特有の食材や食文化を持つ地域は決して少なくない。今号は、そのどこにでもある〝食〟という武器を掘り起こし、誘客や地域活性化に挑戦している事例を紹介する。
観光スポットと地域の暮らしを融合
フラノマルシェ 北海道富良野市
ラベンダー畑やスキー場、ドラマ「北の国から」で知られる観光のまち、北海道富良野市。その中心部に平成22年4月、新たに誕生した複合商業施設、フラノマルシェが好調だ。初年度から目標の30万人を上回る55万5000人が訪れ、13年度には79万5000人まで増加。売上も初年度5億円から順調に推移し、26年度は6億円に達すると見込まれている。
食文化で人を呼ぶ
JR富良野駅にほど近い一等地にあるフラノマルシェ。以前は総合病院があった2000坪の敷地に3棟の建物が並ぶ。その中に農産物直売所、土産品店、持ち帰り専門店、スイーツ&カフェ店など9店舗が入り、買い物を楽しむ人々で毎日にぎわっている。
「1日平均5000人(7月時点)がマルシェを訪れています。そのうち観光客は7、8割。リピーターの方も多いです。地元の人も足しげく通ってくれており、オフシーズンはベンチに座って本を読んだり、パソコンを開いて作業したりしてくつろぐ人の姿もよく見かけます」と富良野商工会議所業務課長の木川田正和さんは話す。
フラノマルシェの建設目的はまちのにぎわい復活にあった。富良野には年間200万人もの観光客が訪れるが、その多くは郊外の観光施設や田園風景へ向かい、中心市街地に立ち寄るのはわずか8万人ほどだったという。駅前の空き店舗が徐々に増加。さらに追い打ちをかけたのが中心市街地にあった総合病院の移転だ。病院前の商店街にとっては死活問題だった。
「このままでは富良野全体がダメになってしまうという危機感がありました。ところが市はすでに駅前ロータリー周辺の再開発に膨大な投資をしてしまい、次の再開発に充てる予算はないと言います。しかも、その再開発はまちを活性化するどころか、結果的に26軒もの廃業店を出してしまったのです。私たちとしてはその轍を踏みたくなかったので、行政に頼らず、自分たちで何とかしようと考えました。〝まちづくり三法〟の改正を機に、富良野商工会議所、ふらのまちづくり株式会社が中心となって富良野市中心市街地活性化協議会を設立。民間主導で、この総合病院跡地を利用したまちの活性化事業に取り組むことにしました」と経緯を話すのは、富良野商工会議所の西本伸顕副会頭。同協議会で運営委員長、ふらのまちづくり株式会社で社長を務めている。
人を引き寄せる富良野の魅力は何か。たどり着いたのは「食文化」だった。
「富良野には豊かな食文化がもともとあります。よくよく調べてみると富良野は30年前、『北の国から』で脚光を浴び始めたころから、先輩たちが独自の商品を生み出していたのです。それが、気付いたら2000種以上もありました。だったら、この食品・食材の豊富さと富良野ブランドのイメージを活用し、一カ所に集めて富良野の食文化の発信拠点をつくろう。それをまちの活性化の起爆剤にしようと考えたわけです」(西本さん)
フラノマルシェが成功した最大の要因は、ここを単なる観光スポットではなく、地元で暮らす人たちが交流できる、滞留拠点の場と位置付けたことにある。
「人が集える場所がなかったからまちが廃れた。地元の人たちが気軽に集まって井戸端会議ができるような、買い物が済んでも気兼ねなく滞在できるような、いわゆる〝まちの縁側〟(さまざまな世代が集まり交流できる場)をつくろうと決めました。真ん中に広場をつくったのもそのためです」と語るのは、ふらのまちづくり専務取締役の湯浅篤さんだ。
