんな追い風に乗り、社内に新たに「女性建築デザインチーム」を立ち上げた。
「もともとゼムケンサービスという社名は、何をしている会社か分かりにくかったので、女性をフィーチャーした名前を付けたところ、特徴が明確になって認知度が上がり、売上が伸び始めました。世の中には女性の力に期待してくださっている人や企業がたくさんあることが分かってうれしいです。今後もそれを最大限引き出しながら、お客さまに喜ばれる設計・デザインを提供していきたいですね」と先を見据える。
同社は現在、女性の働き方の進化形として、バーチャルオフィス構想の実現を目指している。設計、デザイン、営業、打ち合わせなど建築のさまざまな段階を在宅でワークシェアし、ネットワークでつながったバーチャルオフィスで管理するというものだ。その実現に向けて、試験的にこの8月から週1回の在宅勤務をスタートさせている。まだ課題は残されているが、うまく機能するようになれば、遠方に住んでいる人や、子育てや介護であまり家を空けられない人でも、自在に仕事に関わることができると期待を寄せる。籠田さんが次々と繰り出す「女性力」を生かしたダイバーシティ経営からこれからも目が離せない。
違いを受け入れ、外国人社員の強みを生かす
井口機工製作所 東京都練馬区
外国人の強みを生かし、自社の弱みをうまく補っている会社はどのような取り組みをしているのだろうか? 成功の秘密は、お互いに不満をためないよう本音で話し合うこと。そして、彼らと日本人の違いを許容しつつ、特別視しないことだという。今回は偶然の出会いから、時間をかけて人材を見極め、成功を収めている井口機工製作所から話を聞いた。
相手の母国語で交渉できる人材が必要
東京都練馬区に本社がある井口機工製作所(ISB)は搬送物のキャスターや搬送ラインのガイドなどに使用されるボールベアー(ボールトランスファー)、駐車場やアミューズメント施設のアトラクションなどに使われるターンテーブル、そして立体駐車装置用落下防止装置を主力製品とし、開発・設計・製作・販売をしている。
現在、同社の社長を務める井口薫さんは、社長就任前の1990年代初頭に「マーケットを日本に限ってしまっては面白くない」と情報収集を兼ねて台湾や韓国を中心にアジア各国の販売会社を訪問。海外進出の可能性を探っていた。
「日本語を話せる人がいるときは良いのですが、そうでないときは慣れない英語で商談しました。そのときに、相手国の母国語で話せる人材が必要だと痛感しました」 専務取締役を務める妻の威佐美さんはアメリカの大手化学会社と直接交渉をこなすほど英語に堪能だ。しかし、一人でアジアマーケット全てを見ることは不可能だった。
人材派遣の営業に来た中国人女性をスカウト
「最初から中国人に的を絞っていたわけではないのですが、良い人材との出会いがあったのです。だから順番としては、中国に進出したいから中国人の人材を探した、というよりは、良い人材との出会いがあったから、進出を決めたということですね」(威佐美さん)
中国、台湾、韓国の営業を担当している李海英さんは、日本の大学を卒業した後、人材派遣会社へ入社。あるとき、営業員としてISBを訪れたのだった。流ちょうな美しい日本語を話す中国人女性がなぜ日本で営業の仕事をしているのだろう? 井口さんは話を聞きながら、そんな疑問を抱いた。
李さんは人材派遣会社で海外事業部に配属される約束だったものの、3カ月の研修を終えた後、配属されたのは日本人向けの営業部門だった。本意ではないものの、懸命に国内の会社を回り、営業していたのだという。
「李さんの第一印象がとても良かったので、詳しく話を聞いてみると中国語と韓国語を生かした仕事に就きたいという希望を持っていることが分かったので、うちで働かないかと誘ったのです」と井口さん。「海外営業をやってみないかと声を掛けていただいてうれしかったのですが、工業系の業界を知らない上に、社会人としての経験に乏しい私が戦力になれるのか自信がなく、すぐに返事ができませんでした」と李さんは振り返る。
李さんの不安を解消するため、時間をかけてお互い納得のいくまで話し合い、その結果、初めての外国人社員が誕生した。
あなたは社員であり私たちの家族だ
「外国人ということが気になる場面もなく、とても働きやすかったですね。ただ私自身は専門知識も浅かったので、最初の3年程度は上司の通訳という立場で中国の会社を回って勉強しました。今は一人で営業を任されています。プレッシャーも大きいですが、やりがいがあります」
そう話す李さんは日本滞在が長く、日本文化にも精通しているが、井口さんの目には「やはり中国人らしい積極性を備えている」と映る。日本のことを良く分かっている上に中国人特有の強みを有しているというわけだ。
一方、李さんには「ISBという日本の会社で働いているから自分の強みが生かせる。中国へ帰って中国の会社で働いたのでは強みが消えてしまう」という思いがあった。だから長く働くつもりでいたが、当初はそういう思いを受け止めてくれる会社かどうかという不安もあったという。
そんなとき、李さんにとって忘れられない出来事が起こった。入社して2カ月が過ぎたころ、初めて自分宛ての注文書がFAXで届いたのだ。「社長がFAXを持ってきてくれて『良かったな』と話し掛けてくれたんです。涙が出そうになりましたね。そのときの注文書のコピーは今でも大切にとってあります。その年の決算賞与も、『あなたはうちの社員であり、家族だから』と、先輩たちと同じようにいただいたし、社員旅行にも連れていってもらいました。早く一人前になって恩返しをしたいと思いました」(李さん)。
不満をためないよう話し合える環境をつくる
国内のISBには現在、日系アメリカ人とタイ人社員が在籍している。アメリカ人は専務や社員の英会話教師を、タイ人は青少年交換留学生として高校生のときに井口家にホームステイしていたという縁がある。おかげで人材を見極める時間がたっぷりあってうまくいっているのだが、今後は事業を拡大するにつれて、一般面接によって外国人社員を採用する場面も出てきそうだ。
「そこが課題なのですが、お互いに選ぶ権利があるのだから、入社後に『違う』と感じたのなら、不満がたまらないうちに話し合って、折り合えるところは折り合う。そうすることで、辞めるという選択を防ぐことができればと考えています。外国人に限らず、社員の定着率が良い会社が社員の満足度の高い会社とは思いません。転職先がないから、不満をためながら働いているのかもしれないと思います」
互いに腹を割って本音で話し合うこと、外国人を特別視しないこと。こうしたことが成功の秘訣なのかもしれない。
女性がつくった女性のための「お酒」が大ヒット
菊水酒造株式会社 高知県安芸市
経済産業省の「ダイバーシティ経営企業100選」に選ばれた菊水酒造。その受賞ポイントとして「女性による女性のためのお酒づくりプロジェクトで85種類以上の新商品が誕生し、新事業分野を創出」と紹介されている。その実情を聞くために、高知県安芸市の同社を訪ねた。
営業形態の転換に迫られ採用範囲を拡大
「日本酒づくり」と聞けば、水の確かさと杜氏の技、昔ながらの製法でつくられ、いかにも伝統を重んじる男の世界というイメージだ。しかし、時代は変わりつつあるようだ。「いごっそう」とは、とにかく頑固で酒に強い土佐の男たちのことを指す言葉だが、元気あふれる土佐の女性たちは「はちきん」と呼ばれる。彼女らが日本酒の世界に新しい風を吹き込んでいるのだ。菊水酒造が女性の採用を増やし始めたのはわずか10数年前のこと。この10年で何が変わったのだろうか? 総務部長の春田和城さんはこう振り返る。
「最近でこそ底を打ったといわれていますが、日本酒業界そのものは、この40年近く右肩下がりだったんです。そこで、女性も含めてですが、もっとターゲットを広げていく必要があると、ずっと考えていました。それともう一つ、コンビニやスーパーなど新しい業態が酒類販売の免許を取り始めて、営業の方法も昔ながらの酒屋さんに対するものとは変わってきたんです。チェーン店の場合、県外のバイヤーさんも多いですから、まず土佐弁をやめて標準語で営業する必要が出てきました(笑)」 従来の営業から新しい営業への転換を迫られていた菊水酒造は、本社のある安芸市内からだけでなく、高知市からも人材を採用することにした。
「安芸市には高校までしかなく、専門学校や大学の卒業生を採用しようとすると、どうしても高知まで出向かないといけなかったんです。14年に最初の高知採用をしたときに、60人ほど面接をしました。すると、明らかに女性の方が優秀なんですね。そういうわけで、翌年、わが社初の女性営業職が誕生することになったのです」
自分たちだけで商品開発したい
徐々に女性の採用も増え、平成16年には醸造部門にも2人の女性が入社し、少しずつ職種も広がった。17年には、本格的に女性向けの商品を開発するために、3人の女性スタッフで企画営業課をスタートさせた。しかし、この段階では営業の手伝いをしながら、男性が企画開発する商品に対して意見を求められるというサポート役でしかなかったという。現在、課長で女性プロジェクトのリーダーを務めている松岡良美さんも、入社間もない新入社員としてメンバーに加わっていた。
「あのころは、悶々としてましたね。男性が考える女性向け商品というのに、どうしても違和感があって。女性の心をつかむかわいさなどの配慮に欠けていました。従来はお酒好きで量が飲める人のための商品がメーンで、ラベルにバラやハイビスカスの絵柄を大きく置いて、『ばら酎』とか『はいびすかす酎』と銘打たれ、『21』と度数がドーンとうたわれているような商品だったんです。これはないだろうと意見しても理解されませんでした。そのことがストレスでしたね」と振り返る松岡さんの前で、春田さんも懐かしそうに説明してくれた。