西本さんも、「道の駅ではダメなんです。通過型観光になってしまい、まちを回遊してもらえない。倉本聰先生がよく〝天の岩戸方式〟がいいんだ、と言っていました。観光客のためにと思わず、まずは自分たちがワイワイ楽しむ。すると〝中がにぎやかそうだけど、何をやっているんだろう〟と興味を持って人が集まってくる、と。確かにそうなんです。地元の人が集まることで観光客の方も入りやすく居心地の良い場所だと感じ、時間を気にせず過ごしてくれる。そういう相乗効果を感じています」と振り返る。
質にも量にも徹底的にこだわる
富良野の食文化を提供する場所だからこそ、味や品質の高さ、そしてアイテム数にもこだわった。これもまたフラノマルシェが成功した秘訣といえる。
「チーズやワイン、ラベンダーの加工品など、土産店に並ぶ商品の8割が地元ブランドです」と富良野商工会議所の木川田さん。核となっているのは「ファーマーズマーケットオガール」(JAふらの)と、「スーベニアショップアルジャン」(富良野物産公社)で、全体売上の約8割を占めているという。「この二つのテナントの品数の豊富さと、商品クオリティーの高さ、ここでしか手に入らないという稀少性が集客に大きく貢献しています」。
ほかのカフェとテイクアウト店に関しては、地元の定番人気店に出店してもらい、その知名度で集客を図ろうという算段だった。しかし、どこからも「トップシーズンに人材が確保できない」と断られてしまう。そこで、公募の形を取り、残りのテナント6店舗を決めた。これらの店でも高い品質を維持するため「事前にフードコーディネーターの指導を受けてもらいました」と木川田さんは振り返る。
以前はJR富良野駅前で商売をしていたという「ばすすとっぷ」は、「混ぜアイス」を店主の沼田瑞恵さんが開発。これが地元の中高生から大人気だ。しかし、これだけでは冬場に困るので、フードコーディネーターのアドバイスを受けながら新商品「へそぶたまん」も開発。「富良野産の豚肉、玉ねぎを使ってつくっています。出店したことで、商品開発のヒントをたくさん得ることができました。これは大きな収穫です」と沼田さんは話す。
「出店をきっかけに、新商品の開発に挑戦できました」と喜び顔で語るのは、富良野市麓郷でラーメン店「とみ川」を営む富川哲人さん。新商品は「なまら棒」という長さ33㎝の揚げ餃子だ。その形状と北海道弁「なまら」を使ったネーミングが観光客に大ウケで、初年度には10万本を売り上げた。なんと来場者の5人に1人が食べたことになる。
「一過性のブームで終わらないよう、試行錯誤を繰り返し、今も改良し続けています」と語る富川さんをはじめ、フラノマルシェのテナントはどこも意識が高い。その秘密は、月1回のテナント会議にあるという。
売上よりも大事なもの
「価値観と情報を共有し、常に一体感を持って運営していくことを心掛けています。大事なのは売上よりもホスピタリティーとマインドだと毎回言っています」(西本さん)
実は、フラノマルシェ内にはカフェスペースはあるものの、飲食店が一店もない。買い物を楽しんだ後は、周辺を回遊してもらい、地元の飲食店へと足を運んでもらうためだ。ばすすとっぷの沼田さんは、店舗が駐車場に隣接していることもあり、よく「近所のおいしいお店を教えてください」と聞かれるそうだ。「そのたびにお気に入りを教えちゃいます(笑)」。
ふらのまちづくり株式会社の湯浅さんは「今まで店案内は観光協会がしていました。でも、ここでは店主や地元の人が観光客に地域密着の情報をお伝えできます。そこで新たなコミュニケーションが生まれ、観光客の方には富良野により親しみを感じてもらえる。そういう相乗効果もありますよね」と言う。
実際、周辺飲食店の売上も全体的に上がっているとのこと。とみ川の富川さんも「マルシェの近所と麓郷にある本業のラーメン店も大分売上が伸びています」と話す。
商店街に店を出す人の中には「こんなにも、まちに人の流れができたなら、もう少し頑張れば何とかなるかも」と廃業を取りやめ、商売を継続するケースも出てきているそうだ。
「商店街の人たちにも〝自分も頑張ろう、何かやらなくちゃ〟という意識が芽生えてきました。マルシェによるにぎわいが市民の心を明るくし、まちを活気づけているのは確かです」(西本さん)
きちんと利益も出す
すでに次なるまちづくりも始まっている。15年6月には隣接地にマルシェ2が開設予定だ。そしてこの周辺の既存商店の再集積とリニューアルを全面的に行う。そしてマンションや高齢者住宅、保育園なども併設することでより利便性に富んだまちを目指していく。
「高齢者が一人でも楽しく暮らせるよう日常生活に必要な機能を集めた快適空間にするのが狙いです。冬でもお年寄りが集えるよう全天候型の交流施設も建てます。マルシェ2では、現在のマルシェより惣菜などを充実させたいと考えています」と、西本さんはまちづくりに大切なのは世代継続への思いだと語る。つくって終わりではなく、次世代へつなぐため、育てていこうという気概を持ってまちづくりに臨む。それによってまちは元気さを増していくのだと。
「よく盛大な食イベントを仕掛けると、まちおこしをやった気分になるのですが、イベントが終わってみると実は何も変わっていない。きちんとお金を稼ぐことを考え、地元経済を元気にしていかないとまちは疲弊します。だからこそ民間が主導で動くことが大切なんです」
60年代、富良野を観光地にしようと立ち上がり、民営スキー場を開設したのは富良野商工会議所の先輩たちだった。その英知と行動力。そしてやはり先輩たちが残してくれた富良野独自の〝食文化〟。こうした地域資源を掘り起こし、市民が一丸となって地域経済の創出に取り組んでいる。そんな〝まち力〟が富良野を大きく変えつつある。
「たけのこピクルス」で竹原の名を全国区へ
竹原商工会議所(広島県竹原市)
竹原市小吹地区のたけのこは、土からつくり十分に手入れした畑で栽培されている。そんな地域資源を活用した新商品で大都市圏への販路を開拓し、同市の認知度と来訪者拡大を目指す「TAKE1プロジェクト」を展開しているのが竹原商工会議所だ。
会員事業所から募った50点を超えるアイデアをもとに、たけのこの加工品を数点試作。「第9回グルメ&ダイニングショー春2011」に出展し、注目を集めたのが「たけのこピクルス」だった。
「この商品は女性を意識してヘルシーさを前面に出し、容器デザイン、ロゴ、ラベルの大きさや位置など細部にまでこだわりました。さらに幅広い意見が聞ければと、同会場で開催された新製品コンテストに出品したところ、フード部門でいきなり大賞を受賞してしまったんです」と同所中小企業振興課係長の田中雅一さんは振り返る。
その結果を受けて商品化、発売を急いだが、原料のたけのこの安定確保に苦労したり、食感を求めて材料を水煮から生に切り替えたりなど、試行錯誤は1年半にも及んだ。
平成25年5月、ようやく販売を開始すると、「東京や大阪の大手百貨店をはじめ、ネット通販など全国から問い合わせが寄せられ滑り出しは上々でした。現在は、季節限定メニューとして市内飲食店でたけのこ料理を提供しているほか、観光で訪れた方々にも、一年を通じてたけのこ加工品をお土産としてお買い求めいただけます」と田中さんは自信をのぞかせる。今後の取り組みに期待がかかる。
〝島のリストランテ〟で観光客を呼び戻せ
鳥羽商工会議所 三重県鳥羽市
鳥羽市にある離島・答志島では、旅館組合の若手料理人たちが中心となり、島の食材をイタリア料理スタイルで提供する「リストランテ・フィールド・答志島」事業を展開している。島が誇る新鮮な魚介を従来の和風会席だけでなく、洋風にアレンジしてバリエーションを増やすことで、年々減少する観光客を呼び戻し、新たな客層を獲得しようというものだ。
島のアピールポイントがない!