「君たちの言う『かわいい』というものを教えてくれと頼むと、ハンカチに赤いてんとう虫のアップリケがポチッと付いている、そういう遊び心がかわいいと言うんです。でも、普通のものより価格も高いし、洗濯したら取れやすいだろうに、とわれわれ男性は考えました。どうにも理解できませんでしたね。同じように、彼女たちも、どうして部長は分かってくれないのだろうと思っていたのでしょう」
自分たちが飲みたいと思う商品がない。男性スタッフに任せていても、それは男性が頭で考えた「これだったら女性が喜ぶだろう」というもので、とても買いたいとも、友達に贈りたいとも思えなかった。そのジレンマが松岡さんたちの原動力となる。
「『私たちだけで商品開発をやらせてください』と直訴してきたのが20年のこと。そして、『女性による女性のためのお酒づくりプロジェクト』が発足したのは、その翌年でした」(春田さん)
お酒座談会から大きなヒントを得る
プロジェクトは発足したものの、すぐに思うような商品が出来上がったわけではない。「コラーゲン配合のお酒だったり、牛乳で割って飲むお酒だったりと、従来の商品をベースにつくっていきましたが、なかなかうまくいきませんでした。あのころは、商品開発の難しさを実感させられましたね。当時は、まだ営業や上司など男性社員の意見も聞きながらやっていました。やはり、売るのは男性営業マンですし、バイヤーさんの多くも男性ですから。それでも実際にお酒を飲む女性の声を聞きたいと思っていました」
そんな開発業務と並行して松岡さんたちは、「お酒が好きだ」「お酒に興味がある」という女性を対象に「お酒座談会」を開催した。女性社員と一緒に、「女性が楽しめる新しいお酒」を考える会で、毎回、成人大学生から40代までの女性が集った。これまでに地元の高知県だけでなく、東京、大阪、名古屋、それに香港などで開催。そこからヒントを得てプロジェクト始動から1年後に商品化されたのが、スプーンですくって食べるスイーツ感覚のお酒「ヒアルロン酸配合 ゼリーのお酒」(100㎖ 希望小売価格・286円〈税抜〉)だ。この商品の開発がプロジェクトの転換点となる。
試験販売で新規性が話題に
「社内ではダメ出しの嵐でした。当時、市場は200㎖のカップ酒が200円を切るかどうかの価格で競争する時代だったんです。そんなところに、100㎖で300円もするお酒なんか誰が買うんだ、菊水酒造として出すわけにはいかないとまで言われました」
それでも諦めきれない松岡さんたちは、何とかインターネット上での試験販売に持ち込んだ。すると、商品の新規性が話題となり、多くのメディアにも取り上げられ、あっという間にヒット商品になる。会社も正式なルートに乗せ、販売を開始。発売の翌年には、年間販売数も大幅にアップし、着実に実績を挙げた。
商品開発の楽しさと醍醐味を実感した松岡さんたちのチームは、「もっと自由な発想で、本当に自分たちが飲みたいものをつくっていこう」と勢いづき、次々に新商品を生み出していった。しかし、全てが順調だったわけではない。これまでは男性中心の会社だ。女性陣の活躍は、どうしても男性たちの反感も買ってしまう。
「数年前までは、男性営業マンと意見が対立すると、『女性の分際で』とか『こんな商品売れるのか』とか言われることもありました。やはり男性営業マンには女性の感性が理解できず、自分たちの理解できないところで話が進んでいくことに対し危機感を覚えたようです。また、海外出張も女性が中心になったことからやっかみもありましたが、その間に立ってくれたのが、春田さんでした」
男性は、活躍する女性が脚光を浴びると、自分たちの立場が脅かされるんじゃないかと思っていたのだという。しかし、春田さんは双方の言い分を聞いた。「正しくて筋が通っているのは女性の方なんですよ。その後、『ヨーグルトのお酒』というヒットも生み、社内でもこの女性だけのプロジェクトを悪く言う者はいなくなりましたね」。
海外市場への展開も視野
松岡さんはヒット商品となったヨーグルトのお酒についてこう語る。「現在、11種類が出ています。今年の秋には、あと3種類を追加する予定です。ヨーグルトのお酒を含め、女性向けリキュールは、香港の商談会でも非常に好評でした。香港は、女性向けの市場がこれから拡大するという手応えを感じており、他の国にも、大いに可能性があると思います」。
こうした未来予測図を語ってくれる松岡さんだが、もうすぐ2人目の子どもが生まれる。そうすると、しばらくは職場を離れることになる。
「戻ってきて、また頑張って仕事をしていくことが、後に続く後輩たちの指針になるのかなと思っています。会社も産休・育休中はノートパソコンを貸与してくれます。まめに連絡を取れるように便宜を図ってくれていますし、保育園が決まるまでは会社の食堂に子どもを連れてきてそこで仕事をしていいよとか、いろいろと考えてくれています」(松岡さん)
結果を出し続けている女性プロジェクトは、まだ走り出したばかり。菊水酒造の「はちきん」たちが、これからどのようなヒット商品を世に送り出してくれるのか、彼女たちの今後の活躍から目が離せない。
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