鳥羽マリンターミナルから市営定期船に乗って約20分。伊勢湾の入り口に浮かぶ答志島は、人口約2400人の細長い島である。木曽三川からの淡水と黒潮が交わり、魚のエサとなるプランクトンが豊富なことから豊かな漁場を形成。そのためここで捕れた海の幸は、古代から平安時代まで都の朝廷に贈られたとされるほど質が高く、「御食国」とも呼ばれている。そうしたことから、かつて同島にはツアーや社員旅行など多くの観光客が訪れにぎわっていたが、近年では減少傾向が続いている。
「私たちの親世代のころは、特に宣伝をしなくてもたくさんのお客さまが来てくれましたが、今はインターネットの時代。誰でも自由に情報が得られて、オンラインで手軽に予約ができるので、なかなか目に留めてもらえません。そこで私たちもホームページを通じて情報発信しようと思ったのですが、答志島ならではの良さ、アピールすべきところがないことに気付いたんです」と和風旅館「美さき」の2代目で料理長を務める橋本崇さんは振り返る。一家で旅館を経営する「中村屋」の〝若〟専務、中村友明さんもこう続ける。
「この島では、マグロ以外のほとんどの魚介が味わえます。しかも漁港がすぐそこにあり、朝水揚げされた魚介をその日の夕食に出せるので鮮度も抜群。でも、それは以前からずっとやってきたことで、特別なことではありません。このままじゃまずいと思いつつ、何をしたらいいのか分からないまま、時間が過ぎていきました」
答志島旅館組合に所属する2代目たちが一様に危機感を抱き始めたころ、組合長が代替わりしたことで変化が訪れる。若手が中心となって知恵を出し合い、観光客を呼び戻そうという機運が生まれたのだ。
漁港に隣接した〝おしゃれな空間〟がヒントに
平成22年から、鳥羽商工会議所では、中小企業庁地域力活用新事業∞全国展開プロジェクトの採択を受け、島の食材を活用した商品開発や地域資源を活用した振興事業を展開してきた。特に平成24年度からは地域活性化伝道師・後藤健市さんを招き、答志島の魅力を最大価値化する〝場所文化〟の必要性についてアドバイスを受けた。現在取り組んでいるのが「リストランテ・フィールド・答志島」事業だ。同事業を担当する同所中小企業相談所経営指導員の吉川龍さんは隣の伊勢市出身。大学卒業後IT企業に勤めたが退職し、世界放浪の旅を経験。その後起業も経て、昨年4月に同所に入ったという異色の経歴の持ち主だ。そんな吉川さんがまず手掛けたのが、島内に市民が活用できる多目的イベントスペース「ブルーフィールド」をつくることだった。
「地域の若手建築家にコンセプトを伝え、設計を依頼したところ、海に向かって広がる三角形のウッドデッキが表現されました。10月の完成当初は、キャンプやバーベキュー、ヨガなどに利用していましたが、後藤さんから『漁港の隣にこんなおしゃれな空間があるというギャップに人は魅力を感じる。だからおしゃれな用途に使った方がいい』とアドバイスをいただいたんです」
その言葉にヒントを得た吉川さんは、この場所を青空食堂の舞台の一つに仕立て、島の食材をイタリア料理で提供することで観光客を呼ぶことを思いつく。それをまとめた「リストランテ・フィールド・答志島」の企画書が「観光地ビジネス創出の総合支援」(観光庁)で採択。今年の春から取り組みがスタートした。
「旅館組合も世代交代して30~40歳代がメーンとなりました。特に料理人たちは私と年齢が近かったこともあって、話を持ちかけやすかったですね。島の若手たちも『何かやらなければ』という気持ちが強かったので、それなら皆で協力してやりましょうと提案しました」と吉川さんは説明する。企画を提案された橋本さんも「旅館がそれぞれ個別に人を呼ぶ努力をするより、若手の力を結集した方が幅広いアイデアが浮かび、新しいものを生み出せるのではないかと思いました」と補足する。
「和」と「イタリアン」が楽しめるグルメの島へ
事業を進めるにあたり大阪の辻調理師専門学校の協力を仰ぎ、昨年10月、同校のフレンチシェフ杉山忍さんを「御食国答志島大使」に委嘱。橋本さんや中村さんら5人の若手料理人を集めて講習を実施し、メニューの考案や調理技術の向上を図った。完成したイタリア料理を客観的に評価してもらうため、6月に関係者によるモニター試食会をブルーフィールドで行ったところ、軒並み高い評価を得た。
「まだ試験段階なので、旅館の食事でイタリア料理は提供していませんが、エイ、ヒメジといった地魚や、その日たまたま捕れた珍しい魚介を、本日のスペシャルメニューとして夕食に出すなどの工夫はしています。かつてはほとんど使わなかったけれど、実はとてもおいしい魚がたくさんあります。今後はイタリア料理などにもどんどん活用していきたいですね」と中村さんは語る。
秋には一般の人による2回目のモニター試食会が予定されており、「辛口な意見もどんどん言ってもらいたい」(橋本さん)と期待を寄せる。さまざまな意見を取り入れ、体制が整ったら、連泊の客や日帰り客などを対象に、イタリア料理をランチ限定で提供するプランを考えているという。朝夕食は新鮮魚介を使った和食、昼食にはイタリアンが食べられるとなれば、上質のグルメを求める観光客にとって強力なコンテンツとなり得る。
「昨年から私がやってきたのは、若手たちがチームとなって、島のために行動を起こすための下地づくりです。島には島のしきたりがあり、この取り組みに対して異論を唱える人もいますが、チームが団結していれば、正しい方向に向かえるはず。今後も彼らが行動しやすいよう旗振り役に徹して、早期実現を目指したいです」と吉川さんは先を見据える。
来年には、各旅館がブルーフィールドを舞台にした、「和」と「イタリアン」が堪能できるグルメの島へと変貌を遂げているかもしれない。そうなれば、船に乗ってでも足を運ぶ価値があると考える人は少なくないだろう。
ホルモンうどんをきっかけに肉のまちをPR
津山商工会議所 岡山県津山市
岡山県津山地方で戦後から食されてきた「津山ホルモンうどん」は平成21年度「第4回B-1グランプリ」で3位、翌年の第5回大会で4位、第6回大会では2位を獲得。今や全国に知られる名物料理となった。津山市の活性化を願う人たちはこれを活用し、古くから食肉文化が息づく〝津山〟を広く知ってもらい、まちの活性化と観光客誘致に取り組んでいる。
厳しく定められた4カ条の掟
ホルモンうどんには4カ条の掟があり、使用するホルモンの質と量、料金に厳密な基準が設けられている。「来店者に観光案内ができ、おもてなしの気持ちで接する店であること」といった基本姿勢もその一つ。これは、津山ホルモンうどん研究会が協力店を認定するために定めたものだ。
掟では、津山食肉処理センターで加工した肉か、美作(作州)地域内の精肉店・業者から仕入れた国産牛のミックスホルモンを、1人前で80g以上使うこと。そして、みそ・しょうゆ系のたれで味付けすること。さらに、1食あたり1000円未満で提供することが定められている。
これほどまでにこだわるのは、食肉処理技術に強い自信があるからだ。ホルモンは鮮度が命。処理が遅いと臭みが出てしまう。しかし、津山には市内に食肉処理場があり、その処理速度が非常に速い。これは、昔から枝肉(頭部や内臓、四肢の先端を取り除いた部分)の処理とそのほかの部分を別々の部門で担当しているためだ。牛が処理ラインに入ってからわずか10分以内でホルモンの洗浄処理が終わり、食用に適した状態になるという。
「津山では飛鳥時代の慶雲2(705)年に牛馬の市が開かれていたという記録が残っています。津山は古くから牛馬の流通拠点で、肉食が禁じられていた明治以前でも肉を〝薬〟として食べる全国でも珍しい地域でした」と語るのは津山商工会議所の牧野大作会頭だ。このように、昔からの食肉文化が息づく津山。最近、ホルモンうどんが全国区になったことを契機に、伝統的な食肉文化によってまちを活性化させるプロジェクト「食のプロムナード事業」をスタートさせた。これは、「津山市中心市街地活性化基本計画」(計画期間は平成25年4月〜30年3月まで)に組み込まれ、食肉文化の発信、にぎわい創出、地産地消、観光振興などの観点から魅力あるまちづくりを目指している。
既存店と連携し食の散歩道をつくる
津山市は人口約10万人を擁する岡山県第3の都市で、美作地域を代表する県北の中心地。本能寺の変で織田信長とともに戦死した森蘭丸の弟・森忠政が美作国の領地を与えられ、吉井川と宮川の合流点を見下ろす鶴山を城地に選んだ。その後「津山」と地名を改めて築城に着手し、現在のまち並みの基礎が築かれたといわれる。今なお歴史的建築物が多く残り「西の小京都」とも呼ばれる情緒あふれる古都だ。しかし、人口は13年をピークに徐々に減少し、まちの中心地にも空き店舗が目立つようになってしまった。
「そこで空き店舗対策と商店街の活性化に貢献する施策として、メーンストリートの鶴山通りに『津山肉ビル』という、牛肉料理の飲食店に入居してもらう建物を整備しました。今年3月、まずは2店舗がオープン。今後は肉ビル内の店と市内の既存飲食店との連携をさらに深めながら、食のプロムナード(散歩道)を完成させていきます。将来的には屋台も出したいですね。肉ビルは大変盛況で、口コミで評判が広まる好循環が生まれています」(牧野会頭)
牧野会頭が会長を兼ねる津山市中心市街地活性化協議会が発行しているグルメマップ「BeeFoodMap」には、肉ビルの「憩い屋颯花」や「大衆肉酒場いぶし銀」、既存店で全国的な知名度を誇る焼き肉店「千恵」など、牛肉料理を扱う中心市街地の29店が掲載されている。各店では牛肉を使用した津山の名物料理(干し肉)をはじめ、独自の味と技を競った多彩な牛肉料理を楽しむことができる。
また、現在、スタンプラリーを実施しており、20店が参加している(今月末まで)。スタンプを5個、または10個集めると、各店でお得なサービスが受けられるクーポンを配布。牛肉料理の魅力を広め、中心市街地への集客を図る狙いだ。
「津山市中心市街地活性化基本計画には津山駅北口整備事業など行政が主体となる事業と、食のプロムナード事業、まちなか健康サポート事業のように民間が主体となる事業があります。これらをうまく連携させつつ事業を進め、計画を成功させたい。食のプロムナードでは『津山にうまい牛肉あり』ということを市民にも観光客にも訴えて、中心市街地に人を呼び込みたいですね」と牧野会頭は言う。
グルメの力で人を呼び込む
津山には観光名所が豊富にある。「日本さくら名所100選」にも選ばれた西日本有数の桜の名所・津山城(鶴山公園)をはじめ、城東の旧出雲街道に沿って白壁や格子窓が美しい町家が続く重要伝統的建造物保存地区、鉄道好き必見の旧津山扇形機関車庫などがあり、市内を循環するごんごバス(「ごんご」は「かっぱ」の意)で見て回ることができる。このように津山の観光資源の潜在的な能力は高い。昨年は美作国建国1300年記念という追い風もあり、県内の観光地10カ所のうち「津山・鶴山公園」が前年比13・9%増の73万9000人を集めた。加えて昨年5月にB-1グランプリの地区大会「2013近畿・中国・四国B-1グランプリin津山」を開催。2日間で合計7万1000人の来場者を集めてグルメの持つ底力を見せつけた。
今年以降は、知名度の高いホルモンうどんを先兵に、牛肉料理という多くの人に好まれるグルメの力でお客を継続的に呼び込み、リピーターを獲得することを目指している。さらに、地域の食に関した産業振興のために産学官民連携で「つやま夢みのりグループ」が11年に発足。地元食材を使った加工食品などの観光土産を提供している。ホルモンうどん成功を契機に市民や観光客の胃袋をがっちりつかむ西の小京都、津山の挑戦が始まった。
地域全体でつくりあげた「B級グルメの聖地」
久留米商工会議所 福岡県久留米市
「B級グルメ」という言葉も今ではすっかり定着したが、この言葉が提唱されはじめた平成11年からこのB級グルメでまちおこしにトライしてきたのが、福岡県久留米市である。ラーメン、焼きとり、うどんを連携させて成果を上げ、地域文化にまで発展させたその足跡をたどった。
食で「不況のまち」からの脱却を図る
福岡県筑後平野の中心に位置する久留米市。筑紫次郎の別名を持つ豊かな水量を誇る筑後川がとうとうと流れ、なだらかな耳納連山に抱かれた、古くから栄える商都である。この地を平成10年、激震が襲った。不況の影響で地元の大手ゴム会社が倒産したのだ。この影響は大きく、国の「緊急雇用安定地域」に指定され、不景気風が市全域を覆った。
その暗雲をはらうため、商工会議所メンバーを中心に、まちの経済復興を願う有志たちが集まり、「久留米・ラーメンルネッサンス委員会」を組織。食を使ったまちおこしを開始した。今でこそ「久留米ラーメン」は全国区になったが、当時は博多や熊本ラーメンの後塵を拝していた。にもかかわらず、なぜラーメンだったのだろうか?
「実は、とんこつラーメンの発祥の地は久留米なんです。昭和12年に誕生した屋台の『南京千両』が久留米ラーメンの元祖で、22年開業の屋台『三九』が白濁したとんこつスープを生み出したとされています」と説明するのは、当初よりルネッサンス委員会に加わり、「B級グルメの聖地」実行委員会企画委員長を務めているツルサキコーポレーション代表取締役の津留﨑久麿さんだ。
ラーメン、焼きとり、うどん 三本の矢で地域振興
津留﨑さんたちがルネッサンス委員会を立ち上げた当初、市内のラーメン屋の協力がすぐに得られたわけではなかった。
「まだ業界団体もなく、それぞれの店が個々に営んでいたわけで、『なんで、よそと一緒にやらんといかんとか』という声が多かったですね。でも、根気よく説得して、平成11年のラーメンフェスタ開催にまでもっていきました。私たちがボランティアでやっていて、商売っ気抜きだったのが、業界や市民の協力を得られた理由だと思います」
こうして、11年11月に市内の百年公園で行われた全国初のラーメンイベント「ラーメンフェスタin久留米」は、2日間で来場者14万人という記録を残した。マスコミの注目度も高く、大成功だった。
しかし、津留﨑さんは「イベントのある日だけ、365分の2だけでは駄目なんだ。365分の365にしなければいけないのです」と強調する。本当のファンを獲得するためには、イベントによらないまちの魅力づくりが必要になるということだ。久留米商工会議所商業振興課課長の行徳和弘さんは、「これを達成するため、商工会議所が中心になってラーメン以外の久留米の『宝』を使った取り組みを考えていきました」と振り返る。
そして、第二の矢に選ばれたのが「焼きとり」だった。15年、地元のミニコミ誌が、久留米は人口1万人当たりの焼きとり店数が日本一多いことを発見。「焼きとり日本一」を宣言した。その動きに賛同した店、商店街、市民が結集して「久留米焼きとり日本一フェスタ」の開催を実現。今では年に1度の恒例行事となっている。
「久留米では串に刺して焼くのは何でも『焼きとり』と呼ぶんです。それに、医大生が注文するとき、ドイツ語で『ダルム(腸)』や『ヘルツ(心臓)』と呼んだのが始まりで、今や市内のどの店でもその名でメニューに載っています」と行徳さんは言う。
第三の矢は「うどん」だ。ラーメン、焼きとりに続けとばかりに、地域のうどん店が結集し「筑後うどん振興会」が16年に発足。翌17年から20年まで「筑後うどん祭」が開催された。筑後地方は、米と小麦の二毛作が盛んな土地柄で、うどんの食文化が古くからあった。この地方の小麦は、弾力性が弱くソフトな食感が特徴で、筑後うどんは柔らかいうどんとして市民に愛されている。他地域の腰のあるうどんとは一線を画し「滑らか柔らか筑後うどん」とあえて標榜し、共通のブランディングを展開している。
これまでの取り組みを結集
ラーメン、焼きとり、うどん、それぞれが行ってきたご当地グルメの取り組みを連携させるべく、商工会議所がコーディネートし、市民・業界団体・公共で構成する「B級グルメの聖地実行委員会」が組織されたのが20年のこと。その力を結集したのが「第3回B-1グランプリin久留米」の開催だった。これを機に、実行委員会は「B級グルメの聖地久留米」を宣言する。久留米の食文化を、一年を通して全国へ発信することに一歩近づいたといえる。
「B-1グランプリの開催は、あくまでも〝手段〟です。真の目的は久留米のまちをセールスし、テレビなどのメディアを中心にした〝パブリシティ戦略〟で、『B級グルメの聖地 久留米』を確固たるものにすることです」(行徳さん)
久留米・ラーメンルネッサンス委員会では、ラーメンマップの作成やラーメン文化の探求を目的とした、市民による「ラーメン探偵団」を結成。ラーメンの手づくり体験を実施し、地域の人に地元の味に誇りを持ってもらおうとアイデンティテイーの醸成を目指している。また、市内の小中学校の課題研究学習として、とんこつラーメンに関する研究・発表活動の支援もしている。
久留米焼きとり文化振興会では、フェスタを開催する一方、市民を対象にした焼きとり文化講座「焼きとり学校」など、継続的な地域活動も展開している。また、筑後うどん振興会も、老健施設や市内の小学校で〝手打ちうどん体験会〟を実施するなど、最初は「まちおこし」のイベントとして始まった取り組みが、市民参加型のものへと発展してきている。
そして、商工会議所は「食の八十八ヶ所巡礼の旅」(20年より毎年継続中)を始めた。これは〝ご当地グルメ〟を提供する飲食店の中から市民や団体から推薦された店を抽出。その中から巡礼者(客)に対する接客態度などの〝掟〟に賛同する店を『巡礼通い帳』に掲載している。狙いは自信を持ってオススメできる市内の飲食店を巡ってもらおうというものだ。店では〝巡礼印〟を押してもらい、その数に応じて、ご当地グルメキューピーなど「巡礼の証」がもらえる。今や、市民だけではなく、ご当地グルメを求めて久留米を訪れる人の間ではおなじみのものとなっているそうだ。
「現在はラーメン・焼きとり・うどんに続く、屋台・ちゃんぽん・餃子などの業界のネットワーク化を図り、通い帳にも載せています」(行徳さん)
筑後地方は全国有数の酒蔵が集まっている。こうしたことから23年度には通い帳に〝食遍路〟に加え、酒蔵を巡る〝蔵遍路〟も追加した。「その魅力を再発見してもらうために、市内の飲み屋街である文化街と組んで、『食と酒で都市を知る宝探しの旅』というイベントも開催しています。とにかく、久留米の『B級グルメの聖地』がしっかりしたものになるのは、これからです」と行徳さんは津留﨑さんとともに大きくうなずく。
〝ならでは〟の魅力を発信
23年3月に九州新幹線が全線開通。久留米市でもビジネスや観光などのビッグチャンスととらえていた。しかし、現在のところ、期待したような効果はないという。「ただ、他の都市との同質の競争をするのではなく、〝共創〟を図りながら、久留米ならではのものを訴え浸透させていきたいです。〝ならでは〟の魅力が地域振興につながると信じています」。
今、最も期待するのは28年3月にオープン予定の久留米シティプラザだという。以前は百貨店があった場所で、久留米の中心地に建設中だ。160億円もの予算をつぎ込んだ大型施設で、劇場や大型会議室も併設され、さまざまな催しやコンベンションにも対応できる。「これが完成すると、久留米もガラリと変わるはずです。それでも、おもてなしの心と地元ならではの食の魅力は変わりなく、人々を迎えてくれます。まだまだやることが山積みです」(行徳さん)
久留米は全国でも有数の医療設備が整い、環境も良い。わずかではあるが緩やかに人口も増えてきている。かつては緊急雇用安定地域に指定されたが、平成16年度の「地域づくり総務大臣表彰・地域振興部門」で久留米ラーメンルネッサンス委員会が受賞を果たすなど、確実に成果を上げている。地元の宝である食と人とが融合した成功例がここにある。
「チョウザメのまち」を目指して新名物を開発
小林商工会議所(宮崎県小林市)
霧島連山の麓に位置する湧水のまち・小林市では、チョウザメの魚肉を活用した「食のまちおこし」に取り組んでいる。そもそも同市とチョウザメの関係は、昭和58年に友好の証しとして旧ソ連から贈られたチョウザメを、県水産試験場小林支場が受け入れたのが始まりだ。以降、長い研究の末、平成16年に日本で初めてシロチョウザメの完全養殖に成功。23年に大量生産が可能となったのを機に、市と小林商工会議所が連携し、昨年5月からご当地グルメづくりに乗り出した。
「チョウザメと聞くとキャビアを思い浮かべますが、キャビアは取れるまで早くても7〜8年かかる、かなり希少なものです。そこで目をつけたのが魚肉。最初のころは捌き方も調理法も手探りでしたが、きれいな湧水で育てているので、寿司や刺し身など『生』で食べるのがもっともおいしいことが分かりました」と同所地域振興課の瀬戸本悟さんは説明する。
これをもとに、昨年10月に「小林チョウザメ炙りちらし」弁当の販売を、今年2月には「小林チョウザメにぎり膳」の提供を市内の飲食店で開始。前者の累計販売数は4000食、後者は5000食に上り、すでに5000万円近い経済効果をもたらしているという。
現在、市と同所内に「チョウザメ・キャビア課」を設置し、さらなる商品開発やまちのPR活動を展開している。「チョウザメといえば小林市」と言われる日もそう遠くないかもしれない。
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